青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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いつも守ってくださる神さま

楽しみにしていた朝の連続ドラマ「花子とアン」が終わりました。最終回で語った花子の言葉が心に残っています。

「道には曲り角がある、その曲り角には何があるかわからない、

けれどもきっと花も咲き、夢もあって美しい景色が待っています。

希望をもって歩みなさい。」

わたしは子供の時から「赤毛のアン」が大好きです。絵本や童話をおかあさんが読んでくれました。自分で好きなお話は何回もくりかえし読んでもらいます。劇団四季によるミュージカル「赤毛のアン」も観ました。朝のドラマが終わってしまったけれど今はBSで毎週放映されているアニメ「赤毛のアン」を楽しんでいます。

「花子とアン」には私の大好きな教会が何回も出てきました。とてもうれしかったです。青森松原教会にも色々な本がたくさんあるので借りて読んでもらっています。

花子の言葉から礼拝で聞いた牧師先生のお話がうかんできます。

「神さまがそばにいて、いつも守ってくださるから

どんな困難に出会っても希望を持って歩みなさい。」

 

いつも守ってくださる神さまに感謝します。

(H・F)

どんなところにも希望がある

あるよく晴れた秋の日に、紅葉を見るために山へ登った。とてもすごしやすい日だったので、山には沢山の人がいた。その時、突然山が噴火し大小様々な石や有毒ガスが噴き出した…。

その報道を聞きながら、まるでイタリヤのベスビオ火山の大噴火で、火山灰に埋まってしまったポンペイの街のようだと思いました。

世の無常を感じさせる悲惨な出来事でしたが、その中にあっても希望を抱ける話としては、犠牲者の多くの方が自分の周囲にたまたまいた人を守るような行動をとって死んでいったという事です。

夫婦で山に登り、二人とも死亡したケースで、先にみつかった夫が、そばにいた女性に手をさしのべるようにして死んでいた。当然そのそばにいた女性の遺体は彼の妻であろうと考えられたが、くわしく調べてみると、全くの他人だった。また別の場所で犠牲になった25歳の男性の手には子供用の帽子が握りしめられていたそうです。近くに居合わせ子供を守ろうとしていたかのように。小学校5年生の女の子の体の上には、男性用ものの青い上着がかけられていたそうです。

混乱の中でも我先に逃げようとするのではなく、最後の瞬間まで他の人のことを気にして守ろうとした人が多かったという事が、悲しみの中でも希望を感じさせてくれます。

 

聖書の中にも、むなしさや人生に対して否定的な描写があります。ただ理想や教えを説くだけでなく、現実に立って書かれているのです。だからたとえ、どんな境遇にあろうとも失望はしなくていいのです。神はその境遇を見据えた上で、あなたに語りかけているのです。

「主を信じる者は、だれも失望することがない」(ローマの信徒への手紙10章11節)

 

突然窮地に陥っても神はそこからあなたの人生を創造されるのです。恐れることなく、平常心を保ちましょう。どんなところにも希望はあるのですから。

(M)

柿の恩返し?

昨年、初冬、庭の柿の木を切ってもらいました。柿の木も管理する私達も年老いたためです。幹を幾つかの切株にし、近所の方がエノキダケの菌を植えました。その幹を、二軒の近所の家の庭の片隅に置きました。今年、その両家の庭の幹に何と立派なエノキダケが出てきたではありませんか。

ほんのりエノキダケ独特の風味とぬめり。豚汁で美味しくいただきました。柿の木からの感謝と恩返しを、充分に堪能しました。

「感謝」

感謝する心を持った人は、積極的で前向きな人生を歩むようになるそうです。前向きな人は、心が健やかになると同時に、体も健康になるそうです。残念ながら我が家の、切株には未だ、エノキダケが出ていません。それにも感謝です。

 

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礼拝の一コマ

「この世の人生を終える時、これからどこに行くかを知っている(信じている)ことは素晴らしいことだ」。

心底そう思う。行く先があるということは、行き方があるということ。どこから来て、どこへ行くのか。

この道を歩む時、はかり知れない神の御手に守られている。目には見えないけど、そう信じる。

教会の礼拝に出れば聞くことができる言葉。

(K)

感謝

教会の「YOU・愛・フェスタ」に今年も元気に参加できて神さまありがとう!お天気に恵まれ、お客さまが沢山おいで下さりとても楽しいフェスタでした。神さまに感謝します。

わたしは青森松原教会が大好きです。養護学校から「卒業生の集い」の葉書が届いても、日曜日のときは教会に行きます。日曜礼拝ではみんなで牧師先生から神さまの御言葉を聴きます。讃美歌を歌ってお祈りします。礼拝が終ると食事のない日は、みんなでお茶とお菓子をいただきながらお話します。

わたしは体調が悪くなると「日曜日教会に行けますように」と、神さまにお祈りします。お友達が風邪をひいた時もお祈りします。病気の時、長い間教会に行けなかったので、今元気に教会へ行くことができてとてもうれしいです。神さまありがとう!!

いつも守ってくださる神さまに感謝します。

(H・F)

賜物について

教会はいろんな人が集まります。老いも若きも、男の人も女の人も、障害のある人もない人も、強い人も弱い人も、いろんな人がいて、受け入れ合う神さまの家です。

パウロは「みな共にあって、全体の益になる」(Ⅰコリント12章)と言っています。神さまは私たちに、イエスさまを救い主と信じる信仰の賜物のほかにも賜物を与えてくださいました。

書道の得意な人、料理やお菓子作りが得意な人、音楽が得意な人、事務作業が得意な人、掃除洗濯が得意な人、絵を描くことが得意な人、お花を生けるのが得意な人、草花を愛する人、細やかな心配りができる人、篤い祈りをいつも捧げている人、人の話を聴くことが上手な人、明るく人を元気付ける人、等々たくさんの賜物があります。自分に与えられた賜物を知り、それを生かして人を助ける者になるようにと、パウロは教えています。

これらは、自分を誇るために用いることではなく、卑下することでもなく、どんな小さな賜物でも人を支え、人を助け、人を尊ぶため、人を活かすためのものです。神さまの憐れみによって救われた者にすぎない私たちに、神さまは大いに期待してくださいます。感謝して日々の教会生活を送りたいと思います。

(S)

令状の汚点

 夢と希望が与えられると評判の「赤毛のアン」を原点とした朝ドラを糸口にした話は、神様から到底満足点近いお許しを得られぬことを先ずお詫び致し、薄まった記憶を呼び起こして作る事を最初にお断り申し上げます。

それは、目下放映中の朝ドラの宣伝を聞いていた3月頃の事です。
あら筋の紹介中、主人公の友人が再婚する男性の説明で「彼は九州炭鉱王であり『平民』である」という文言です。何回かこの話を聞く中に70余年前の自分を思い出しました。

私みたいな普通の人間がお上(かみ)から令状を頂くとしたら免許状しかない筈と考え、その免許状を頂いてワクワクしながら見詰めていたら、文面の最後の行に『平民』の二文字をみつけたのです。その瞬間の驚きと悲哀と屈辱感!!
武士が巾をきかしていた時代の言葉が、明治、大正を経て昭和の今日まで生きて居たのかと呆れ果ててしまい、全く喜びの令状に汚点を一つ落とされたような失望感です。
幸いにも私はその事に何日も拘ることなく、いつの間にか自然消滅させてしまいました。

今回、はからずもドラマの紹介途上で頭の中に蘇りました。
が、長く留まることなく平穏の心境に還れたのは感謝の至りです。

仕事の関係で大半の生活を教会のない田舎の村で過ごしてきましたが、折にふれて「神様は私を見守っていらっしゃる。」と数限りなく思わせられて参りました。本当に有難いことでした。

「時代は移り変わるもの」をキーワードとして生きてきた私は「平民」という言葉を乗り越えたつもりでも、世の中は事実が織りなす差別の現実に満ち溢れて居ります。
体力、知力、意欲、何も彼も衰えた私には、大声を出すことは控えますけど、神様のお導きを頂きながら人間同士手をつなぎ合って人権を守る防波堤を強めたいと考えて居ます。

(KN)

教会における葬儀の実際

教会ホームページブログの更新が約1ヶ月滞ってしまいました。ご心配された方もいらっしゃるかもしれません。申し訳ありませんでした。その間教会にいらっしゃっていた方や、フェイスブックをご覧の方はご存知かと思いますが、私共の教会では3月に入り、立て続けに2週間で3度の葬儀が執り行われました(牧会責任を負う姉妹教会葬儀1件含む)。1月末から数えると、わずか2ヶ月の間に5度です。さすがに東京の大教会(現住陪餐会員300名超、礼拝平均出席150名超)にいた時も、これほどの高い頻度の葬儀は経験したことがありませんでした。異常事態です。

クリスチャンでない友人、知人から、「葬儀になると何でブログが滞るの?」とか、「葬儀って何しているの?」と質問を受けることがしばしばあります。確かにわからない事が多いかもしれません。「お坊さんが決まったお経上げるようなものじゃないの?どこが大変なの?」と聞かれたこともありました。良い機会でありますので、教会における葬儀の実際を、少し長くなりますが記したいと思います。

牧師にもよると思いますが、教会ではだいたい1件の葬儀にあたり、牧師の働きは4-5日程度滞るのではないかと思っています。通常の働き(日曜の説教や、水曜の祈祷会奨励、その他事務作業などのルーティンワーク)は一切減らず、単純に足し算で、駆けつけ(病院やご自宅)、召天立ち会い(間に合えば)、葬りの祈り、納棺式、遺族・業者打ち合わせ、役員会への連絡、出棺式、火葬前式、前夜式、葬儀・告別式、各式次第(プログラム)印刷(←青森ではキリスト教系の葬儀社がないため、プログラムの印刷やその準備も教会が行います)、各奉仕者への依頼などが加わります。

私は加えて、より良い葬儀説教になればとの願いから、極力ご遺族との時間を式までの毎日取るように心がけています(ご遺族の負担にならない範囲で、葬儀社のドライアイス交換の時間などに合わせ。慰めと導きを求める祈りをささげ、短時間家族へインタビュー)。また、数百頁の『教会百年史』や教会機関紙のバックナンバー189号(1部8-12頁)のすべてを読み返し、召天者や家族に関する記述をチェックします(こういう時に、未熟ながらも過去に学んだフォーカスリーディングの技術が役立ちます)。また、告別式直前の火葬中の斎場における待ち時間のご親族等との会話も、私は大切だと思っています。そこでしか伺えない思い出話があります。召天者の御生涯がより立体的に彩られるため、私はいつも火葬後に葬儀説教の手直しを行っています。

教会における葬儀で大切なことは二つだと思っています。第一は何よりご遺族、近親者の慰めと平安を心を込めて祈ること、第二に、この葬儀によって、召天者の生涯を通して主なる神の栄光が証しされることです。葬儀説教では、召天者の生前残されたお言葉(記事や思い出から)や近親者の思い出、召天者の愛された聖書の言葉や讃美歌などによって、その御生涯を丁寧に振り返ります。なので、どれ一つとして同じ葬儀説教はありません。約30分のオリジナルストーリーです。それを準備するのに、毎回たくさんの時間が必要となります。

昨日教会で行われた教会信交会では「小児洗礼からお墓まで」と題して、キリスト者の生涯や葬儀、お墓について協議しました。その中で、「教会で葬儀を行うと教会員や牧師に迷惑をかけるのではないか?」との意見が出されました。迷惑をかけないようにホールを借りて行おうと考えているというのです。確かに上記の通り、葬儀は教会にとって大変な営みであることは確かです。上記以外にも数多くの教会員の奉仕(会場設営、事前清掃、受付、案内、駐車場係、下足番、音響、空調ほか)も必要となります。けれども、それが「迷惑」だとは誰も考えないはずです。ご遺族の慰めと平安を祈りつつ、主なる神の栄光が証しされることを、むしろ「喜びつつ」ご奉仕されていると思います。教会への負担を心配されるご遺族にもいつもお伝えするのですが、なぜならそれは教会が「神の家族」だからです。「家族の」葬りのために、みな一所懸命心を込めて執り行うのです。だから私は「教会で」キリスト者やその関係者の葬儀を執り行うことに意味があるのだと考えます。

2013年度に計7件の葬儀が私共の教会で執り行われました。ご遺族や参列者の多くから「こんな葬儀初めてだ」、「キリスト教の御葬儀って温かいのね」、「教会で葬儀をしてもらって良かった」とのお言葉をいただきました。そして、その中から何人もの方が、召天者の愛された青森松原教会の礼拝へ事あるごとに御出席くださるようになりました。中には毎週ご出席くださっている方もいらっしゃいます。大きな悲しみの出来事が、大きな慰めと喜びへと転換する。私はそれがキリスト教の葬儀ではないかと思うのです。

悲しみの中にあるお一人お一人を覚えて、これからも日々祈り続けてまいりたいと思います。

青森が本気出した?

二週続けて、関東甲信越地方での大雪がニュースとなっています。先週などは、東京の積雪量の方が、青森より多かったほどでした。今年の冬は全国的におかしな天候が続いているように思います。秋頃の予報では、今年の冬は青森も低温・多雪とされていました。けれども実際は、ほとんど降っていません。2月に入っても「雨」の日があったり、月の半分ぐらいは雪が降らなかったり・・・。青森としては考えにくい日々が続いています。雪片付けせずに済み、助かっているのですが・・・(^^;)。

2月16日(日)の朝、起きて愕然としました。前日、関東地方に大雪をもたらした雪雲が青森を通過。一晩で膝上まで積もっていました。こういう日曜日の緊急時のために、教会では契約している有料除雪業者があります。けれども、いくら電話をかけてもつながらず・・・(-_-;)。おそらく別の現場に呼ばれてしまったのでしょう。
教会の除雪機を動かそうにも、除雪機前に置かれている車が積雪により動かせない状況。もう礼拝の時間も迫っている。あれこれ考えている時間もないので、人力で重い濡れ雪を除雪。重い濡れ雪はスノーダンプでびくともせず。スコップで掘り上げるしかありませんでした。1時間ほどして車が動かせるようになったので、車を動かし、除雪機を始動。1時間ほど、とりあえず駐車場へ入る車の通り道だけ作りました。あとは駐車する方々にそれぞれやっていただくしかない。何も礼拝がある日曜の朝に降らなくてもいいのに・・・。反動か、昨日・今日はほとんど雪が降らず。

昨年はこのような日が3度、4度ありました。こんなに湿って重くはありませんでしたが。インターネットの書き込みを見ると、「いよいよ青森も本気を出した」、「これを『THE・アオモリ』と呼ぶ」とも記されていました。青森ではよくある光景かとも思いましたが、やはり今回は少し異常だったようです。翌朝の新聞に「ドカ雪、住民・交通混乱」の字が躍っていました(十和田・三戸を中心の記事となっていますが、青森市内もやはり異常だったようです)。

山梨を中心に、今も大雪のため孤立され、不安と困難の中を過ごされている方もいらっしゃいます。一日も早く日常が戻りますよう、祈ります。

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