青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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ブログ

サンタクロースの起源

昨年1223日「日本経済新聞」のコラムに、日本のサンタクロースの起源に関する、次のような記事が載っていました。 

「わが国にはじめてサンタクロースがお目見えしたのは1874、とする説がある。のちに[免囚保護の父]などと呼ばれる原胤昭(たねあき)が、キリスト教の洗礼を受けた感謝を表すためクリスマスの催しを開いた際のこと、という。サンタ役は日本風の衣装をまとったそうだ。・・・」(2016/12/23付 日本経済新聞 朝刊 社説・春秋)

続いてコラムの記者は、原胤昭の生涯と働きについて紹介し、「キリスト教徒でなくても、その生きざまには胸が熱くなる。」と述べています。

この記事をもとに、原胤昭について調べてみました。

原胤昭(1853年―1942)は、明治時代のクリスチャンの実業家、浮世絵商でした。社会活動にも携わり、目ざましい足跡を残しました。

1874(明治7)、東京築地にあった東京第一長老教会(長老派の教会)で宣教師より洗礼を受けました。

同年、東京銀座にキリスト教書店の「十字屋」を創業しています。

 

監獄(刑務所)の改良に努め、みき夫人に支えられて、出獄した人たちを保護(免囚保護)しました。

児童虐待の防止や孤児の保護、貧困層のための住宅事業にも尽力しました。

信仰に立って世に仕えた、信仰の先輩たちを覚えることができました。感謝します。

(M.N.)

クリスチャンホーム

私はクリスチャンホームで生まれ、父も母もクリスチャンですが、父は4年ほど前に亡くなり、母は老人ホームに入り、今私は一人でアパートに暮らしています。

父が私に教育した事、母が私に教えた事は、今も私の心の中に残っていて、生活する中でどうしようか悩んでも父母の教えを思い出し、又インマヌエルの神に祈りつつ歩んでいます。

毎日聖書を読んでいると知恵が与えられますが、特に箴言を読んで教えられます。

「心を尽くして主に信頼し、自分の分別に頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」(箴言3:5-6)

この神様のお言葉に頼り見上げて今年一年も主と共に歩んで生きたいと思います。そして今も父の思い出を胸に、母の存在と共に生きていきたいと思います。だから我が家は今もクリスチャンホームです。

(N.T.)

ハレルヤおばさんの一日

私は藤田組通りに面した栄町2丁目の遊歩道から諏訪神社の裏の橋を通って青森松原教会へ行きます。

11月の末のこと、桜の落ち葉がふかふか、雨と雪で歩くと少しじょぼじょぼ、ふかふか足をふみならし、ふかふか、じょぼじょぼしていると桜の葉っぱの香りが辺り一杯広がりました。

なんていい香りでしょうか。ルンルンです。

色とりどりの紅葉、紅、黄色、だいだい色。絵にも描けない美しさって本当?

絵心のある方、パッチワークの好きな方、オススメのコースだと思います。

葉っぱのフレディはカエデでしたが、こちらは桜で香りつき、春には花吹雪も見物です。ふかふかの葉っぱの下では春の準備の真最中。吹雪ではなく、花と光をください。

(Y.K.)

追悼 渡辺和子姉

2016年12月30日に、ノートルダム清心女子大学の元学長の渡辺和子姉が亡くなりました。89歳で膵臓ガンだったそうです。

父親は渡辺錠太郎氏で、彼女が9歳の時に二・二六事件に遭遇します。当時大将で教育総監だった父親が、自宅で青年将校たちに襲撃され、43発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにします。

2015年秋放送のTBS『金曜日のスマたちへ』でとりあげられたので、ご覧になった方も多いかと思います。

私は洗礼を受けた時記念に渡辺和子姉が書いた『置かれた場所で咲きなさい』という本をいただいたこともあり、姉妹のことが気になっていました。

置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。咲けない時は根を下へ下へと降ろしましょう―—と書いてありました。

日常生活の中で、思いどおりにならないことは多いものです。そんな時でもあきらめずに自分の内面を磨くようにしましょう。

そう言われているような気がしました。

世の中が右傾化しているとよく言われるようになりました。日本が戦争に参加する日も再びくるかもしれません。

戦前の二・二六事件の生き証人である渡辺和子姉が亡くなられたことは、心細いものです。あらためて私たちの生き方が問われていると思いました。

(M.T.)

元日の主日礼拝

新年あけましておめでとうございます。

本年も皆様の上に、神さまの豊かな恵みがありますようお祈りいたします。

 

本日は2017年1月1日 元旦。

一年の初めの日が礼拝を守る恵みの日であることから、2017年は感謝と気持の

引き締まりを感じるスタートとなりました。

 

本日の礼拝も、神さまのメッセージが語られました。

そのメッセージの聖書箇所は、使徒言行録 6章8節から15節(新約聖書224頁から)からで、私の心に響いた言葉は、「知恵と霊とによって語る」です。

 

知恵とはなんでしょう?

霊とはなんでしょう?

 

それぞれの受け止めかたで、分かるようで分からないと言われそうですが、「知恵と霊とによって語る」、この「語る時の在り方」についてのメッセージと私は受け止めました。

 

2017年、平成29年はどんな一年になるのでしょうか。

夢を叶えるため努力をする人もいるでしょう。

健康のため心身の摂生に努める人もいるでしょう。

私は、ひととの会話の言葉の中に感謝や恵みが出ているのだろうか、ひととの会話の中に信仰的な誠実さがあるだろうか・・、など表面的な言葉では繕えない、心からの言葉を持てる一年でありたいと思いました。

(H.Y.)

クリスマス・ツリーについて

多くの家庭では、クリスマスが近づくときれいな灯りのクリスマス・ツリーを飾ります。

統計によると、アメリカの約3分の2の家庭ではクリスマスの楽しさは灯りをつけたクリスマス・ツリーが中心だと言っているという。

クリスマス・ツリーにモミの木が用いられるようになったことの伝説がある。

8世紀の頃、ドイツに派遣された最初の宣教師ボニファティウス(紀元672-754年、もとの英国名:ウィンフリド)が、オーディン(北欧神話の神)の神聖なカシの木に人身犠牲をささげようとしている様子を見て、彼らにこの野蛮な行為をやめ、まことの神に帰依するように説得した。丁度かたわらに生えていた小さなモミの木を指し、これを家に持ち帰って、幼子キリストの御降誕を祝うようにすすめたが、その日は12月25日であったというのである。

他にも諸説あると思うが、いずれにしてもクリスマスは暗闇の中にある人々に希望の光を与えてくださる救い主イエス・キリストの御降誕を心から喜んでお迎えすることが一番である。

新年も神の御守りと御導きに感謝を忘れず、礼拝や祈祷会などで、みな共に祈りを合わせ、信仰によるしっかりとした歩みを続けたいと思うのである。

(R.E.)

小説と私

TVを見ていて特に気の引かれたドラマの「漱石悶々」の宣伝です。私は小説が好きなので、これを見ることにしました。20代の頃の私は「明治大正文学全集」に読みふけった時代がありました。中でも「わが輩は猫である」「坊ちゃん」「草枕」等々。私は漱石の全作品を読みまくったようです。他にも引かれた作家は何人か居ましたが、漱石はダントツでした。自分の書く文章も漱石寄りが自覚されました。家人の一員から「母さんの文章の中身に文句はつけないが、文章のワンセンテンスは短くした方がいいよ。」と注意されて、私の漱石好みが良くない流れを作っているんだなとの反省を持ったこともありました。

あれから70年余。生活環境の変化はいつのまにか大きく小説への思い入れも変えたようです。TVのドラマを見ても「かつての紳士意識のうすれた文豪にされてしまったな」くらいの視聴後の感想として残る程度になりました。

生活環境の変遷が物事に対する価値観を変えるのは当然の成り行きと思いながらも、私の場合単なる生活環境の中に宗教の有無が関わっている事を強く感じています。13歳の時に不当な妹の死によって、神と出会って以降の生活が、時には濃く、時には淡く私の感覚を揺さぶるのです。このような日々を通して私は、後期高齢者の身となってしまいました。いつ襲われるかわからない体調不良の日を神様の御心のままに任せて、時々訪れる神の御恵みに幸福感を味わいつつ、今日も次に読むべき小説を探し続けております。

(K.N.)

クリスマスを待ち望む

イエスさまのご降誕を待つ季節を過ごしています。

慌ただしく過ごす中、クリスマスの諸行事が早く終わるといいなと思ってしまいます。

求められていることが出来ない自分を情けなく思い、教会に行くことが苦しくなることがあります。

 

イエスさまのご降誕の物語、母となるマリアは、天のみ使いの言葉に答えます。

「お言葉どおり、この身に成りますように」

主のお言葉の通りにこの身を用いてくださいという従順さ、献身の思いだけを告白しています。自分の思いや願いではなく、主のみ言葉を待ち、主のみ心が行われることだけを祈っています。

 

マリアの献身の思いに触れて、重かった私の心は少し軽くなり、私もそういう献身の思いで教会生活を送っていきたいと思いました。

クリスマスまでの日々を祈りながら待ち、お祝いしたいと思います。

(S)

「クリスマスツリー点火式」に寄せて

11月27日(日)午後5時からの「クリスマスツリー点火式」へ、息子に送ってもらい、孫2人とともに参加しました。讃美歌を共に歌い、牧師のお話しに耳を傾け、「クリスマスツリー点火」となり、イルミネーションの美しさに心洗われる思いをし、いよいよクリスマスを待ち望む気持ちが高まりました。

参加者も多く(60名以上)、点火式後、礼拝堂において多くの方々と談笑し楽しかったです。子どもたちも初顔合わせながら楽しそうに遊んでいました。

12月に入ると教会では

・10日(土)13:00~子どもの教会クリスマス祝会

・同日16:00~ゴスペルの夕べクリスマス(子どもの教会クリスマス共に、ゴスペルフォークシンガーの神山みさ氏による特別コンサートあり)

・24日(土)18:30~イヴ聖夜礼拝(工藤正志氏によりギター演奏、ハレルヤコーラスあり)

・27日(火)11:00~子どもの教会もちつき

などが予定されています。どうぞご近所、お知り合いの方などお誘い合わせの上、ご来会ください。

この日の全ての恵みを心から神様に感謝しつつ。

(R.E.)

弱小な私は教会の伝道士です

身も心も小さく弱い私を生み出して90年以上も育てられた日本海と西津軽郡の土地から離れて青森市民となってから5年の歳月が経ちました。

ここが私の故郷なのだと思いこんだ西津軽郡の鰺ヶ沢町や木造町、その他の生活した土地とは全然違う、大都会にしか見えない青森市という街の中で全くの田舎者として身を処すしか生きる術はありません。

おまけに私はキリスト教会の神様から絶対離れる事はできないのです。全然未知の土地の中から青森松原教会という素晴らしい教会が与えられたのは最大の幸運でした。

しかし前の木造教会で最年長者として扱われた私は、この立派な教会で役に立てそうなことはなかなか見つけることができないのです。

いろいろ考えて自分の一番すべきことは転びそうになることを治すことだと思いついて、デイケアに週2回通うことを決めました。すぐに歩くのがしっかりすることはありませんが気長にがんばっています。

そのような中、青森松原教会の中で伝道部に入ることになりました。私はデイケアの中で「こころの友」をあげる人を選ぶことと、継続して読んでもらおうと思いました。「こころの友」とはキリスト教の新聞の広報紙のようなものです。

普段よく話をするようになった人たちに、「こころの友」を渡した瞬間に真剣に読んでくださっている姿を見て「しめた!」と胸が躍りました。「人間は他人に話せない悩みを抱えている」との想いでした。

秋になり、当教会のフェスタ(バザー)のチラシをあげたら、Fさんは娘さんとお孫さんを連れて来てくださいました。その他、用事で来られなかった方もいらっしゃいましたがチラシをあげた人たちが無視なさらず、反応を見せてくださったことがうれしく、神様に感謝しました。

神様は弱小の私の祈りにもいつも何らかの形で応えてくださいます。私は神様を信じることに大いなる祝福をいただいています。

(K.N.)