青森松原教会ホームページ

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「愛のあるところに神あり」

「愛のあるところに神あり」

トルストイの民話集のなかに「愛のあるところに神あり」という小品があります。それをかいつまんでご紹介します。

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主人公はマルツィン・アフデェーイチという靴の修理屋で、地下室の小部屋に間借りし、人の足元しか見えない唯一の窓から靴の往来を眺める日課でした。彼は奥さんに先立たれ、残された3歳の男の子を育てあげ、大きくなった頃、急な病で息子を亡くしてしまったのでした。彼はあまりの淋しさに、神様に死を願い、神様に不平を言うほどになりました。ある時、彼のところへ、8年も巡礼していた同郷の老人が訪ねてきたので、彼は「もう死にたい」と悲しみを訴え始めました。すると老人は「おまえが言うことはまちがっているよ。世の中のことは、わしらの知恵にはなくて、神さまのお心にあることだからね。それをおまえが落胆しているのは、おまえが自分だけの喜びのために生きようとしているからじゃよ。」「じゃ人間はなんのために生きればいいんですかね?」「神さまのためにさ、マルツィン。おまえに命を下されたのは神さまじゃから、神さまのために生きなければならんのさ。」「じゃ、いったいどうすれば、神さまのために生きられるようになるんですかね?」「それはキリストさまがちゃんと教えておいて下されてるよ。福音書を読んでみなさい。そこにちゃんとどうすればいいか書いてあるから。」老人の言葉はアフデェーイチの心に深くしみこみ、新約聖書を読み始めました。読みかけてみると、とても心が安まるような気がしたので、毎日読むようになり、読めば読むほど、彼の心は静かな喜びに満ちたものになっていったのです。

ある晩、ルカによる福音書の1節、1節を自分の生活に照らし合わせながら読んでいき、ある金持ちのファリサイ人が家にイエスを招いたところで、罪深い女がイエスに罪を赦されたという話を読みます。そして、7章の44節に行き当たります。イエスは(不満そうな金持ちのファリサイ人に向かって)「あなたは・・・してくれなかったが、この人(罪深い女)は・・・してくれた。」と「足を洗う水」「接吻の挨拶」「香油のもてなし」について語ります。アフデェーイチは考え始めます。「このファリサイ人というのは、どうやらわしのような人間だったにちがいない。わしもきっと自分のことは考えるが、お客さんのことなんぞ考えないにちがいない。ところで、お客さんとは誰のことだろう?主ご自身なのだ。もし主がわしのところへお出でになったら、わしも同じことをしたんじゃなかったろうか?」そう考えているうちにいつのまにか眠ってしまいました。すると『マルツィン、マルツィン、明日往来を見ておれよ、わしが行くから』という声がはっきり聞こえたのです。

翌朝、あの声は夢か現かと考えながら、その日はいつもより余計に窓の外を見ていました。古い長靴に目を留め、隣家にお情けで雇われているステパーヌイチ老人が雪かきをしているのを見ます。「やれやれ、ステパーヌイチが雪かきしているのを、キリストさまがわしのところへおいでなすったのだと思った。わしもやきがまわったもんだ。」しかし、しばらくしてまた見ると、ステパーヌイチがぼんやりたっているのが目に入りました。「年取って疲れ切っているんだろう。お茶の一杯もふるまってやったらどうだろ。」と、アフデェーイチはステパーヌイチを部屋に招き、暖かいお茶を何杯かふるまい、キリストさまを待っている話をしたのです。ステパーヌイチ老人は「心もからだも養ってくださった」と言いました。その後もいろいろな靴が通り過ぎてゆき、粗末な靴が立ち止りました。下からみるとみすぼらしい夏服(冬なのに)の女が泣いている赤子を抱えて壁際に立っているのでした。アフデェーイチは女を暖炉のそばに招き入れると、シチューとパンをふるまい、「キリストさまのためにこれをお取り」とショールを質から受けだすための20カペイカ銀貨と赤子をくるめる胴着を渡して送り出すのです。それからもさまざまな人が通り過ぎ、ふと物売りのおばあさんに気づきます。男の子がりんごをつかんで逃げ出そうとしたところをおばあさんが捕まえます。アフデェーイチは出てきて、男の子を許してあげるようとりなし、男の子にはあやまるよう諭します。そして福音書のたとえ話をきかせます。はじめは怒りでおさまらないおばあさんでしたが、孫を思い出し、許す気持ちになり、すると男の子もおばあさんの荷物をもって手伝う気持ちになります。ふたりを見送るともう暗くなっていたので、灯りをつけて福音書を開きながらアフデェーイチは昨日の夢を思い出します。

すると後ろに気配を感じ、『マルツィン、マルツィン、おまえにはわしがわからないのかね?』という声を聞きます。「誰だね?」『ほら、これがわしだよ。』と、ステパーヌイチ老人がにっこり笑い消えてしまいました。『これもわしだよ。』と、赤子を抱いた夫人が微笑み、これも消えてしまいました。『これもわしだよ。』と、おばあさんと男の子が出てきて笑い消えてゆきました。アフデェーイチは開いていた福音書の言葉「汝ら、わが兄弟なるこれらのいと小さき者のひとりになしたるは、すなわちわれになしたるなり。」を読みます。そして、アフデェーイチは、まさしくこの日、彼の所へキリストさまが来られたのだということ、自分が彼を正しく迎えたということを、悟ったのでした。

(ペンネーム:すぬこ)こと(S.K)

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