青森松原教会ホームページ

青森松原教会は132年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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2019年

コーチングネットワークに参加して来ました

2019年6月3日(月)~4日(火)、弘前西教会で行われたコーチングネットワークに参加して来ました。9月16日(月)~17日(火)、奥羽教区の婦人会連合で青森市浅虫の海扇閣というホテルを舞台に、香川県さぬき市にあるOVMC津田キリスト教会牧師・水村光義先生をお迎えしてコーチングの教えを学ぶことになっているからです。5月17日(金)北西地区婦人会連合連絡会の時、青森県でコーチングを実践していらっしゃる弘前西教会の牛山先生から教えを受けました。その際6月3日(月)~4日(火)に弘前西教会でコーチング・セミナーがあります、と書かれたチラシを見た訳ですね。百聞は一見にしかずだから行ってみようと思いました。

 まず迎えてくださった弘前西教会の方々にお礼申し上げます。そして参加された他の教会の牧師さんや宣教師さんの方々、信者の方々にお礼申し上げます。素人は数えるほどしかいなかったので、すごく気を遣っていただいていたように感じました。ありがたかったです

 コーチングは弘前西教会で3年前から学ばれています。 

根が健康でなければ、木は育たない。本当に聖書に書いてあることは何なのだろうか。方法を学んでもだめだ、本質を学ぶのだ。キリスト教は愛のムーブメントだったのにローマ帝国皇帝の制度化によって旧約聖書の時代に戻ってしまった。現在キリスト教界が経験しているのは危機ではなく、移行期である。どこからどこに移行するのか。ペトロの手紙(一)の2章9節の「万人祭司」に原点回帰するのだ。

というものです。

 ご飯は16時にはすべてできていてガリラヤ会という教会の男性陣が岩木山に採りに行ってくださった山菜が、女性の方々の手を経てお味噌汁からわらびを柔らかくしてとろとろにした酢の物、ふきの“でんぶ”(津軽地方の郷土料理。素材を煮汁がなくなるまで煮含める調理を施し、特に野菜が主役の時に“○○のでんぶ”として呼ぶ。糸こんにゃくや細長く切ったさつま揚げなどを共に入れることが多い。)などになって食卓にのぼりました。さすがに16時に夕食では早すぎて17時まで待ちましたがふきも歯ごたえがさわさわしておいしかったです。わらびの入った炊き込みご飯もおいしかったです。果物もケーキも出てきました。ひとりの子どもさんの誕生日がありました。愛のある食事に皆さんと一緒に参加できて幸せでした。山菜を食卓にのぼらせるまでのてまひまは、経験した方ならわかるでしょう。それをもてなしのためにやってくださったのですよ。

 二日目は10時から15時までコーチングの実習をしていました。二人一組で昼食も相談して、近所に買いにでたり食べに行ったり、前日のご飯やお味噌汁、お新香など残っているのでそれを食べてもいいし、と言われました。おいしかったので前日のご飯を食べました。

 宿泊場所は牧師館の和室でした。同じ教会の木村幸(ゆき)子姉と泊りました。夜は疲れて温泉に行けませんでしたが、翌日は朝5時に起きて二人で温泉に行きました。

コーチングのことを香港のベンジャミン・ウォン宣教師が書いた『メンターとして仕える』という本があります。絶版になっていたのですが、この度6冊くらいみつかり私も1冊買うことができました。この前に秋田県でコーチング・セミナーがあったそうなのですが、その頃には発見されていなかったのでどなたも手に入れることができなかったそうです。ド素人の私が買ってもいいのかなぁと悩みましたが、買ってしまいました。コーチングに日々邁進されていらっしゃる方々、ごめんなさい。よく読むし、ほかの方にも貸します。

熱量がすごかったですぞ。イエス様の弟子たちはこの日本に確実に育っているなぁと思いました。(M.T.)

元号が変わる時に

 母の高血圧症の薬をもらいに4月2日、病院に付き添いました。

「薬もらいに病院に行くので上着をつけてちょうだい。」と言うと「やっているかどうか、病院に電話して確かめた方がいい。」と母は言いました。この前日の4月1日に新しい元号が『令和』になると発表されたばかりで5月1日の即位に伴う休日の話もニュース等で流れ高齢の母はすっかり10連休の中の一日と勘違いしてしまったのでした。4月30日まで平成の時代は続くのに3月31日に「平成最後の日だから」という人たちと同じです。高齢なので何日も前から「○月○日に高血圧症のお薬、貰いに行きましょうね。」と相談して決めてもこうなります。

 ただひとりの神を信じるキリスト教徒にとって天皇陛下の即位に何十億円もかけて行事が行われるのには違和感があります。そこに使うのでしたら、他のお金を必要としているところにも分配して欲しいです。

 さて、今私は受難節の日々を過ごしています。4月14日から受難週に入ります。今年の復活祭(イースター)は4月21日です。自分が洗礼を受けたのは2014年4月20日だったな、など日々思い出しているところです。

 今年の復活祭には受洗者が与えられました。誠に嬉しいことです。どうか新たに洗礼を授けられる方の人生に神さまのまなざしがいつもそそがれ、ご加護が与えられますように。  また、その傍らにおります私たちも神さまにいつも見守られ、同道していただけますように。大変拙い願いですが、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。  (M.T.)

「イエス」という名前

だいぶ前、学校の友達の家で友達のお姉さんとそのご主人に会いました。ちょうど、私はスヌーピーのぬいぐるみを抱いて「わーたーしー、すーぬーこー」と言いながら階段をおりてきたところで、ご主人とは初対面でした。お姉さんのご主人は私の名前が「すぬこ」だと思い込んだようで、2,3年勘違い状態のままだったようです。めったに会わないので、間違いに気づくまでに大分かかったのです。

さて、受洗準備の勉強会で、イエスさまのお名前について学びました。

「イエス」という名前は聖地ではありふれた名前で旧約では「ヨシュア」と呼ぶそうです。

イエスもヨシュアも「神は救う」という意味だそうです。そして「キリスト」というのは名前ではなく称号、職名だと学びました。旧約では「メシア」であり、「油注がれた者」という意味だそうです。油を注ぐといえば、イスラエルの最初の王サウルは主に遣わされたサムエルにより油を注がれて王となり、サウルが主の御声に従わなかったため退けられ、次の王としてダビデが(油を満たした角から)油を注がれました。油を注ぐとは職位への正式な任命のような意味があるようです。主イエス・キリストは「預言者」「祭司」「王」すべての意味で油を注がれた者です。(キリストの三職)主イエスは、神様の救いに関わるすべてのことを余すところなく伝えて下さったという意味で「預言者」であり、わたしたちの救いのために十字架上に自らを犠牲として捧げて下さり贖いとなってくださった、わたしたちのために執り成してくださったという意味で「祭司」であり、救いの恵みにとどまることができるようわたしたちを守って下さるという意味で「王」でもあってくださるのです。

「イエス・キリスト」と呼ぶことは、ひとつの短い信仰告白なのだそうです。

この恵みに感謝致しましょう。   (ペンネーム:すぬこ)こと(S.K)

新鮮な海の幸!!

三月のある日、次男が仕事から帰って直ぐに、「皆んな、来て、来て」と家族に集合を掛けたので、皆んなは台所に集まった。そして、彼の指差すシンクの中を見ると、そこには4匹の魚が跳ねて踊っていた。

「仕事帰りに、ちょっと小一時間ばかり、フェリー埠頭の近くで、ルアーを使って釣りして来たじゃ。今年初めての収穫で面白かった」と言って、皆んなに説明をした。

魚はどれも大きくはなかったが、ムラソイ(23 cm)、マゾイ(20 cm)、カサゴ(18 cm)、アイナメまたはアブラメ(21 cm)で色は、黒、白黒(灰)、少し赤っぽい色、茶と色々違っていた。

孫たちは、恐るおそる人差し指でつっついてみたりしていた。皆んなの目が喜びと好奇心で輝いていた。魚の目も生き生きとしていた。

すると、次男が「魚、食べたい人」と質問すると、孫たちが「ハイ!!」と応答した。高校時に調理師の免許を取得していた次男は、すぐ様、その魚を捌き、頭をつけたまま、アイナメは塩焼き、他は酒じょう油で煮付けてくれた。そのおいしかったこと!!

この“新鮮な海の幸”に笑顔一杯の我が家の食卓でした。

神に感謝!! (R. E.)

バリデーション療法と認知症(その1)

「バリデーション」という言葉を聞いたことがありますか?
「バリデーション」とは、認知症と診断された高齢者とのコミュニケーションを行うためのセラピーの一つです。
現在、高齢者の6人に1人は認知症を発症すると言われています。「バリデーション」によって、介護者は認知症の高齢者に対して共感的な聞き手になり、決して評価せず、その方にとっての真実を受け入れ、信頼関係が高まるにつれて、その方の心配事が減少し、自分もまだ価値のある存在だと思えるようになり、身体的・社会的機能が改善されることで、認知症の進行を予防していくことができます。
神様は、どんな時も共にいてくださいます。
「バリデーション」の原則やテクニックについては、次の機会に記載します。  (Y. K. )        

主イエスのたとえ話

今、普通の礼拝ではルカによる福音書を連続講解説教しています。12月16日では1章67節から80節でした。それと旧約聖書から関連した箇所を用いて説教なさいます、半澤先生が。新約聖書の他の箇所が引用される時もあります。いろいろ関連が理解できて、面白いです。

聖書では様々なたとえ話を主イエスがされますが、わからないなぁと思うのはルカによる福音書18章1節から8節の「やもめと裁判官」のたとえです。やもめが裁判官に自分の主張を聞いてもらうために毎日、訴えに行く。この裁判官は「神を畏れず人を人とも思わない」(ルカによる福音書18章2節)と表現されています。やもめを最初は相手にしなかった裁判官も次第にまたあのやもめが来るのではと不安に思うようになり、最後にはやもめの訴えを聞いたというたとえ話です。最初は違和感がありました。2018年前ころの話とはいえこれがいいとされるのであれば、世のストーカーがやっていることもいいこととなるのか、それはだめだろうと思いました。しかし聖書が書かれた当時の女性の地位の低さ、そして夫が先に死んでしまい頼りになる親も子供もいないやもめの立場の危うさを知りました。彼女にはただひたすらに裁判官に訴える他は道がなかったのです。そしてやもめはそのようにしました。1節には「気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために」弟子たちにたとえ話をされた、とあります。神さまはこの不遜な裁判官とは違い、慈愛のまなざしを人間にそそがれるお方です。すぐに私たちの願いは聞き届けられないかも知れませんが、必ず、こたえてくださるお方です。私たちの思い通りになるとは限らず、どうしてと思うようなこたえである場合もありますが、そこには神の御計画による意味があるので、受け止めるのです。この箇所は旧約聖書のダニエル書9章20節「こうしてなお訴え、祈り、わたし自身とわたしの民イスラエルの罪を告白し、わたしの神の聖なる山について、主なるわたしの神に嘆願し続けた。」とある箇所に呼応します。

話は変わります。

2016年の世界祈祷日だったかに青森教会で讃美歌57番“ガリラヤの風かおる丘で”の合唱を聞いて以来、魅入られて好きな讃美歌のひとつになりました。2018年には『子どもの讃美歌ものがたり~イエスさまいるってほんとかな』(大塚野百合・著)の中で“ガリラヤの風かおる丘で”も取り上げられると知って買ってみました。この讃美歌を作曲した蒔田尚昊(まいた しょうこう、1935年~)氏は「冬木透」名義で『ウルトラセブン』の主題歌を作曲した方です。私はセブンが好きで冬木透氏のことは知っていましたし、冒頭の「セブン、セブン」と男声コーラスが続く部分の3回目の「セブン」は無名時代の尾崎紀世彦氏が歌っていたというのも知っていました。尾崎氏は後の1971年に“また会う日まで”で大ヒットを飛ばし日本レコード大賞をもらいました。自分の好きな賛美歌が前から知っていた方の作曲だったなんて不思議な気持ちがしました。

寒さ厳しい折、皆様におかれましてはどうかお元気で。また新しい年にお会いしましょう。(M.T.)