青森松原教会ホームページ

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テレビ大好き

私はテレビが大好き。自分の知らない世界を教えてくれるから。時には知らなかった方が心穏やかでいられることもあるのですが…。

 それはさておき最近の番組で、ほんとに観てよかったのは、ETV特集『世界を変える“大発見”はこうして生まれた カリコ×山中伸弥』。

 山中伸弥さんが出る番組は観るようにしていますが、この表題を見た時には、“エッ?!お笑い系の人と対談するの?”と思ってしまいました。

 ところがどっこい、カリコさんは1955年生まれ、ハンガリー出身の女性生化学者でした。カタリン・カリコが正式名。忘れ難い名前です。山中伸弥さんとはリモートでの対談。

 現在、世界中で接種されているmRNA(メッセンジャー・アール・エヌ・エー)ワクチンの基を造った人です。米国でいち早くワクチンが造られたのは、トランプ元大統領の強引さだろう位に思っていたのですが、それがあったかどうかは別にして、新型コロナ出現前からワクチン開発に地道な研究を続けていたのがカリコさんです。

 カリコさんの親は肉屋さん。ハンガリーで研究生活を続けていたが、共産圏国家の行き詰まりで研究費支給が停止になり渡米。mRNAを発見し、それを医療的に使う研究を続けていたペンシルベニア大学で偶然、免疫学のドリュウー・ワイスマン教授とコピー機の前で出会い、「共同研究したら、医療的に有効なワクチンを造れるんじゃない?」というのが発端で共同研究が始まった。新型コロナが現れる前の話し。思うようにはいかず、地道な努力且つ継続困難な目にも遭いながら、それでも成功にこぎつけ論文を発表したものの、これまでの学説にない発表だったので学会の反応は冷ややかだっと。そのような時に、ドイツのベンチャー企業であるビオンテック社から声がかかり副社長として迎えられ、現在の肩書きは、ペンシルベニア准教授&ビオンテック社高級副社長。 

 山中伸弥さんがiPS細胞の発見でノーベル賞を貰った後、ハーバード大学の研究グループがカリコさん達のmRNA技術を使うと効率よくiPS細胞が造れることをつきとめ、それがきっかけでカリコさんたちが一躍脚光を浴びることに。カリコさんを迎えたビオンテック社はmRNAを使ってガンの治療薬やワクチンを開発していたそうです。そういう時に新型コロナ発生。いち早くビオンテック社と米国のファイザーが社が提携しmRNAワクチンの製造開始。モデルナ社はカリコさんの技術を使ってワクチンの開発を進めていたそうです。

 下地があったために、ワクチンを完成させるのに一年足らずだったという。

 物事の真実・内情は外側からだけでは判らないものですね。

 テレビ画面を観ながら、この方とワイスマン教授の長年の地道な研究結果が、私の中にも接種されたんだという身近さと不思議さと感謝。

 カリコさんは、「私のことをヒーローと言う人がいますがそれは違います。患者を治療する医師、看護師、清掃作業の人たち。感染リスクがあり、命を危険にさらしている彼らこそがヒーローです。私はただ研究室にいただけです。」なんという謙虚で温かな人柄なんでしょう。

 私は食事をしながら録画したテレビを観ることが多いのですが、“何を観ようかな?”と選ぶのも楽しみ。今夕は何を観ようかな?(S. K.) 

   ※番組はNHKオンデマンド(有料)で観ることができます。

「思い出の1ページ」となった運動会

孫たちの運動会が5月下旬に開催されました。予定日が雨天だったため延期となり、平日の午前中だけ、時短で実施され、種目数も減らして行われました。

 個人種目は徒競走(100m走)とチャレンジ走(障害走)だけでした。

 孫の妹の方は、毎年入賞、それも1位が多かったのです。しかし、兄の方はというと、入賞はめずらしい状況でした。

 けれども、今年の運動会は違いました。なんと、徒競走は兄が1位でゴールインしたのです。わたしは我が目を疑いました。でも確かに“お兄ちゃん”だったのです。そして、さらにびっくりしたことは、2種目目のチャレンジ走でも、“ハッピーカラー”を選んだことで、最短距離でゴールに向かい、またまた1位になったのです。ちなみに妹は、2種目とも2位でした。しかし、運動会のラストを飾る“4色対抗リレー(選抜)”では一番で走っていました。

 二人とも賞状を2枚ずつもらって帰ってきたので、パパをはじめ、家族みんなで二人の頑張りをほめ、喜びを共にしました。

 今回の運動会を振り返ってみますと、コロナ禍もあって、午前中だけで、さらには時短で、種目も減らして行われましたが、各種目とも一生懸命にゴールをめざして走っている一人ひとりの真剣な表情が生き生きしていて、どの子どもにも拍手し、応援せずにはいられない気持ちになっていました。また、全校応援も赤組と白組に分かれ、みんなが気持ちを一つにして、大きな声で応援し、頑張っていました。また、相手のためにも、応援し合うフェアープレーの精神に一層、清々しさを感じ、「思い出のⅠページ」となりました。

 このように、ほほえましく、楽しい機会を与えたくれた“小学校の皆さん”に心から感謝したい気持ちで一杯になりました。

 本当にありがとうございました。 (R.E.)