先週の土曜日、教会員のご夫妻が朝から牧師館の花壇の手入れをしてくださいました。牧師館の花壇には、あじさい、はまなす、赤スグリの木が植えられています。
枝が伸び放題になっていたあじさいの剪定をしてくださり、雑草を刈ってくださり、花壇はすっきり広々となりました。見ると、赤スグリの実がたくさんなっていました。もう少しで収穫出来そうです。あじさいはまだつぼみ、これから見頃を迎えます。
ご奉仕してくださったご夫妻に感謝致します。
(S)
TEL:017-776-4800
FAX:017-723-6809〒030-0813 青森市松原1-16-27
先週の土曜日、教会員のご夫妻が朝から牧師館の花壇の手入れをしてくださいました。牧師館の花壇には、あじさい、はまなす、赤スグリの木が植えられています。
枝が伸び放題になっていたあじさいの剪定をしてくださり、雑草を刈ってくださり、花壇はすっきり広々となりました。見ると、赤スグリの実がたくさんなっていました。もう少しで収穫出来そうです。あじさいはまだつぼみ、これから見頃を迎えます。
ご奉仕してくださったご夫妻に感謝致します。
(S)
青森松原教会では、今年1月から新しい取り組みとして、聖書の全巻通読を行っています。教会全体での取り組みなので、みんなが一緒に読んでいることに励まされて、続けることができます。
毎日、旧約聖書1章、新約聖書1章の日課です。必ず各1章順調に読める日ばかりではなく、何日か読まずにためてしまってまとめて読んだりする時もありますが、とにかく読み続けます。最近は、毎日読む習慣ができたように思います。毎日の食事を欠かさないように、野球の選手が毎日素振りの練習をするように。聖書を読むことを日課に出来ることは、とても嬉しいことだということにも気が付きました。
聖書を続けて読むことを通して、神さまの語りかけに気づいていけるようになりたいと思います。初めて読む箇所はもちろん、今まで何度も読んで分かっていると思っている箇所も、神さまが新しく私に語ってくださると思いながら、初めて読む思いで読み進めたいと思っています。
(S)
「後期高齢者」たる私の身に、珍しく高揚感に浸る一と刻をお与えくださった神様に厚い感謝をお捧げして一文を綴ることに致します。
昭和14年の或る一日、私は一学生として国語担当の先生の前に呼び出されて説教を頂いて居ました。「方丈記は日本古典文学史上三大随筆の一つとして尊重されて居るんだよ。それに対して君の感想文は批判が強すぎる。こんな態度は良くない。」とのお言葉なのです。寡学非才の私はひたすらお詫びしてその場から逃れるばかりでした。当時の私の勉強ぶりと言えば、教科書に載って居る部分を暗誦し時々頭の中で反唱しては陶然たる気分を満喫する程度のものでした。
時は流れました。その間に日本は太平洋戦争に突進して敗北し軍国主義は影をひそめて純文学作品に謳歌できる喜びを味わえる日々が訪れるようになりました。
そして思いもかけない事に出会ったのです。昨年の11月下旬に手にした月刊誌「B」のあるページに私の目は釘付になりました。方丈記の冒頭部「ゆく河の流れは」と題したSという方の分が載って居るのです。私が若気の至りで鴨長明に「中途半端な世捨て人」と評して先生から叱られた事を思い出しながら夢中で読みました。私の何十倍も学問したS氏は「長明はオボッチャマで、努力しないで出世しようとした人間」と厳しい調子の言葉が縷々並べ立てられて居るのです。S氏は自分の意見の見解について友人に意見を請ったところ、大学の教授であるその友人は「学者にはそんな書き方は出来ないのだ。君の文をそのまま発表してくれ。」と嬉しそうな風情を見せたというのです。
私にしてみれば、正に価値観の逆転問題なのでした。この文を読んだ私は別に感情の動きも起きず、只々「時の流れ」というものに深く胸打たれる感慨しきりといったものだけです。そして今まで生かして下さった神様の愛の深さを改めて感じた事でありました。
(N)
ようやく家のまわりの雪がとけてきた3月半ば、念願の我が家のリフォームに取りかかり、5月末に引き渡されホッとしている所です。
そのリフォーム中のことです。リフォームが始まってすぐに、長男が「わ(俺)、現場監督やるじゃ」と笑いながら言ったのです。現場はたくさんの人たち(大工、水道、電気、クロス、ペンキ屋等々)が出入りします。朝は8時前から、夕方5時(時には7時過ぎ)まで大工さんたちや業者さんの出迎えや応対をし、その人たちの仕事ぶりを目の当たりにし、毎日のように感心しては家族に告げていました。自分の人生の中で経験したことのない、貴重な経験を雑然としたゴミの中で体験したのです。
特に注目したことは、大工さんたちと自然に話したいために、ここ数年止めていたタバコを「リフォームの間だけ」ということで再び吸い始めたのです。そしてほとんどの人たちと会話ができるようになったのです。そのことが働く人たちとの間や働く人と家族との間が和やかで明るい雰囲気の中で心の交流ができていったのです。
私は長男の決断と勇気ある行動を通して、このことは教会の伝道にもつながることではないかと思ったのです。一人でも多くの方が「教会ってどんな所かな」と、少しでも興味を持って、礼拝やフェスタ(バザー)、その他の集会に足を運んでくださる時、その貴重な時を教会員一人一人が素直に喜んで迎え、積極的に笑顔で話しかけようと心掛けるようにすれば、相手に良い印象を与え、そのことが結果に結びついてくるのではないかと思っています。
今回、ほとんど無理だろうと思っていた我が家のリフォームが実現したことを通して、「神様は各々の必要をご存じであり、その必要を満たしてくださる」という聖書のみ言葉を実感し、心から感謝の祈りをささげる者であります。
今回初めて投稿いたしました。これからもよろしくお願いいたします。
(E)