青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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〒030-0813 青森市松原1-16-27

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クリスマスを待ち望む

イエスさまのご降誕を待つ季節を過ごしています。

慌ただしく過ごす中、クリスマスの諸行事が早く終わるといいなと思ってしまいます。

求められていることが出来ない自分を情けなく思い、教会に行くことが苦しくなることがあります。

 

イエスさまのご降誕の物語、母となるマリアは、天のみ使いの言葉に答えます。

「お言葉どおり、この身に成りますように」

主のお言葉の通りにこの身を用いてくださいという従順さ、献身の思いだけを告白しています。自分の思いや願いではなく、主のみ言葉を待ち、主のみ心が行われることだけを祈っています。

 

マリアの献身の思いに触れて、重かった私の心は少し軽くなり、私もそういう献身の思いで教会生活を送っていきたいと思いました。

クリスマスまでの日々を祈りながら待ち、お祝いしたいと思います。

(S)

弱小な私は教会の伝道士です

身も心も小さく弱い私を生み出して90年以上も育てられた日本海と西津軽郡の土地から離れて青森市民となってから5年の歳月が経ちました。

ここが私の故郷なのだと思いこんだ西津軽郡の鰺ヶ沢町や木造町、その他の生活した土地とは全然違う、大都会にしか見えない青森市という街の中で全くの田舎者として身を処すしか生きる術はありません。

おまけに私はキリスト教会の神様から絶対離れる事はできないのです。全然未知の土地の中から青森松原教会という素晴らしい教会が与えられたのは最大の幸運でした。

しかし前の木造教会で最年長者として扱われた私は、この立派な教会で役に立てそうなことはなかなか見つけることができないのです。

いろいろ考えて自分の一番すべきことは転びそうになることを治すことだと思いついて、デイケアに週2回通うことを決めました。すぐに歩くのがしっかりすることはありませんが気長にがんばっています。

そのような中、青森松原教会の中で伝道部に入ることになりました。私はデイケアの中で「こころの友」をあげる人を選ぶことと、継続して読んでもらおうと思いました。「こころの友」とはキリスト教の新聞の広報紙のようなものです。

普段よく話をするようになった人たちに、「こころの友」を渡した瞬間に真剣に読んでくださっている姿を見て「しめた!」と胸が躍りました。「人間は他人に話せない悩みを抱えている」との想いでした。

秋になり、当教会のフェスタ(バザー)のチラシをあげたら、Fさんは娘さんとお孫さんを連れて来てくださいました。その他、用事で来られなかった方もいらっしゃいましたがチラシをあげた人たちが無視なさらず、反応を見せてくださったことがうれしく、神様に感謝しました。

神様は弱小の私の祈りにもいつも何らかの形で応えてくださいます。私は神様を信じることに大いなる祝福をいただいています。

(K.N.)

「冥福」の「冥」は

青森松原教会では、毎週水曜日の午前10時30分から1時間ほど、祈祷会をしています。時に変更されることもあるので、くわしくはホームページで確認していただきたいと思います。

7月に起きた、障害者施設が襲撃され19名が亡くなられてしまった事件の後の祈祷会で、自分が祈る時、そのことに触れ、最後に「御冥福をお祈りしたいと思います」と言いました。

すると、その祈祷会の帰りに玄関先で牧師に小さい声で呼び止められました。何だろうと思い話を聞くと、「細かなことかもしれませんが、『冥福』の『冥』は『冥土』の『冥』で、『冥土における幸福を祈る』という意味の仏教の用語です。一般的にキリスト教のお祈りでは使いません。代わりの言葉としては『主の慰めと平安を祈ります』などが一般的です。」と教えていただきました。「日本語って難しいですね」と答えました。

祈祷会ではリタニー(連祷、交祷)があります。出席者全員が自分の言葉で祈りをささげます。人前でお祈りを口にするので恥ずかしいですが、慣れれば何でもありません。むしろ注意深く聞いてもらえ、助言してもらえるので、勉強になります。

今祈祷会では創世記を学んでいます。その前は詩編でした。私は詩編をきちんと学んでみたかったので、最初に祈祷会へ行きました。2013年頃のことです。

これからも先達のみなさんと聖霊の導きにより御言葉に触れていきたいと思います。

(M)

ほんのひと匙(さじ)の楽しみ

9月の中頃から次男の弁当作りをしていますが、水分補給にと、市販のお茶を持たせていました。次第に気温が低くなり、温かいものがほしい季節になったので、温かい煎茶、麦茶、こんぶ茶などを代わるがわる作って持たせていたところ、姉から「煎茶に抹茶を少し入れても美味しいわよ」と聞いたので、いろいろと入れ方を工夫してみました。

抹茶を入れると、とてもきれいな緑色になり、また香りもよく、嬉しい気分になりました。

また、抹茶を手にしたことから、茶道(表千家)を習っていた20代の頃のことを思い出したのです。短大を卒業し、就職し、多忙な日々を送っていた時で、何か気持ちが落ち着くようなことをしたいと思っていた時でした。、5年位も続いたでしょうか。もうすっかり忘れてしまっていたことが次から次へと頭に浮かんできました。

抹茶特有の香り、何とも言いようのない深い味わいを醸し出す香りが大好きで、気に入っています。

煎茶にほんのひと匙、抹茶を入れたことから昔の思い出が甦ってきたのです。

私は、この抹茶との再会を機に、これからも弁当作りを続けながら、細やかな楽しみにしたいと思っています。

(R.E.)

自分を励まして

やっと探し当てた、ユーモア作家S女史の本を読んで、次の記事にぶつかってハッとしました。

「若い頃のおしゃれは、美しく見せるのが目的。中年以降のそれは、心にハリを持たせて自分を励ますことに意味があるのです。」

この文章は、私にデイケアで出会うあの人、この人と、何人かの人のことを思い浮かばせました。デイケアに通う人々は大まかに言って年齢が近いです。私の目から見て「この人こんなことに気を使って、ご苦労さん。」と思わせられることが多々あります。

着る物については後回しにして入浴のあと、ヘアクリームで髪を整える人。コンパクトに向かって顔をパフで叩いている人が目に入ると「私には全く思いもかけないことに精を出す人も居るものだなぁ」と感心してしまいます。

私ときたら、白髪頭にブラシをかけただけのひっつめ型。抜けた歯の数が増えて歯医者にかかったら少しの説明の揚げ句に総入れ歯になってしまいました。

一番困っているのはヨロヨロ歩きを直したくて杖をつくのに、その杖に頼りたくて力の入れすぎの為に疲れ易いこと等々です。どんなに感銘的な記事にめぐり合っても全くどうにもならない体の衰えようです。

色々考えていたら、私は子供の時分の着物のおしゃれについて思い出しました。何故なのか私は赤い物が嫌いだったのです。好きな色は明るい青でした。模様には関係ありませんでした。母には2、3年毎の着物の取り換え時、どんなにか厄介をかけたことでしょう。

90代の道を生きる私には、白髪を染めたりパーマをかけたりすることは、自分の身をいじめるように思えてやる気はありませんでしたが、S女史の言葉には心を打たれました。20代の頃に周りの誰よりもパーマをかけることが遅かった私を「大和魂の権化」とからかった人が居たことを思い出しましたが、私は平穏な心境を保つことが出来ます。「人は人、自分は自分」です。

「水は方円の器に従う」

私はこの心境を持続する自信と感謝を神様から与えられていることを自任しているからです。

(K.N.)

初めてのショートステイ

小学4年生の時、劇団四季のミュージカル『むかし、むかし象が来た』を初めて観て、ミュージカルが好きになりました。お母さんも初めて観て好きになりました。それから、青森で劇団四季の公演があるたびに観につれて行ってもらいました。

いろいろなミュージカルを観た中で、『夢から醒めた夢』(原作・赤川次郎)が一番好きです。これまで4回観ました。今は視力が無くなってビデオが見えなくなったので『夢から醒めた夢』の公演のCDをかけて、ステージのシーンを思い浮かべたり、劇中で歌う歌「夢を配る」「二人の世界」「愛をありがとう」等を聴いて楽しんでいます。

9月5日~6日ショートステイで金浜療護園に1泊しました。初めてだったので、不安と楽しみが半分ずつで緊張していましたが、松原教会のラベンダーの会の皆さんが昼食会をして励まして下さり「神さまに守られて、無事にショートステイができますように」とお祈りしてくれたので、私はとても勇気をもらいました。

1週間前に風邪をひいてしまって「神さまショートステイの日まで元気にして下さい」と私は毎日神さまにお祈りしました。 そして『夢から醒めた夢』のCDを持って行って部屋で聴きながら、初めてのショートステイを無事に終えることができました。

いつも私の側にいて守って下さる神さまに感謝します。

神さまありがとう!

(H.F.)

大きい金のメダル

今月の初め、孫の運動会があり、家族で応援にかけつけました。

孫の出る種目は50m走、玉入れ、綱引き、大玉運び、親子障害走、リレー等と、たくさんあり応援する方もあちらこちら移動し、忙しくて手大変でした。

暑い日差しの中、汗をかきながら懸命に走る園児たちの姿を見て、とても嬉しく、これまでの成長を心から神さまに感謝しました。

 

この運動会で特に心に残ったことは、開会式の園児代表の言葉でした。

「私たちは、転んでも泣かないで、最後まで一生懸命走ることを誓います。」

と、可愛い声で宣言したことが、心にグッときました。

 

又、園長先生のお話しの中で

「転んでも、泣かないで一生懸命走って下さい。一生懸命走った人には、リオデジャネイロのオリンピックの選手がもらう、どのメダルよりも大きい金のメダルを皆さん全員にあげますよ」と話された事が、とても印象的でした。

走り終えた後、園児たちの胸にはお日さまにキラキラ光り輝いている、大きい金メダルがありました。

“みんなメダルをもらえて良かったね”

(R.E.)

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『白愁のとき』に見まわれて

夏樹静子氏の『白愁のとき』を本棚に見出して読んで見ました。以前に「白愁」という言葉を説明した記事を思い出し、自分の日常生活に心を寄せたりしながら……。白愁=人生の秋。30代、40代の時の如く仕事に合わせる能力が身心共に衰えて来る時季。女の更年期、男にも更年期あり等(など)いう。語源は確か中国で、人生の年月を季節に例えて分別し、それに色をあてはめてる。

① 青春=若さいっぱいの20才前後。石坂洋次郎の「青い山脈」がピッタリだと思う。

② 朱夏=人生の真っ只中。25才~45才。男盛り、女盛りと言われる。

③ 玄冬=(玄)は奥深くて光の及ばない所の色。黒。天の色。

小説の荒筋は省略します。主人公は52才の優秀な造園業を営む男性。叔母がアルツハイマー症に犯されて若死した事もあって、近頃の自分が頻繁におそわれる物忘れ、不眠症、仕事のミス等に一喜一憂の日々に喘いでいます。その様子が縷々画かれて居ます。精神科医を友人に持って居るので良く訪ねては苦悶を訴えています。

私にも彼に似た症状が50年前から生じました。呑気に構えては居ますが、TVを見ていて困る事があるのです。「この話はちゃんと聞きたいな。」と耳を傾けた途端に場面が移って字幕が消えてしまうことです。「こんな時に必ず思い出すのが、20代の事です。学校の体操場での映写会でナレーターをやっていたことです。画面が新しくなった瞬間、全面的映に写場面も字幕も頭に焼きつき、役目を完全に果たす事がきたのです。昔の話を持ち出してもどうにもならないと諦めるばかりですが・・・・・

この小説には次の終末分野があって私を救ってくれました。神からの恵みだと感謝いっぱいです。

◎「みんな、のべつ物忘れしながら生きているのだと彼は急におかしくなった。(中略)第一凡ては疑いでしかないのだ。」

◎「凡ての物は移ろい、移ろいながら永続して行く時の景なのだ。と考えよう。この爽秋の果てない大気の中に身も心も魂も溶けて行く。永遠と一体になるのだ。」彼は秒を刻む腕時計を空高く放り出して小説は終わりました。

そして私も「白愁」という美しい言葉の裏に潜む恐い物の存在を暫し遠のけて、穏やかな一つの別れを致しました。

神様ありがとうございました。

(K.N)

わたしの8月

私はカナカナ蝉のあの澄んだ、綺麗な美しい声が嫌いです。

8月と言えば先ず終戦記念日が頭に浮かびますが、空襲で家を焼かれ、農家の物置を借りて両親と3人で住む事になりました。私は15歳でした。

牛と同居しており、丈の低い板囲いの上から牛がにゅーっと目の前に顔を出すので、慣れるまで大変でした。

無い無いづくしで、何にもない、学校も焼けたから行く所がない、唯、降るような「カナカナ」の声と、牛の動く物音だけ、本を読みたい、活字なら何でも良いと思いました。

それでも「はだか電球の明るさ」、座敷の方から聞こえるラジオの「リンゴの歌」のメロディーに心が弾みました。

でも、2ヶ月後に届いた兄の戦死の報せの悲しみは、消すことができません(26歳。好きな人も居たのに……)。

「いつまでも平和でありますように」と、祈るばかりです。

(C.K)

神は愛なり

母が元気で独居暮らしの頃の物語です。

大寒のある朝、黒トラの猫が庭のふとん干し場から家の中の母の姿をジーッと見ているので、気になって庭に下りて猫の所に近づくと、首から何か書いたものがぶらぶら揺れて困っている様だったのです。

その名札には、

「メッセージ、私は老人ホームに行きますのでこの子を連れて行くことが出来ません。どなたか心やさしい方にお願い。この子の新しい飼い主になって下さい。名前は熊吉・メス猫・不妊手術済みです。とても気だてのいい子です。」

と書いてありました。母は熊吉に向かって言ったのです。

「今朝から私があんたの主人よ、ひっかいたりしないで仲良く暮らそうね。」

ここでは熊吉だけど、公園の子供達は「タマー」って呼ぶし、魚屋さんへ行くと「熊子ー」って呼ばれていた。

皆に愛されて、これって神は愛なり、あなたをみなし子とはなさらない、か?

(Y.K.)