青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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 FAX:017-723-6809

〒030-0813 青森市松原1-16-27

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庭での出来事

 

ガーデニングが好きな私は、庭に少しの野菜と花を植え、季節、季節に楽しんでいます。オダマキが好きで色、花の形の違う数種類を植えています。オダマキは殆ど虫もつかず、病気にもならず、日当たり、日陰関係なく、次から次へと長い期間花を見せてくれます。

咲き終わった殆どの花柄は沢山の種を持ちます。その種が全てこぼれ、芽吹いたらいくら好きでも手に負えなくなるのと、親株が弱るのを防ぐためにも、殆どの花柄を取ってしまします。それでもこぼれ種からアチラ、コチラと芽吹いてくれます。

先日、車庫の中の壁際でオダマキが咲いているのを発見。ビックリ、感激、何と愛おしい花でしょうと暫し語りかけ、褒めてあげました。通路と車庫の間に種がこぼれ、芽吹き中と外で咲いていました。

「置かれた場所で咲きなさい」

人はどんな境遇でも輝ける

渡辺和子姉著書 (ノートルダム清心学園理事長)

そのままでした。すべてを語ってくれています。

場面は変わりますが、虫除けネットで厳重(?)に囲まれ、大事に、大事に育てられています。スティックブロッコリーの中に大きめの青虫2匹発見、何処から?どの様に侵入して来たの?って聞きながら、ここで働きをされたら大変と、摘み出しました。難しい物です。

(R.E.)

苧環

心に残る思い出

先日、孫の通っている幼稚園の盆踊り大会と年長児のお泊り保育があり、園生活最後の機会でもあるので家族3人で参加しました。しかし、当日は雨天のため、外での大会は残念ながら中止となり、園内のホールで年長児とその家族のみの参加で行われました。

園児たちは各々浴衣や、甚平を着て心ウキウキさせながら、盆踊りやフォークダンスを先生達や家族と一緒に踊っていましたが、その表情は園児たちは勿論のこと、参加したすべての大人や子供達も楽しんでいて、一人ひとりの顔がとっても素敵に輝いてもいました。また、かけ声をあげる時があったのですが、その時はあの小さな体のどこからあんな声がでるのか、ホールの天井が割れ落ちんばかりに全身全霊で声を出していました。その余りの元気さに驚き、また感動しました。その感動と興奮のうちに盆踊り大会は終わり、年長児のお泊り保育へと移りました。

先生たちも浴衣姿でリードし、終わると素早く洋服に着替え、お泊りの夜は、きっと寝ずの番をする思い出その場に臨んでおられたのではないでしょうか?次の日、降園して来た孫に聞いてみると「ホールに布団を敷いてみんな一緒に寝たんだよ。とっても楽しかったよ。」と……。

一人ひとりの園児の心に残る良い思い出になったようです。

全てに感謝!!

(R.E)

私が望む教会の姿

私は教会に通い始めてもうすぐ2年になる求道者です。日曜日には、できるだけ用事を入れず礼拝を守るようにしています。それでもどうしても出かけなければならない時は、行き先の教会をインターネット上で捜し、礼拝を守るようにしています。

あるとき、教会の雰囲気について、このように書かれた教会を見つけました。

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・横(会員同士)の交わりは、多くはありません。神さまと向き合い、静かに信仰生活を歩みたい人に向いていると思います。

・昔からの気風で、ごり押しするような感じのものはなく、自由な風がわたっている感じです。

・伝統を遡れば長老教会です。伝統を大切にしつつも、そのことに縛られない懐の深さ、広がりを大切にしています。

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ものすごく共感しました。

私にとって、松原教会の方々は大切な存在です。礼拝後のお茶の会、昼食会に欠かさず参加しているのも教会の方々とできるだけお話したい、繋がりたいという気持ちからです。では、大澤牧師が他の教会に移られたらどうなるでしょう?教会員の方々との関係が悪くなったらどうなるでしょう?恐らく、私の気持ちは揺らぎ、教会を離れることになるかも知れません。

都会の大きな教会に行くと、礼拝後、誰ともお話をすることもなく教会を後にすることがあるそうです。それは寂しく思います。でも、横の関係を大事にし過ぎると、それを優先し過ぎると、本来の神さまとの繋がりを見失ってしまうかもしれない。そういうことを考えました。

「自由な風がわたっている感じ」「伝統を大切にしつつも、そのことに縛られない懐の深さ、広がりを大切にする」教会。まさに理想的な教会のように思います。

yn

旧木造町にいた頃書いた自分史より

久しぶりに「自分史」を読み、60余の項目の中から「戦争体験」中の「敗戦国民として生きて」を教会の皆様に語ることに致しました。

熾烈な生活でしたが、親類縁者から一人も戦死者が出なかったことが、その気にさせたようです。然し、教職に在った身としての私は次第に戦争の影響が深められて行きました。生まれた時から軍国思想を叩きこまれた頭を切り替えることは容易な問題ではありませんでした。

①近所の医者から「今晩家に珍しい話をする人が来る」と誘われて行ってみたら代議士の津川氏でした。戦争の是非を語った筈ですが私はその事よりも「東大を出た人ってこんな素晴らしい話が出来るんだ」というカルチャーショックに打ちのめされてしまいました。中味は忘れましたが……

②教育の内容として「自己主張の出来る子にせよ」という方針を強張されたのは、私にとっては無理難題の事でした。

③「教職員組合を組織して教員として生活を確立せよ」というのは、主に男性教員が先頭に立ち女性は目立たない所で応援する形だったので印象に残る程の問題はありません。但し5年位経て「米国で赤狩りが始まった」とのニュースを聞くようになったら日本でも教壇から追放される人が出るようになりました。

④頭の切り替え事業の一つとして進歩的な方の講演を聞く機会が増えたのは嬉しいことでした。それと並行して夏休み、冬休みを利用して東北六県統合の大きな集会が持たれ自費、自弁の教員が集まり、子の無かった私共も毎度の如く参加したものでした。同時に我が家の図書室に何種類かの本が並ぶようになりました。

今になってみると、教職の身であった故で、戦争について少しは頭が洗脳されたような気にもなり、有難いことだと思います。憲法九条が守り抜かれる事を神に祈り続ける日々を送っています。

(K.N.)

ゴスペルは楽しいな。

ゴスペルは楽しいな (^^♪

説教、お祈りをもう少し短くした方が良いかな?

 

その後のお茶で、交わりが出来るのではないでしょうか。

歌も、変えてみたらいかがでしょうか

 

いろんな人とお話しが出来、外で逢って、又そこで交わりが出来る事がとてもうれしいです。

 

皆様どうぞ教会においでください。 †┏┛教会┗┓†

 

K.H.

オルガンとの出会い

私は今64歳です。若いつもりでいましたが改めて高齢者になっていたのだと今、実感しているところです。

私が小学2年生の時、父親が買ってくれた小さなオルガンが部屋の片隅に置いてありました。母の友達が遊びにいらして「ちょうどオルガンがあるのだから私が教えましょう。」と言ってくれたのが、私が音楽を始めるきっかけです。小さい時、足踏みオルガンに慣れるのが大変だったのを覚えています。バイエルも後半になると鍵盤が足りなくなってピアノに代わりました。

あの頃、ピアノを習っている子供はクラスに2人位でした。私は地元青森から離れることもなくピアノの先生になりたいと思って地元のカトリック系の中学、高校、短大と進みました。卒業後、ヤマハ音楽教室に就職し、ピアノとエレクトーンを教えることになりました。本当に充実していました。結婚してからもピアノだけは教え続け、少人数ですが今も続けています。

教会は祖父、母親が行っていました。今、教会は10月に創立125周年を迎えます。青森の長島の地から松原の地に移って30年です。

私は30年前、長男が赤ん坊の時に教会の中を見たいと思い、おぶったまま玄関のベルを押しました。中から若い牧師が出てこられて、快く真新しい礼拝堂を案内して下さいました。外国製の立派なリードオルガンがありました。すぐ牧師先生がオルガンを弾いてくださいました。その音色に聞き入っていました。毎年クリスマスに、小学生になった長女と長男を連れて行ったことを思い出します。

私は今年の4月からオルガン奏楽の奉仕をすることになりました。毎日、毎日、緊張、緊張でどうしたらいいのかわからなくて、大澤牧師に「お祈りしてください。」とお願いしました。落ち着いてきました。ありがとうございました。

オルガンの重厚な響きと讃美歌が好きです。毎回、緊張ですが、今、弾いている時が幸せでうれしいです。

T.K.

種を蒔く人

冬が過ぎて、春が来ました。青森の春は、とても急がしいなと実感するこの頃です。寒かったり、暖かかったりそのたびにストーブを出してみたり。(冬物を片付けたばかりなのに。)

桜の花も散り、チューリップの花が咲いて、今スズランが満開の見頃となりました。岡山から送られて来た種をあるわずかな空間へ蒔いてから数年経った現在、見事なスズランの群落となりました。

わずかな空間と、時に雪や雨に打たれ、夏はカンカン照り返すアスファルトのすき間です。そのたくましさに脱帽……。

(y.k)

うれしいプレゼント

5月8日「母の日」の1週間位前のことです。一緒に住んでいる5才の孫が「ばぁばにプレゼントあげるからね。」と言って、ティッシュペーパーの箱を持っていき、何やら作業を始めました。しばらくして「ばぁば ハイ、プレゼント♪」と手渡された物はティッシュの箱でした。

上の方にばぁばの似顔絵 を書き、その周りに小さくてカワイイ赤いハートを散らして書き、すぐ下に「ありがとう」とありました。

又、下の方には「おばあさん、ありがとう」と折り紙に書き、各々に切って貼ってありました。

丁度2ヶ月前の3月8日に、孫たちの母親が急に病気で亡くなり、その母に代わって、不十分ながら面倒を見ている私にとって、このプレゼントは何にも増して嬉しい物でした。

まだまだ母を必要とする幼少期の孫たちのこれからの健やかな成長を、天の父なる神さまが守り導いてくださることを心から祈り願います。

家族全員でもサポートして行こうと話し合いました。

(E)

長崎の大浦天主堂で

私は旅行が大好きなのですが、観光というものにはあまり興味がありません。有名な場所、物を見るよりは、歩いてその土地の空気を感じたい。地元の方々とお話をしたい。いつもそう思います。

そんな私ですので、数年前に長崎に行き、大浦天主堂の中に入ったときも、特に何かを考えるということはありませんでした。「そういう教会なのか。なるほどなあ。」程度の反応でした。

数日前に、また長崎に行く機会がありました。今の私は数年前とは違い、求道者として教会に通っています。今度は自分がどう感じるのか興味があり、また行ってみることにしました。教会そのものよりも、自分自身の反応を知りたかったのです。

教会の雰囲気は全く変わっていませんでした。でも、パンフレットを読みながら中を歩いていくと、当時の長崎のクリスチャンの思い、神父さまの思いが伝わってくるように感じました。毎週礼拝を守っている今の私に置き換えて考えてもみました。自分が信じるものを隠して生きていかなければならないという生活は、どのようなものだったでしょう。想像するだけで苦しくなります。場所や物は、その背景、歴史を理解することによって、より大きな意味を持つ存在になり得ることがようやく私にも分かりました。

カトリックとプロテスタントの教会は、建造物としての造りが大きく違いますが、その歴史を考えるとき、心に訴えてくるものには違いがないように感じました。そう言えば、私は2000年にロシア正教会総主教アレクシイⅡが函館にいらしたとき、1メートルくらいの距離でお顔を拝見し、随行の方々ととても楽しい会話(のようなもの?)をしました。そのことは、また別の機会にご紹介しましょう。

yn

言葉について

何気なく開いた古雑誌の中に「言葉には表と裏がある」のタイトルで二人の職者が対談しているのを見出したので、その一部を紹介したくなりました。

最近、攻撃的で表面的、ある意味わかり易い言葉がどんどん流れる事が多くなりました。だから無責任な言葉を真に受けて自分を傷つけたりしないようにと警告を発しています。同時に、言葉は喋って相手にぶっつける事で自分の感情をなだめる道具なのだから、口ゲンカや悪口雑言だって、波立つ心のさばけ口として大切なものとしてみるべきです。

辞書には「うら寂しい」や「うら恥ずかしい」等のように「心」を「うら」と言うことがあります。心は「心中」とか「心奥」、「心の底」等のように簡単に外に出られない場面が数多くあります。「うちうちで」とか「本音と建前」、「他人の目が届く」とかに敏感な人も数多く居ます。更に「腹が立つ」、「頭に来る」、「髪の毛が逆立つ」など全身で心を表す表現もあります。

昔話や神話には限りなく人間の考え方の傾向や無意的にくり返される言動が表現されています。その一つの「夕鶴」は「見るな」の約束を与ひょう(登場人物、百姓)が破った為に生じた悲劇です。

「人間と鳥」の生と死の間で「あれか、これか」とこり固まって考えずに、「あれもこれも」と余裕を持ち二股をかければよかったのです。二者択一の慌てた考え方でなく時の流れに身を任せる問題の解き方もあるという結末で対談は終わりました。

私は此処で聖書の「ヨブ記」に想いをめぐらせました。

聖書を読んでも「わからない?」の思いに捉われてしまう私は「詩編」と「ヨブ記」だけが、どうやら何かがわかったような安堵感を抱ける人間なので大きなことは言えないのですが……。

神から信仰深いヨブを試みる事を認められたサタンは色々な手段でヨブの生活を苦しめ、とうとうその生活をどん底に落としてしまいます。ヨブの友人、知人達が相次訪ねて来て、慰めたり忠告したりするがヨブは一切それらに耳を貸さず、反論する一方だから、ヨブの生活が好転することはありません。延々とくり返す論争の中に、ある青年が登場して以来、空気が少しずつ冷静さを生じ、ヨブは自分の神に対する「高ぶり」を自覚できます。

以来、神との出会いを解決への道として歩み直します。以前の信仰を取り戻したヨブが完全に勝利を得たことに私は広く深い神の愛に対して祝福と感謝の念に満たされてしまいます。

(K・N)