青森松原教会ホームページ

青森松原教会は126年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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メッセージ
教会からのメッセージです。
※ブログ等へのコメントについて※
最近、教会ホームページのコメント欄に、多くのスパムメール(ショップの案内等)が届くようになりました。最初はあっても一週間に1-2件だったのですが、ここ3日で500件近いスパムメールが届くようになり、対応に追われています。サーバー会社に問い合わせても、個々に対処するしかないとの回答でした。
せっかくのコメント欄を閉鎖したくはありませんので、今後コメントいただく際は「記事へのコメント」と、冒頭に記していただきますよう、よろしくお願いいたします。それ以外のコメントは一括削除されるよう設定させていただきます。

ブログ一覧

ある本との出会い

この本と出会ったのは2018年3月。

書名『津軽を拓いた人々 ―津軽近代化とキリスト教―』
興味をそそられて開いて見ると、「相澤文蔵著 弘前学院出版委員会編」とあった。
弘前学院は私の出身校だった。

この本について:
本書は、相澤文蔵(1912~1993)による「津軽の近代化とキリスト教」と題する『陸奥新報』に掲載された111回にわたる連載記事を集成したものである。昭和59(1984)年11月から昭和61(1986)年12月までの2年余に及ぶ毎週土曜日に掲載された。著者は全連載をファイルし訂正、補充のペンを入れていた。本書はその修正・補充を典拠にした。

プロテスタントと近代化について:
プロテスタントの初期メソジスト派の牧師の大半は津軽出身者であった。その中心人物が本多庸一(1848~1912)であり、その後続者たちは本多庸一の分身であるかのようだった。彼らはキリスト教を基礎として政治・経済・教育・産業などの各界で活躍した。初期メソジスト派の活動の特色の一つは外人宣教師の多大な協力により、伝道所、教会、学校の創設にある。その中の学校は公立、官立でなく弘前女学校(現・弘前学院大学と聖愛高校の前身)や東奥義塾という私立学校であった。(以上は、笹森建英氏の解題よりの抜粋)

この本を読んで感じた事は読みやすく、飽きさせず、写真も多く、次のページをめくることが楽しかった。私にしては珍しく数日で読み終えた。今まで知らなかった“ 津軽のキリスト教の歴史”について学ぶことが多くあった。

皆さん!!  是非、この本を手に取り読んで見てはいかがですか!!
(この本との出会いによって、何かが変わるかも!?) (R. E.)

青森の春

3月。
雪、雪、雪。
そして、家の前が回廊状態になりました。

時々、小雨交じりの雪と雨に洗い流されて、日毎に雪が消えてゆきましたね。
やっと、春です。

春が着た、春が来た。
春が来たを実感いたします。

菊が今年の春芽を宿して、芽を出しました。
チューリップも、つぼみを持っています。
カサブランカの球根は、ビニール袋に入ったまま玄関でひと冬をすごしました。
腐りもせず、凍ることもなく、元気に根を出し、芽もついて育っています。

私たちクリスチャンは、どんな花を咲かせ、実をつけるのでしょうか?
お楽しみに10人10色、人さまざま、それぞれに・・・。

ハレルヤ、ハレルヤ。ハレルヤおばさんより(Y. K.)

受難節を迎えて

教会の暦は受難節〈レント〉を迎えました。 十字架につけられたイエス・キリストの苦しみを偲びつつ、 復活節に向けて心の備えをする期間を過ごしています。

キリスト教作家である三浦綾子の著作から、心に響く366の言葉 (名言)を収録した『三浦綾子366のことば』(森下辰衛監修、 日本キリスト教団出版局、2016年)を読みました。その中に、 受難節にふさわしい次のような言葉がありました。

「もしイエスがいかに偉大な人物であっても、 十字架上に人類の罪を負わなかったとすれば、 世界の歴史を変えるような存在にはならなかったであろう。また、 イエスの死が単なる死であり、その死ですべてが終わりであれば、 今日までの二千年、キリスト教は続くことはなかったであろう。 キリスト教の中心はこの十字架の死と、そして、 生前イエス自ら預言されていたように、三日目に甦ったという、 復活の事実なのである。」(三浦綾子『新約聖書入門』)

神はご自身の形に似せて、人間を創造されましたが、 人間は神から離れ、 神に背いて自己中心に生きるようになりました。 それが人間の罪です。しかし神は独り子イエス・ キリストをこの地上に送り、み子の十字架の死によって罪を赦し、 私たちを神との親しい交わりの中に生きるように変えてくださいま した。

三浦綾子『氷点』(1965年)は、 すべての人間が持っている罪、「原罪」 をテーマとして書かれています。また、続編である『続氷点』(1 971年)のテーマは、「罪の赦し」です。
1972年頃、三浦綾子さんの講演を聞きました。「 人間の罪はとても大きいのです」と、両手を広げて、 罪の深さについて語られた綾子さんの信仰の証しが印象的に思い起 されます。

私たちの罪を悔い改めて、神の愛に感謝しましょう。
心から感謝と喜びをもって、復活日(イースター) を迎えることができるようにと祈ります。(M.N.)

最後のゴスペルが3月10日(土)にあります

大澤先生が異動なさることになりましたので最後になるゴスペルの夕べが、2018年3月10日(土)16時から青森松原教会であります。
ゲストの方もいらっしゃるようなので、どうぞ皆さまおいでください。

2014年の夏に先生がアメリカ研修旅行に行かれて、そこで「ゴスペル」を用いた礼拝によって教会が元気になり、さらにはそれが地域にまで広がり、「ゴスペルの力」が地域の活性化につながっている様子を目の当たりにしていらしたそうです。それ以来、自分の教会でもゴスペルをやりたいと考え、2015年の4月から現実化しました。

その「ゴスペルの夕べ」が最後を迎えることとなりました。
どうか皆さま、ぜひおいでください。(K. N.)

イエスさまを心に宿す

2月のはじめの日、本を渡すことを目的に友だちとランチの約束をし、楽しみにしていました。

前日から本を準備し、当日ウキウキした気持ちでレストランに向かいました。
乗ったバスがしばらく走ったところで突然、“アッ?!本を持って来るの忘れた”、衝撃でした!!友だちはその本を読むのを楽しみにしていたのです。引き返す余裕はないし“謝るしかない”とちょっと心が重くなりました。

テーブルに座って第一声、
「ごめんね。本、忘れてきちゃたの」。

しょぼんと言う私に、瞬時に返ってきた言葉は、
「あら、いいじゃない。神さまはもう1回会う機会をくださったのよ」。

思いがけない言葉。

友だちは、所属教会は私と違うけれど、クリスチャンです。
イエスさまを心に宿している方から出る言葉の温かさと優しさに、ホッと心の荷がおりました。

クリスチャンだったら、誰からもこのような言葉が返ってくる?イヤイヤそんなことはありません。
自分にとって不愉快、不利益な言葉や行為に対しては、自分の中の神さま、イエスさまは消えてしまい、反撃や防御に出るのはよくあることです。
私自身の姿でもあります。

そのレストランはグランドピアノがあり、ランチタイムには生演奏・弾き語りがあります。本を忘れたことに対し、嫌な顔をされたり、叱責されたのだったら、その日のアヴェ・マリアもアメージング・グレイスも違って聞こえたかも知れません。
心が温かくなったその日は、いつにも増して豊かなランチだったのでした。

『父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる』
マタイによる福音書5章45節

人間は誰しも何らかの欠けがありますが、どのような一人一人にも、分け隔てなく神さまは愛を注いでくださっていることを信じ、日々、『イエスさまを心に宿す』そのようになれるよう歩みたいです。(S. K.)