青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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未分類

2025年11月30日 説教録音

讃美歌21 440番 「備えて祈れ」
説教題「我らの罪を赦したまえ」  説教者 池田 慎平 牧師 
聖書 詩編103編8-13節 マタイによる福音書18章21-35節 
讃美歌21 513番 「主は命を」  

バリデーションのテクニック9「はっきりとした低い、優しい声で話す」

荒々しい口調は、見当識障害のある人を怒らせたり、引きこもらせたりします。また、はっきりしない高い声は、多くの高齢者にとって大変聞き取りにくいものです。はっきりとした低い声で、思いやりをこめた調子で話すことはとても重要です。時に思いやりのある優しい声が、愛した人の記憶を呼び戻し、ストレスを減らします。

 たとえば、「日時、季節の混乱」と「繰り返し動作」のステージにいる認知症の方が亡くなった奥さんを恋しがり、夜中に探して徘徊している場合、介護者は、はっきりとした低い、優しい声でここにいないことを話し落ち着かせます。また、高齢者と会話する場合は、はっきりとした低い声で話すようにしましょう。
 以上、今回は「はっきりとした低い、優しい声で話す」についてお伝えしました。寒くなり、インフルエンザも流行しています。暖かくして体調に気を付けてお過ごしください。         (Y・K)

2025年11月23日 説教録音

讃美歌21  56番 主よ、いのちのパンをさき 
説教題「日毎の糧を与えたまえ」  説教者 池田 慎平 牧師 
聖書 イザヤ書55章1-5節 マタイによる福音書6章25,26節 
讃美歌21 532番 やすかれ、わがこころよ 

2025年11月16日 説教録音

讃美歌21 6番 つくりぬしを賛美します 
説教題「光あれ」  説教者 池田 慎平 牧師 
讃美歌21 509番 光の子になるため 

2025年11月9日 説教録音

讃美歌21 521番 とらえたまえ、われらを 
説教題「天になるごとく地にも」  説教者 池田 慎平 牧師
聖書 創世記45章1-8節 マルコによる福音書14章32-42節 
讃美歌21 393番 こころを一つに 

わたしの好きな祈り

 今日はわたしが日々の生活の中で折に触れて祈っている『平和の祈り』(アシジの聖フランシスコの祈り)を紹介したいと思います。

  主よ わたしをあなたの平和の道具としてお使いください
   憎しみのあるところに愛を
   いさかいのあるところにゆるしを
   分裂のあるところに一致を
   疑いのあるところに信仰を
   誤りのあるところに真理を
   絶望のあるところに希望を
   闇に光を
   悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください
   慰められるよりは慰めることを
   理解されるよりは理解することを
   愛されるよりは愛することをわたしが求めますように
   わたしたちは与えるから受け ゆるすからゆるされ
   自分を捨てて死に 永遠のいのちをいただくのですから

(S.S)

2025年10月26日 説教録音 

讃美歌21 459番 飼い主わが主よ 
説教題「なもわも尊い!」  説教者 池田 慎平 牧師 
聖書 イザヤ書43章1-7節 ルカによる福音書15章1-10節 
讃美歌21 470番 やさしい目が  

2025年10月12日 説教録音

讃美歌21 451番 くすしきみ恵み
説教題「輝かしいものに復活する」  説教者 池田 慎平 牧師 
聖書 コリントの信徒への手紙一 15章35-58節 
讃美歌21 518番 主にありてぞ 

C h a t G P T ( チャットG P T )初心者です

 今の時代、生活の仕方が目まぐるしくI T に置き換わっていますね。スーパーに行けば、セルフレジも多くなってきたし、クリニックに行けばマイナンバーカードを器械に入れて操作しなければなりません。スマホを持つのも当たり前になりました。
 今や生活のあらゆる場面が、スマホ上の操作でこと足りるようになりましたが、高齢者は追いつけません。因みに12月に80歳になります。
 追いつけない中で、9月下旬にスマホにC h a t G P T をインストールしました。それまでも何か分からないことがあると『検索』機能で解決してきました。私は国語辞典、英語辞書持っていません。検索で事足りるからです。クロスワード・パズルも答えに窮するときは検索します。
  C h a t G P Tも『検索』機能のようなものかと思って使い出したら、驚き!!対面で接しているような応答が返ってくるのです。

 世界ニュースでは毎日のように戦地の映像が入ってきます。一日も早く戦争が終わるように毎日祈っています。そんな中で先日、C h a t G P Tに次のような問いをしました。
『愛はどの宗教にとっても基盤だと思うのですが、ロシア正教のプーチン、ユダヤ教のネタニヤフが究極の残酷さを行使できるのはなぜ?』
 その応答は次のようなものでした。
『とても鋭く、根源的な問いですね。あなたが感じている矛盾–「愛を説く宗教」と「暴力や残酷さを行使する宗教者あるいは信仰者」の乖離–は歴史の中でも繰り返し問われてきたテーマです。いくつかの視点からこの問題を整理してみます。

1.宗教と政治は同一でない。
基本的な前提として、「宗教」と「政治的指導者の行動」は必ずしも一致しません。    
 ・プーチンがロシア正教を利用して国家権力を強化していることと、彼の行動がキリスト教的愛に基づいているかどうかは別問題です。
 ・ネタニヤフがユダヤ教国家の首相でありながら軍事行動を正当化する場合も、彼個人や国家の戦略が宗教の本質と一致しているとは限りません。
つまり、「宗教を掲げている=宗教の教えに従っている」のではないのです。
2.宗教はしばしば「道具」として使われる。
    宗教は、人の心を動かす強力な力を持っています。だからこそ、権力者はそれを利用することがあります。
  ・ロシア正教はロシアにおける「国家の精神的な柱」とされ、プーチン政権はそれを利用して 「神聖な使命」としてその戦争を演出することがあります。

 ・イスラエルにおいても、ユダヤ教的な「約束の地」や「民族の生存」を口実に、軍事的行動を正当化する政治的言説があります。
    ここで重要なのは、宗教の「本来の教え」ではなく、その「解釈と利用」が問題であるということです。

応答はこの後、
3.宗教そのものにも排他的側面があることがある。
4.「愛」だけでは国家や戦争を説明できない。
5.歴史的にも「宗教と暴力」は共存してきた。
 と続くのですが、各項目の説明は紙面がないので割愛します。
最後に『あなたが感じているこの矛盾や苦しみは、多くの人が感じている現代のジレンマです。だからこそ、それを考え、問い続けること自体に大きな意味があります。』で終わっていました。
 『考え、問い続けること自体に大きな意味がある』。祈りつつ、このことを大事にしたいと思います。これからもC h a t G P T は、有能な講師(?)、頼りがいがある相談相手(?)になってくれるでしょう。決してこちらを否定したり、上から目線がないのも嬉しいし、途中で質問挟むのも自由ですから。
 C h a t G P Tにチャレンジしてみませんか、面白いですよ。 (○村○子) 

2025年10月5日 説教録音

説教題「慰めの共同体・教会」  説教者 池田 慎平 牧師
聖書 マタイによる福音書11章25-30節 
   使徒言行録2章43-47節 
讃美歌21 402番 いともとうとき