青森松原教会ホームページ

青森松原教会は132年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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07月

今回は、「バリデーション」の原則についてお伝えしたいと思います。

1.すべての人はそれぞれ個性があり個別な存在です。ですから、必ず一人ひとり個別に対応しなければなりません。
2.たとえ彼らが混乱した認知症の状態であったとしても、すべての人は人間として貴重な価値のある存在です。
3.認知症の方の混乱した行動の裏には、必ず理由があります。
4.認知症の行動は単に脳の構造上の機能変更だけでなく、加齢によって長い人生の中で起こる身体的、社会的そして精神・心理的変化を反映します。
5.認知症の方の習慣となっている行動を強制的に変えることはできません。その方本人が、変えようと思はない限り、変えることはできません。
6.認知症の方は、無条件で受容されなければなりません。どのような形であっても偏見をもつことは許されません。
7.人はその人生の中で、さまざまな課題に突き当たりながら生きています。その課題を十分に解決できずに過ごしてきて、認知症になった時、そのことが心の中でやり残した課題として深く残っていて、それが問題行動として浮かび上がってきます。
8.共感と受容は信頼を築き、心配を減らし、尊厳を取り戻します。認知症の方の状況を本当に心から理解すれば、その方に対する介護の心構えが強くなります。
  以上、「バリデーション」は基本的な人間としての価値観と信念を前提としています。
  次回は、「バリデーション」の実践について記載したいと思います。
                                         (Y・K)

「愛のあるところに神あり」

トルストイの民話集のなかに「愛のあるところに神あり」という小品があります。それをかいつまんでご紹介します。

      *  *  *

主人公はマルツィン・アフデェーイチという靴の修理屋で、地下室の小部屋に間借りし、人の足元しか見えない唯一の窓から靴の往来を眺める日課でした。彼は奥さんに先立たれ、残された3歳の男の子を育てあげ、大きくなった頃、急な病で息子を亡くしてしまったのでした。彼はあまりの淋しさに、神様に死を願い、神様に不平を言うほどになりました。ある時、彼のところへ、8年も巡礼していた同郷の老人が訪ねてきたので、彼は「もう死にたい」と悲しみを訴え始めました。すると老人は「おまえが言うことはまちがっているよ。世の中のことは、わしらの知恵にはなくて、神さまのお心にあることだからね。それをおまえが落胆しているのは、おまえが自分だけの喜びのために生きようとしているからじゃよ。」「じゃ人間はなんのために生きればいいんですかね?」「神さまのためにさ、マルツィン。おまえに命を下されたのは神さまじゃから、神さまのために生きなければならんのさ。」「じゃ、いったいどうすれば、神さまのために生きられるようになるんですかね?」「それはキリストさまがちゃんと教えておいて下されてるよ。福音書を読んでみなさい。そこにちゃんとどうすればいいか書いてあるから。」老人の言葉はアフデェーイチの心に深くしみこみ、新約聖書を読み始めました。読みかけてみると、とても心が安まるような気がしたので、毎日読むようになり、読めば読むほど、彼の心は静かな喜びに満ちたものになっていったのです。

ある晩、ルカによる福音書の1節、1節を自分の生活に照らし合わせながら読んでいき、ある金持ちのファリサイ人が家にイエスを招いたところで、罪深い女がイエスに罪を赦されたという話を読みます。そして、7章の44節に行き当たります。イエスは(不満そうな金持ちのファリサイ人に向かって)「あなたは・・・してくれなかったが、この人(罪深い女)は・・・してくれた。」と「足を洗う水」「接吻の挨拶」「香油のもてなし」について語ります。アフデェーイチは考え始めます。「このファリサイ人というのは、どうやらわしのような人間だったにちがいない。わしもきっと自分のことは考えるが、お客さんのことなんぞ考えないにちがいない。ところで、お客さんとは誰のことだろう?主ご自身なのだ。もし主がわしのところへお出でになったら、わしも同じことをしたんじゃなかったろうか?」そう考えているうちにいつのまにか眠ってしまいました。すると『マルツィン、マルツィン、明日往来を見ておれよ、わしが行くから』という声がはっきり聞こえたのです。

翌朝、あの声は夢か現かと考えながら、その日はいつもより余計に窓の外を見ていました。古い長靴に目を留め、隣家にお情けで雇われているステパーヌイチ老人が雪かきをしているのを見ます。「やれやれ、ステパーヌイチが雪かきしているのを、キリストさまがわしのところへおいでなすったのだと思った。わしもやきがまわったもんだ。」しかし、しばらくしてまた見ると、ステパーヌイチがぼんやりたっているのが目に入りました。「年取って疲れ切っているんだろう。お茶の一杯もふるまってやったらどうだろ。」と、アフデェーイチはステパーヌイチを部屋に招き、暖かいお茶を何杯かふるまい、キリストさまを待っている話をしたのです。ステパーヌイチ老人は「心もからだも養ってくださった」と言いました。その後もいろいろな靴が通り過ぎてゆき、粗末な靴が立ち止りました。下からみるとみすぼらしい夏服(冬なのに)の女が泣いている赤子を抱えて壁際に立っているのでした。アフデェーイチは女を暖炉のそばに招き入れると、シチューとパンをふるまい、「キリストさまのためにこれをお取り」とショールを質から受けだすための20カペイカ銀貨と赤子をくるめる胴着を渡して送り出すのです。それからもさまざまな人が通り過ぎ、ふと物売りのおばあさんに気づきます。男の子がりんごをつかんで逃げ出そうとしたところをおばあさんが捕まえます。アフデェーイチは出てきて、男の子を許してあげるようとりなし、男の子にはあやまるよう諭します。そして福音書のたとえ話をきかせます。はじめは怒りでおさまらないおばあさんでしたが、孫を思い出し、許す気持ちになり、すると男の子もおばあさんの荷物をもって手伝う気持ちになります。ふたりを見送るともう暗くなっていたので、灯りをつけて福音書を開きながらアフデェーイチは昨日の夢を思い出します。

すると後ろに気配を感じ、『マルツィン、マルツィン、おまえにはわしがわからないのかね?』という声を聞きます。「誰だね?」『ほら、これがわしだよ。』と、ステパーヌイチ老人がにっこり笑い消えてしまいました。『これもわしだよ。』と、赤子を抱いた夫人が微笑み、これも消えてしまいました。『これもわしだよ。』と、おばあさんと男の子が出てきて笑い消えてゆきました。アフデェーイチは開いていた福音書の言葉「汝ら、わが兄弟なるこれらのいと小さき者のひとりになしたるは、すなわちわれになしたるなり。」を読みます。そして、アフデェーイチは、まさしくこの日、彼の所へキリストさまが来られたのだということ、自分が彼を正しく迎えたということを、悟ったのでした。

(ペンネーム:すぬこ)こと(S.K)

御言葉を毎週守ることの大切さ、大変さ

今日は日曜日。

でも私は風邪をひいて、布団の中に居ます。

でも、12月22日のブログの日を気にしていましたら今日のことを書こうと思い立ち書こうとしています。

しばしの虚無感を感じながら、日曜日はやはり教会で礼拝を守るのが一番と思いながら、それができなかったことを反省しています。そう思うとそれができない日や多くの病に苦しむ人たちのことを思います。また、教会に来たくてもこれない人たちのことも思い、私は良い方なのかもしれないと思います。

「安息日を心に留めこれを聖別せよ」出エジプト記20:8

この御言葉を毎週守ることの大切さ、大変さを今日、改めて感じました。(N. T. )

メィク・ア・ウィッシュ夢の実現が人生を変えた

この本の著者、大野寿子さんの講演を聞いたのは11月15日。青森県黒石市の日本キリスト教団黒石教会においてであった。

「メィク・ア・ウィッシュ」の活動は、難病と闘う子ども達に、単にカンバレ、ガンバレと言うのではなく、病気のままでも“夢をあきらめるな!”と、その子ども達の夢の実現のために、家族の費用も無償で、準備のすべてを手配する、アメリカで生まれ、今、世界中で45万人のボランティア団体の活動である。

 この講話の中で、大野さんは、いくつもの例を話されたが、その中の一例を、講話と本で読んだ内容をおり混ぜて記したい。

 吉村和馬くんは筋ジストロフィーの患者さんである。お父さんは医者から病気のことを告げられた時、「歩けるうちに、たくさん旅をさせたい」と思った。できるだけ自力で、常に目標を立て、それを1つずつクリアさせようとした。また、お母さんは和馬くんの病気がわかった時、「もう一生、笑うことはない」と思いつめていたが、後には「どうせだったら、ええ顔して生きて行こうやないの」と笑顔で言うようになった。車イスで旅をするようになり、家族みんなの心が一つになった。

 和馬くんは小学3年生の時の作文の最後にこう書いています。

ぼくは、この病気になって神様からいろんな宝物をもらいました。それは友達とか仲間です。病気は治ってほしいけど、筋ジスはぼくのトロフィーです。

 以前からの目標であった車イスでの阪急電車沿線の旅のゴールを迎えたら、今度は阪神電車に乗り換え、大好きな阪神タイガースの本拠地がある甲子園駅をめざそう! とすでに決めていた。

 「メィク・ア・ウィッシュ」で夢をかなえられると知った時、「憧れの存在だった、阪神タイガースの赤星選手に会いたい」が和馬くんの夢だった。この夢が実現した時、  

和馬くんは赤星選手に手紙を書いていた。

ぼくは病気で走れないので、病気が治ったら赤星さんみたいに走りたいです。それから、変化球の投げ方を教えてください。応援してます。

 赤星選手は「治ったら、一緒に走ろうな!一緒に走ったる!」と。

 大野さんの活動の中で、夢をいだきながらも、その夢を実現できなかった難病の子ども達の重荷に直面した時、“神様なぜですか?”と、この問いを繰り返すことしかできなかったと言う。

 大野さんは「メィク・ア・ウィッシュ」の職を退いたあとも、その活動の“種まきおばさん”として、講演活動を続けている。この活動の原動力となったキーワードは「夢、笑顔、喜び」であり、一言で言うと、この活動の素晴らしさである。

 “はじめは「難病と闘う子ども」という限られた世界に向けての発信だと思っていたのが、大人も子どもも病気も健康も関係なく、全ての人間に関わる「生きる力」という言葉へ直結する深い活動だ、ということに気づくようになった。”と、本の後書きに記していた。

 この活動の支援の輪が、より一層拡がることを祈ります。(R. E.)

今年度は10月19日(土)がバザーです。

いよいよバザーがやってきます。例年9月に行っていたので、数件の問い合わせの電話はあったようですが、今年度は都合により10月19日(土)になりました。午前11時から午後1時30分までです。

 いいものがたくさんありますので、是非おいでください。

 9月の16日・17日に連合婦人会の「集い」がありました。今年は浅虫温泉で行われました。この会に参加するのにもいろいろな楽しみがありますが、その中のひとつに本を実際に手に取って試し読みができるということです。キリスト教関連の本は一般書店ではなかなかなくて、書評を読んで取り寄せるしかないことが普通です。あるいは誰かの感想を聞いたりしたりとか。そんな中、「集い」には書籍の販売もまず一緒にくるので楽しみにしています。

 静岡市に本店がある戸田書店が青森市で11年間がんばりましたが、9月29日(日)を最後に撤退していきました。けっこうキリスト教関連の本がたくさんあったところでしたので、残念です。新しい聖書でさえ売っていたのですよ。兄が静岡市に住んだことが30年くらい前にあり遊びに行った時、戸田書店に立ち寄ったことがありました。本屋さんの名前は覚えていませんでしたが、サービスでくれる栞やカレンダーの挿絵が花森安治氏だったのです。『暮しの手帖』の。現在でも変わっておらず、あの時立ち寄ったのは戸田書店だったのかと懐かしく思いました。そんな本屋さんでしたので、とても残念です。

 「集い」で買った本の中に『バイブル・ストーリーによる真理発見』(浜崎英一著、地引網出版刊)があります。素人であってもどんどん聖書の素晴らしさを語って伝道しなさい、かつては印刷物などなくて口伝で御言葉は伝えられたのですから、ということが書いてありました。なかなかできることではないなぁと思っていましたが、同じ教会の中では実践している方もいらっしゃるそうです。私も頑張ろうと思いました。(M. T.)

主の祈り

「赤毛のアン」ご存知ですか?カナダの女流作家モンゴメリの作品で、世界一美しい島プリンスエドワード島を舞台に、孤児のアンがマシューとマリラの兄妹の家に引き取られて成長してゆく物語です。女の子なら読んでいる方が多いのでは?マリラがアンに最初に教えたのが主の祈りでした。アンの感想は「あたしこれ好きだわ。とても美しいんですもの。」1880年訳での主の祈りは以下です。

天にましますわれらの父よ。

ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

われらの日用の糧を今日も与えたまえ。

われらに罪をおかす者をわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ。

われらをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり。

アーメン

さて、今は認知症の父を介護しています。認知症というのは症状にムラがあって、たまにしか会わない人には普通に応対するのに、最も身近な人に対して暴言を吐くのです。最も安心できる相手だからこそ、逆らったり、うすうす自覚している不安からくる怒りをぶつけたりひどい言葉をぶつけるのであり、病気だから仕方ないのです。と理屈ではわかっているのですが、繰り返しひどい言葉をきかされると、うんざりすることがあります。否定の言葉は逆効果なのですが、ついつい否定したくなります。そんな時に、主の祈りを唱えてみるのです。(病気であって罪なのではないですが・・・)すると、心が落ち着いてくるのです。そして、父の怒りなどを受け入れる余裕がでてくる気がします。また、アルバイトで苦情の電話を受けて怒りをぶつけられた時など、その怒りの残響が心に残ったりすることがありますが、そんな時も、主の祈りを心で復唱すると、その残響が洗い流されていく気がします。

あわただしい現代、怒りたくなるような場面にでくわすことも多いかと思います。そんな時に試してみてはいかがでしょうか?

(ペンネーム:すぬこ)こと(S.K)

ルバーブ&カシスジャム64個、できました。

青森松原教会の女性の会では、毎月第一火曜日と第三火曜日に10時から都合のつく会員や、会員でない方や男性でも大歓迎で集まって、布巾を縫ったりルバーブ&カシスジャムを作ったりしています。たいていお昼ご飯を食べるのでその時だけの参加でもいいのです。料理は皆で持ち寄ります。私は料理が苦手なので毎回ではありませんが、コンビニでお菓子を買って行ったりしています。たまには有名なお菓子屋さんで仕入れないといけませんね。本格的な手作りパンや野菜いっぱいのおかずなど、とてもおいしいからです。恐縮してしまいます。

第五金曜日がある月にはその日にも集まって、布団部屋の布団を干したりすることもあります。その季節や天候によってやることは変わります。お食事会をすることもあります。

 7月16日(火)は第三火曜日でした。今回はルバーブ&カシスジャムを64個作りました。青森松原教会でこのジャムを作り始めて10年くらいになるそうなのですが、一回のジャム作りでできた数では過去最高らしいです。ジャムを作るためには最低5人必要でこの日は8人集まりました。この他にもご自分のお庭で育てたルバーブやカシスを提供してくださったり、雲谷(もや)のカシス収穫体験からとってきたものをわけてくださったり、と様々な奉仕がありました。

 10時から14時20分頃までかかりました。途中お昼ご飯休憩があったり、私は他の用事でなかぬけしたりしました。最初から最後まで奉仕された方々はどれほど暑かったことでしょう。暑い日でした。その中でジャム瓶やその蓋の消毒、そして出来上がった後の脱気と、火を使う仕事ばかりでしたから。ジャムの材料だって煮込みますしね。

 1個450円です。教会受付で販売しています。

また10月19日(土)の教会バザーでも販売いたしますのでよろしくお願いします。

毎年9月に教会バザーを開いていましたが、今年度は都合により10月19日の開催になりました。お間違えのないようにお願いいたします。

 普段の礼拝(毎週日曜日10時30分~)や聖書を学び祈り合う会(毎週水曜日10時30分~11時30分)にもお越しください。お待ちしています。聖書を学び祈り合う会では創世記の学びを続けています。アブラハムの妻サラが亡くなった後、主人公がアブラハムから息子イサクに変わりつつある箇所を今、読んでいます。7月10日(水)ではサラが亡くなりました。後に信仰の母と呼ばれるサラですが、自分の死後であっても神の約束が成就される日は必ず来ると確信し、天国に旅立ちました。その深い、神に対する信頼を私も持ちたいものだと思いました。(M. T.)

あなたの父母を敬え

最近、施設に入っている母が入院しました。ちょっとした骨折だ。

突然、施設から知らせがきて、家族がいないと入院できないそうで、「すぐ、病院に行ってください」、と言われ、あわてて病院に行った。タクシーに乗りながら、母の容態はどうかとか、どの位の入院生活か、とか頭の中は母のことばかり。でも、病院で会った母は案外、元気で2、3週間の入院と言われていた。ただ、車いすは気になったが、施設に入所して6年かしら、今で2度目の入院。入院するとほとんど病院と家族の手に任せられるので、私ものん気にしていられない。洗濯に来たり、入院費のために銀行へ行ったりと何かと出かけた。ほとんど自分の事はそっちのけでいたが、普段していない親孝行になるのかと思っていた。なら、心を込めて親孝行しよう、そう思ってがんばった。色々やっていると母は、「どうも、ありがとう」と言ってくれるが、「そんな言葉、言わないで、当たり前なのに」と思ってしまう。「こんな親孝行の機会、これから何回あるのかしら」と思いながら、「元気でいてくれればそれでいい」、そう思った。

結局、母は27日間入院し、明後日、退院する。コルセットをつけながらの退院です。神様に感謝しながら、この文面を書きました。(N. T.)

この場所に住んでよかった!!

わたしは堤町の住人。東日本大震災の前年に引っ越ししてきました。堤町と言っても結構広いのですが、住まいは国道バス停「堤橋」のすぐ近く。

 ここに引っ越してきて、もっとも良かったことの一つは、遊歩道がすぐ近くにあり、遊歩道を西に進めば平和公園があることです。

 平和公園は、1968年(S43)の7月までは「東北本線・浦町駅」でした。駅の跡地が公園になり、線路が遊歩道という大変身。跡地が、神さまの恵みを日々味わえる、緑と花の場所に変わったことは、なんと素晴らしいことでしょう。雀、烏、鳩、時には通路を虫が這っていたり、蝶が飛んでいたり。生き物たちも遊歩道の仲間です。

 樹木や草、花の他にも季節の移り変わりを知らせてくれるものがあります。教会に行く時、遊歩道を横切りますが、そこに幼児4人の裸ンボのブロンズ像があります。冬場には囲いで覆われるのですが、囲いが外されると、“春がきた!”と嬉しくなります。

  最もワクワクするのは桜の季節です。桜並木になるのです。特に松原通りに近い付近は、桜と芽吹き初めのみずみずしい柳の葉が重なり合って、いつの年も“きれいだな〜”と見入ります。

 桜・柳の他に、松、杉、満天星躑躅(どうだんつつじ。結構高さがあり、可愛い花がいっぱい咲きます。漢字がこのようであることは知らなかった!)、紫陽花(あじさい、今、満開)。松原通りから遊歩道に入ると、春にはチューリップ、今はマリーゴールドが花壇いっぱいに咲いています。立派な藤棚もあり、葉は生き生き棚を覆っているのですが、花が咲いたのを見たことはありません。

 その付近には、ディズニーのキャラクターや小動物が、土に固定されて飾られています。それをしてくださっているのは、近所のご夫婦で、時には奥様のアメリカン調の生活が描かれたペィンティング・ボードが所々に飾られていることもあります。わたしは感謝しつつ喜んで、それを眺めているだけですが、そのことでそのご夫婦と繋がっていると思えるのです。松原通りから入って、平和公園に続く遊歩道、どうぞ歩いてみてください。

東屋もあるので、座って遊歩道を眺めたり、一息つくのもいいですよ。(S・K)