青森松原教会ホームページ

青森松原教会は126年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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メッセージ
教会からのメッセージです。
※ブログ等へのコメントについて※
最近、教会ホームページのコメント欄に、多くのスパムメール(ショップの案内等)が届くようになりました。最初はあっても一週間に1-2件だったのですが、ここ3日で500件近いスパムメールが届くようになり、対応に追われています。サーバー会社に問い合わせても、個々に対処するしかないとの回答でした。
せっかくのコメント欄を閉鎖したくはありませんので、今後コメントいただく際は「記事へのコメント」と、冒頭に記していただきますよう、よろしくお願いいたします。それ以外のコメントは一括削除されるよう設定させていただきます。

ブログ一覧

ビッグ・ニュースに思うこと

この6月、色々なニュースがありましたが、世界的にも大きかったニュースは、12日にシンガポールで行われた『米朝首脳会談』でしょう。
それまで、トランプ大統領と北朝鮮の金正恩最高指導者は、祖父と孫というほどの年齢の開きがありながら、お互いを罵り合い、脅かしあい、世界のニュースとなってきました。

漫才のように笑えているうちはよかったけれど、北朝鮮の度重なるミサイル発射の中で、この青森でも具体的避難の仕方が報道されました。私の姉は昭和10年生まれですが、そのことに対し、「アメリカが原爆を落とす戦力だった戦争時、日本は竹槍やバケツリレーの練習をしていた。政府の言うことなんか、全くあてにならないし嘘ばかり。ミサイルの避難なんか馬鹿馬鹿しい」と言ってましたが、私も賛同です。

そのうちに『戦争』に発展するかもという懸念が膨れてきて、日本政府は防衛に備え、一基700億円と言われるイージス・アショアを二基配備することを決めました。そればかりでなく上昇する日本の防衛費です。
戦争への備えを考えるのなら、その前にもっと平和への道を模索し、具体的に進めるのが世界の為政者のすることでしょうが、と思い続けてきましたが、驚いたことに戦争の発火点になるのではと目されていた、米朝の首脳が180度方向転換!!会談するというのです。思いがけないことでした。
どのように展開するのかはこれからです。直近のこととして、この会談が日本にとって、拉致被害者の帰国に繋がることを願っていますが、会談後日、北朝鮮メディアは「拉致問題は解決済みなのに、日本は引き続き持ち出して、自分たちの利益を得ようと画策している」とあからさまに悪しきを報道しました。これも、北朝鮮の作戦、駆け引きなんでしょうか。

世界中の国々の為政者が、幸せになる人など誰もいない(もしかしたら為政者と軍需産業当事者は幸せ?)軍備・防衛費に莫大な税金をつぎ込み、人々の不安をかき立て、軍備・防衛は必然と信じ込ませています。
トランプ大統領と金正恩最高指導者に振り回されてきた、これからも振り回されるであろう世界の人々。ことはそんなに単純でないことを知りながら、米朝首脳会談が世界の国々の平和への一つのキッカケになることを願っています。

戦争や内戦のない世の中になることを願う者として、自分の毎日の中で求められていることは、人を排他せずに受け入れていくことと思っています。イエスさまがそうされたように。気に入った人や自分の益になる人とだけではなく、どんな人をもとなると“そんなこと出来るわけないじゃない。人間だもの”と言いたくなりますが、イエスさまは愛でそのことをされ続けました。苛立ち、葛藤しながらもイエスさまの愛を、自分の中に少しでも蓄えていくような生き方をしたいと願っています。(S.K.)

わたしの恵みはあなたに十分である

「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ、十分に発揮されるのだ」
コリントの信徒への手紙二 12章9節

私には弱さがあります。

特に色々奉仕したあと、疲れからでしょうか、うつになったり、思うように活動できなくなります。調子よくやっていると、なぜか、急にできなくなります。有頂天になっていたのでしょうか。それとも傲慢でしょうか。

神様にどうしてですか? と祈ると、コリント信徒への手紙二 9節の御言葉が心にひびいて来ます。この御言葉はパウロに与えられた御言葉です。パウロでさえ弱さ以外は誇るまいと言っています。

私も誇るまい。

私は統合失調症という病をもっています。でも、神様は私の恵みはあなたに十分であると言っておられます。感謝しています。

アーメン。(N.T.)

マグダラのマリアを想う

○自分の年齢を考えると、「いつ死んでもおかしくないトシになった」と思いつつも「もっと生きる」ことも悪くないなあとの思いも止むことのない私。今回4月号の『信徒の友』を手にして、「マグダラのマリア」(太田智子姉・著)の記事を見出して、この思いはさらに強められました。

○私がキリスト教に結ばれたのは、小学校時代の遥かな昔のことでした。途中に信仰の厚薄を幾度も繰り返しつつ今日に到っています。一昨年、五所川原教会で行われた日野原重明兄の講演会で、以前お世話を頂いた牧師さんとお会いした時「奈良さん、洗礼受けたの?」と不思議がられた程なのです。

○どういう事なのか我ながら不思議でならないのですが、聖書の中の人物で頭に濃く焼き付いているのが、マグダラのマリアなのです。この人の行跡などひとつも知らなくて唯、娼婦をした人、という事だけが強く焼き付いているのです。娼婦という事がどんなことなのか全くわからない頃からの出来事なのです。太田姉の説明によるとマグダラのマリアを題材とした絵画が、世界中の著名な美術館の華的な存在として扱われているのも私の好奇心を誘っている気もしますが。ルネッサンスの波に乗った点も幸いしているのでしょうか。

○十字架上で刑死なされたイエス様が神として復活されたお姿を見せたのが最初に「マグダラのマリア」だったというエピソードを「さも有りなん」と私たちの信仰を肯定させる力を示しているのではないでしょうか。

各美術館の推挙により娼婦という過去が正され「『使徒の中の使徒』として位置付けられている」の結びの言葉は私の祝福の言葉としても満足できる気持ちでこの文を終わる事に致します。(K.N.)

穴があったら入りたい話

青森松原教会では、毎週水曜日の10時30分から『聖書を学び祈り合う会』を行っています。祈祷会のことです。どなたでも参加することはできますが時々休会になることもありますので、いらっしゃる際には、教会ホームページで確認されたり電話で問い合わせなさったりする方が間違いないと思います。

新しくいらした半澤洋一牧師と、旧約聖書のなかにあるヨブ記を学んでいます。

4月25日(水)は、ヨブ記の2章4節~13節で、『「幸(さいわ)い」とは何か』というテーマで学びました。財産、家族、健康など「所有する幸い」ではなく神さまと人間との「関係の幸い」が大切なのです。主イエス・キリストも山上の説教などで、神との関係を結ぶことの幸いを説いています。聖書は旧約聖書、新約聖書のふたつから構成されている、神と人間との関係の書です。その関係が破れることが、人間の「罪」です。

私は前日に大型ジッパー・サムインデックスつき聖書を買ったばかりなので、喜んでその聖書を持って教会に行っていました。もちろん前の聖書も一緒です。まだ新旧の聖書の引き継ぎは済んでいません。善隣館書店さんの定期便で4月24日(火)に教会に届けていただいたのです。

老眼で聖書の字が見にくくなっていたので思い切って大判タイプを買ってみました。A5判に印刷された10ポイントの字はとても見やすいものでしたが、25日の祈祷会のテーマとは相反することをしたように感じられ、穴があったら入りたいと思いました。まさに「所有する幸い」であると感じたのです。

極度の近眼なので新しく遠近両用眼鏡を作るとすると100,000円以上かかります。多くの場合は数万円で済むらしいのですが。そう考えると新しい聖書は7,776円で安いと思いました。だから所有欲にとらわれた幸いではないと思うのですが、違うような気もします。

4月22日(日)の礼拝後、女性の会の4月の定例会がありました。牧師さんも参加されて「日本ではキリスト教徒の寿命は洗礼を受けても2・3年という場合が多い」とお聞きしました。4月18日(水)の祈祷会では「私たちの神さまをつかむ握力は弱く信仰を放してしまいそうになるが、神さまの握力は強く、信仰に私たちを導いて下さる」と学びました。   私は2012年から教会に通い始め2年後に洗礼を受けました。2018年度は洗礼を受けてから5年目に入ります。ちょうど最も信仰を投げ出しやすい時期になりました。投げ出さず、淡々と礼拝を捧げたいと思います。 (M.T.)

ある本との出会い

この本と出会ったのは2018年3月。

書名『津軽を拓いた人々 ―津軽近代化とキリスト教―』
興味をそそられて開いて見ると、「相澤文蔵著 弘前学院出版委員会編」とあった。
弘前学院は私の出身校だった。

この本について:
本書は、相澤文蔵(1912~1993)による「津軽の近代化とキリスト教」と題する『陸奥新報』に掲載された111回にわたる連載記事を集成したものである。昭和59(1984)年11月から昭和61(1986)年12月までの2年余に及ぶ毎週土曜日に掲載された。著者は全連載をファイルし訂正、補充のペンを入れていた。本書はその修正・補充を典拠にした。

プロテスタントと近代化について:
プロテスタントの初期メソジスト派の牧師の大半は津軽出身者であった。その中心人物が本多庸一(1848~1912)であり、その後続者たちは本多庸一の分身であるかのようだった。彼らはキリスト教を基礎として政治・経済・教育・産業などの各界で活躍した。初期メソジスト派の活動の特色の一つは外人宣教師の多大な協力により、伝道所、教会、学校の創設にある。その中の学校は公立、官立でなく弘前女学校(現・弘前学院大学と聖愛高校の前身)や東奥義塾という私立学校であった。(以上は、笹森建英氏の解題よりの抜粋)

この本を読んで感じた事は読みやすく、飽きさせず、写真も多く、次のページをめくることが楽しかった。私にしては珍しく数日で読み終えた。今まで知らなかった“ 津軽のキリスト教の歴史”について学ぶことが多くあった。

皆さん!!  是非、この本を手に取り読んで見てはいかがですか!!
(この本との出会いによって、何かが変わるかも!?) (R. E.)