青森松原教会ホームページ

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ある本との出会い

この本と出会ったのは2018年3月。

書名『津軽を拓いた人々 ―津軽近代化とキリスト教―』
興味をそそられて開いて見ると、「相澤文蔵著 弘前学院出版委員会編」とあった。
弘前学院は私の出身校だった。

この本について:
本書は、相澤文蔵(1912~1993)による「津軽の近代化とキリスト教」と題する『陸奥新報』に掲載された111回にわたる連載記事を集成したものである。昭和59(1984)年11月から昭和61(1986)年12月までの2年余に及ぶ毎週土曜日に掲載された。著者は全連載をファイルし訂正、補充のペンを入れていた。本書はその修正・補充を典拠にした。

プロテスタントと近代化について:
プロテスタントの初期メソジスト派の牧師の大半は津軽出身者であった。その中心人物が本多庸一(1848~1912)であり、その後続者たちは本多庸一の分身であるかのようだった。彼らはキリスト教を基礎として政治・経済・教育・産業などの各界で活躍した。初期メソジスト派の活動の特色の一つは外人宣教師の多大な協力により、伝道所、教会、学校の創設にある。その中の学校は公立、官立でなく弘前女学校(現・弘前学院大学と聖愛高校の前身)や東奥義塾という私立学校であった。(以上は、笹森建英氏の解題よりの抜粋)

この本を読んで感じた事は読みやすく、飽きさせず、写真も多く、次のページをめくることが楽しかった。私にしては珍しく数日で読み終えた。今まで知らなかった“ 津軽のキリスト教の歴史”について学ぶことが多くあった。

皆さん!!  是非、この本を手に取り読んで見てはいかがですか!!
(この本との出会いによって、何かが変わるかも!?) (R. E.)

青森の春

3月。
雪、雪、雪。
そして、家の前が回廊状態になりました。

時々、小雨交じりの雪と雨に洗い流されて、日毎に雪が消えてゆきましたね。
やっと、春です。

春が着た、春が来た。
春が来たを実感いたします。

菊が今年の春芽を宿して、芽を出しました。
チューリップも、つぼみを持っています。
カサブランカの球根は、ビニール袋に入ったまま玄関でひと冬をすごしました。
腐りもせず、凍ることもなく、元気に根を出し、芽もついて育っています。

私たちクリスチャンは、どんな花を咲かせ、実をつけるのでしょうか?
お楽しみに10人10色、人さまざま、それぞれに・・・。

ハレルヤ、ハレルヤ。ハレルヤおばさんより(Y. K.)

受難節を迎えて

教会の暦は受難節〈レント〉を迎えました。 十字架につけられたイエス・キリストの苦しみを偲びつつ、 復活節に向けて心の備えをする期間を過ごしています。

キリスト教作家である三浦綾子の著作から、心に響く366の言葉 (名言)を収録した『三浦綾子366のことば』(森下辰衛監修、 日本キリスト教団出版局、2016年)を読みました。その中に、 受難節にふさわしい次のような言葉がありました。

「もしイエスがいかに偉大な人物であっても、 十字架上に人類の罪を負わなかったとすれば、 世界の歴史を変えるような存在にはならなかったであろう。また、 イエスの死が単なる死であり、その死ですべてが終わりであれば、 今日までの二千年、キリスト教は続くことはなかったであろう。 キリスト教の中心はこの十字架の死と、そして、 生前イエス自ら預言されていたように、三日目に甦ったという、 復活の事実なのである。」(三浦綾子『新約聖書入門』)

神はご自身の形に似せて、人間を創造されましたが、 人間は神から離れ、 神に背いて自己中心に生きるようになりました。 それが人間の罪です。しかし神は独り子イエス・ キリストをこの地上に送り、み子の十字架の死によって罪を赦し、 私たちを神との親しい交わりの中に生きるように変えてくださいま した。

三浦綾子『氷点』(1965年)は、 すべての人間が持っている罪、「原罪」 をテーマとして書かれています。また、続編である『続氷点』(1 971年)のテーマは、「罪の赦し」です。
1972年頃、三浦綾子さんの講演を聞きました。「 人間の罪はとても大きいのです」と、両手を広げて、 罪の深さについて語られた綾子さんの信仰の証しが印象的に思い起 されます。

私たちの罪を悔い改めて、神の愛に感謝しましょう。
心から感謝と喜びをもって、復活日(イースター) を迎えることができるようにと祈ります。(M.N.)

最後のゴスペルが3月10日(土)にあります

大澤先生が異動なさることになりましたので最後になるゴスペルの夕べが、2018年3月10日(土)16時から青森松原教会であります。
ゲストの方もいらっしゃるようなので、どうぞ皆さまおいでください。

2014年の夏に先生がアメリカ研修旅行に行かれて、そこで「ゴスペル」を用いた礼拝によって教会が元気になり、さらにはそれが地域にまで広がり、「ゴスペルの力」が地域の活性化につながっている様子を目の当たりにしていらしたそうです。それ以来、自分の教会でもゴスペルをやりたいと考え、2015年の4月から現実化しました。

その「ゴスペルの夕べ」が最後を迎えることとなりました。
どうか皆さま、ぜひおいでください。(K. N.)

イエスさまを心に宿す

2月のはじめの日、本を渡すことを目的に友だちとランチの約束をし、楽しみにしていました。

前日から本を準備し、当日ウキウキした気持ちでレストランに向かいました。
乗ったバスがしばらく走ったところで突然、“アッ?!本を持って来るの忘れた”、衝撃でした!!友だちはその本を読むのを楽しみにしていたのです。引き返す余裕はないし“謝るしかない”とちょっと心が重くなりました。

テーブルに座って第一声、
「ごめんね。本、忘れてきちゃたの」。

しょぼんと言う私に、瞬時に返ってきた言葉は、
「あら、いいじゃない。神さまはもう1回会う機会をくださったのよ」。

思いがけない言葉。

友だちは、所属教会は私と違うけれど、クリスチャンです。
イエスさまを心に宿している方から出る言葉の温かさと優しさに、ホッと心の荷がおりました。

クリスチャンだったら、誰からもこのような言葉が返ってくる?イヤイヤそんなことはありません。
自分にとって不愉快、不利益な言葉や行為に対しては、自分の中の神さま、イエスさまは消えてしまい、反撃や防御に出るのはよくあることです。
私自身の姿でもあります。

そのレストランはグランドピアノがあり、ランチタイムには生演奏・弾き語りがあります。本を忘れたことに対し、嫌な顔をされたり、叱責されたのだったら、その日のアヴェ・マリアもアメージング・グレイスも違って聞こえたかも知れません。
心が温かくなったその日は、いつにも増して豊かなランチだったのでした。

『父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる』
マタイによる福音書5章45節

人間は誰しも何らかの欠けがありますが、どのような一人一人にも、分け隔てなく神さまは愛を注いでくださっていることを信じ、日々、『イエスさまを心に宿す』そのようになれるよう歩みたいです。(S. K.)

汝(なんじ)の敵を愛せ

「汝の敵を愛せというのは、抽象的な博愛主義ではない。敵を憎むと認識が歪み、正確な判断ができなくなる。敵には敵の内在的論理がある。敵を愛すことによってその論理が見えてくる。当然、適正な対応策を立てることができる。功利主義的観点からも人を愛することは重要なのである。」

週刊現代1月21日号の、佐藤優(まさる)氏の書評の一部分である。彼は日本基督教団加茂教会に所属されているそうだ。

『宗教改革から明日へ』というチェコスロバキアのプロテスタント神学者ヨゼフ・フロマートカ(1889年~1969年)著の神学テキストを日本語訳した本の書評である。佐藤氏は外交官であったがこのフロマートカの神学に出会わなければ外交官になることもなかったそうである。また後年鈴木宗男事件に連座し逮捕され、512日間拘留されても自らの尊厳を失うことなく闘うことができたのは、フロマートカの神学的思考を体得していたからだそうである。

この本はフロマートカが、1956年に社会主義体制下のチェコスロバキアで刊行した論文集である。1991年12月にソ連崩壊は起こるが、それより前に生きたフロマートカは社会主義の中キリスト教を信ずる者として二級市民とされ、制限を受けた。その中でフロマートカは前向きに生き、抑圧を受ければ受けるほど人は平時には思いもつかなったことを考えるとして神学に取り組むのである。
佐藤氏は語る。

「人間は様々な失敗をする。しかし、心配することはない。そのような失敗をした人間を神は必ず追いかけてきて、適切な働きかけをするからだ。(中略)神は人間の悲惨さの最も深い深淵に独り子であるイエス・キリストを派遣したというのがフロマートカの確信だ。日常言語に翻訳すると、どん底のような場所でこそ外部からの働きがあって生きる力が湧いてくるということだ。家庭や仕事で辛いことや苦しいことがあったときも心配することはない。そこから立ち直る根源的な力が外部から準備されている。」

「信仰を持つ者は常に前を見る」というのがフロマートカの座右の銘であった。佐藤氏によると前を見るということは未来に対する責任を負うということなのだそうである。

信仰を持つ者は常に前を見て、信仰に生きるのだ。(M.T.)

ゴスペルフラのプレゼント

青森松原教会では、2017年11月11日(土)、特別企画として「ゴスペルの夕べ with ゴスペルフラ」を行いました。

東京から牧師である共に、多くの会社・研修業界の匠たちから「マインド形成のマサ」と呼ばれ、圧倒的な支持を得ている有名講師のマサさんこと篠田真宏牧師と、ハワイでフラダンスを専門的に学ばれたご息女 灯(あき)姉をお招きし、ゴスペル音楽とフラダンスを融合したイベントを行いました。「ゴスペルフラ」とは、基本的にハワイアンとアメリカの手話を組み合わせたもので、ハワイの教会ではフラを通して神様を賛美しています。

私はこのイベントに参加して初めて真近にフラに接し、その踊りの中に神からの恵みに対する感謝の心が満ち溢れていて、魅了されてしまいました。イベントの最後に、参加者全員に簡単な振りをご指導していただき、私の心は本当に「喜び」で一杯になりました。

2018年の年頭に、昨年の行事を振り返った時、「ゴスペルフラ」のイベントが一番心に残っていたのです。この素晴らしい神さまからのプレゼント「ゴスペルフラ」は、私に「感謝」と「希望」を与えてくれ、新しい年の歩みの上に活力が与えられたように思います。

これからの一年、様々な出来事が周囲に起っても、常に神さまに顔を向け、信仰の友である兄弟姉妹たちと共に手を取り、助け合いつつ、懸命に信仰の道を前進して行きたいものと決意を新たに致しました。(R.E.)

今日はクリスマス・イブ

今日は、クリスマス・イヴです。
教会では、本当のクリスマスの意味が聞けますよ。
一緒に、クリスマスをお祝いしましょう。

 私は、クリスチャンホームに生まれ、子どもの頃から教会に行くことがあたりまえでした。クリスマスには、教会学校の子どもたちがページェントを演じ、イエス様のご降誕をみんなでお祝いします。神様は、ひとり子イエス様をこの世にくださったほど、この世を愛しておられます。また、目には見えませんがいつも共にいてくださいます。
この機会に、是非教会へおいでください。(Y. K.)

10:30~クリスマス礼拝・礼拝後クリスマス祝会(参加費500円)
18:30~イヴ聖夜礼拝(竹澤聡子氏のフルート奉献演奏)・礼拝後お茶会(参加費無料)

今年のクリスマス・ページェント

 今年度、子どもの教会では、礼拝に出席する子どもは、多いときは1~3人でしたが、0の時がほとんどでした。しかし、平日の放課後、近隣の小学生がたくさん教会に遊びに来て、全部で30人ほどになりました。

 その教会に遊びに来る子どもたちの中で、3人の子どもたちが、ページェントに参加してくれることになりました。まず、毎月第三土曜日に行われている土曜子ども集会の11月の集会に初めて参加してくれました。クリスマス物語を知らない子どもたちに、アニメーションのDVDを観せたり、絵本を読んだりして教えました。その後、日曜日の子どもの礼拝に出席してくれようになって、劇の練習をしてきました。

 教会に来てまだ日が浅いために、クリスマスの出来事を理解出来ていないところがあると思いますが、役を演じて体験して、その子なりに心に刻んで欲しいと願っています。

 クリスマス・ページェントは観る人のための劇というより、演じる子どもたちのものと考えます。クリスマス礼拝後、祝会の中でクリスマス・ページェントは行われます。(S.Y.)

ある朝

三本仕立ての黄色の菊の花に雪が積もっていました。
しばし観とれておりました。
観ている分には風情のあるものですが、花びらが凍てついてお気の毒。
そこで、パン、パン、パンと茎をはじいて雪を払い落してやりました。
良く観ると根もとに新芽が一株できておりました。
来年春までそのまましておいて、ふやそうか?
それとも、この一株を切って一本仕立ての大輪を咲かせるか?

あれこれ迷った末、菊の新芽の生命力を信じてそのままにしておくか。
そうです。あるがままのわれを呼ぶ、御もとに我ゆく、ですね。
(来年は三本仕立てではなく、四本仕立ての大輪の菊の花が咲くはずです。)

ハレルヤおばさんのズボラ園芸だよりでした。(Y. K.)