「ねえ、ねえ、『聖書』って何なの???」
私は知り合いの子からこの素朴な質問を受け、咄嗟にわかりやすい言葉で説明ができませんでした。何とか適当に答えておいたのですが、後でこれではいけないなと後悔しました。でもなかなか実行できず現在に至ったのですが、今、私の属している青森松原教会(旧・青森長島教会)では、来年(2016年)10月に教会創立125周年を迎えます。そこで「聖書通読」をやってみようということになり、旧約聖書1章、新約聖書1章と、1日2章ずつを今年1月下旬から実施しています。そしてまた、4月からは聖書黙想会を毎月第4土曜日9時から10時まで行っています。
そこで私は改めて「聖書」って何???について調べることにしました。固い表現になりますが、聖書辞典によると、「聖書」はキリスト教の経典である。教会はこれを神の自己啓示と、人類に対する神の意志とを掲示する霊感の書と認め、信仰の規準としている。しかし、これはイスラム教徒がコーランについて主張するような「天から降った書物」ではない。
「聖書」は聖霊の感動によって書かれた神の啓示であるが、それは同時に人間の言語を媒介として書かれた書物である。すなわち聖書記者(キリストの弟子たち)が神からの啓示を、文化的な営みを通して、人間的な制約を担いながら人に語ったものである。ダイスマン(1866-1937)がパピリの言語学的研究から「聖書は庶民の書である」と指摘したように、「新約聖書」は市井(庶民)の言語で書かれた「庶民の書」である(まだまだあるが、詳細は省略)。
現在私は、毎日聖書を読んで聖書に親しんでいるのですが、毎回のように「み言葉の宝石(宝)」を発見しています(特に新約聖書から)。
みなさんも「聖書」を読んでみませんか?
(R)