2月のはじめの日、本を渡すことを目的に友だちとランチの約束をし、楽しみにしていました。
前日から本を準備し、当日ウキウキした気持ちでレストランに向かいました。
乗ったバスがしばらく走ったところで突然、“アッ?!本を持って来るの忘れた”、衝撃でした!!友だちはその本を読むのを楽しみにしていたのです。引き返す余裕はないし“謝るしかない”とちょっと心が重くなりました。
テーブルに座って第一声、
「ごめんね。本、忘れてきちゃたの」。
しょぼんと言う私に、瞬時に返ってきた言葉は、
「あら、いいじゃない。神さまはもう1回会う機会をくださったのよ」。
思いがけない言葉。
友だちは、所属教会は私と違うけれど、クリスチャンです。
イエスさまを心に宿している方から出る言葉の温かさと優しさに、ホッと心の荷がおりました。
クリスチャンだったら、誰からもこのような言葉が返ってくる?イヤイヤそんなことはありません。
自分にとって不愉快、不利益な言葉や行為に対しては、自分の中の神さま、イエスさまは消えてしまい、反撃や防御に出るのはよくあることです。
私自身の姿でもあります。
そのレストランはグランドピアノがあり、ランチタイムには生演奏・弾き語りがあります。本を忘れたことに対し、嫌な顔をされたり、叱責されたのだったら、その日のアヴェ・マリアもアメージング・グレイスも違って聞こえたかも知れません。
心が温かくなったその日は、いつにも増して豊かなランチだったのでした。
『父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる』
マタイによる福音書5章45節
人間は誰しも何らかの欠けがありますが、どのような一人一人にも、分け隔てなく神さまは愛を注いでくださっていることを信じ、日々、『イエスさまを心に宿す』そのようになれるよう歩みたいです。(S. K.)