青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

TEL:017-776-4800

 FAX:017-723-6809

〒030-0813 青森市松原1-16-27

聖書黙想会

毎月第4土曜日の午前9時から10時まで聖書黙想会という会があります。

(教会の行事等で第4週から動くこともありますので、おいでになりたいとお考えの方は、教会のホームページ等で確認なさって下さい)

4月23日(土)の時、黙想会の日であるのはわかっていましたが、十和田市に行って北里大学獣医学部創立50周年記念の大村智博士の講演を聞きに行っていました。桜がちょうど満開で美しく、天気も良かったのですが、黙想会のことが気にかかっていました。

前回のブログの時に4月10日に行ったソプラニスタ岡本知高氏のコンサートのことを書きました。そのころには大部、聖書黙想会より大村智博士の話を聞きに行くかな?と思っていました。そのコンサートのピアニストの方が、他の方より1日早く青森入りしたのです。娘さんが北里大学獣医学部に入学して2年生となり、4月から十和田で生活することになったので、そのアパートに一晩泊ったそうです。一緒にダンボールの箱を開け荷物整理をなさったそうです。その話を岡本氏がされた時、自分が行くかどうか迷っていた十和田市の北里大学の名前が出て来たので「天の啓示」みたいに受けとめました。それで4月の聖書黙想会は休みました。

翌日の日曜日の礼拝の中で、牧師と4月の担当長老の方と、たった二人しか出席者がいなかったことを知りました。95歳の私の母も教会に行っているので、私が休むということは人数が二人分減るということになります。

5月の第4土曜日の28日はちゃんと出席しました。ちょうど前に説教などで学んだ聖書の箇所が出てきました。やはり聖書に触れ、何かにつけて読んだり、先達のお話を聞くことは大切なのだなあと実感しました。

(M)

ゴスペルは楽しいな。

ゴスペルは楽しいな (^^♪

説教、お祈りをもう少し短くした方が良いかな?

 

その後のお茶で、交わりが出来るのではないでしょうか。

歌も、変えてみたらいかがでしょうか

 

いろんな人とお話しが出来、外で逢って、又そこで交わりが出来る事がとてもうれしいです。

 

皆様どうぞ教会においでください。 †┏┛教会┗┓†

 

K.H.

オルガンとの出会い

私は今64歳です。若いつもりでいましたが改めて高齢者になっていたのだと今、実感しているところです。

私が小学2年生の時、父親が買ってくれた小さなオルガンが部屋の片隅に置いてありました。母の友達が遊びにいらして「ちょうどオルガンがあるのだから私が教えましょう。」と言ってくれたのが、私が音楽を始めるきっかけです。小さい時、足踏みオルガンに慣れるのが大変だったのを覚えています。バイエルも後半になると鍵盤が足りなくなってピアノに代わりました。

あの頃、ピアノを習っている子供はクラスに2人位でした。私は地元青森から離れることもなくピアノの先生になりたいと思って地元のカトリック系の中学、高校、短大と進みました。卒業後、ヤマハ音楽教室に就職し、ピアノとエレクトーンを教えることになりました。本当に充実していました。結婚してからもピアノだけは教え続け、少人数ですが今も続けています。

教会は祖父、母親が行っていました。今、教会は10月に創立125周年を迎えます。青森の長島の地から松原の地に移って30年です。

私は30年前、長男が赤ん坊の時に教会の中を見たいと思い、おぶったまま玄関のベルを押しました。中から若い牧師が出てこられて、快く真新しい礼拝堂を案内して下さいました。外国製の立派なリードオルガンがありました。すぐ牧師先生がオルガンを弾いてくださいました。その音色に聞き入っていました。毎年クリスマスに、小学生になった長女と長男を連れて行ったことを思い出します。

私は今年の4月からオルガン奏楽の奉仕をすることになりました。毎日、毎日、緊張、緊張でどうしたらいいのかわからなくて、大澤牧師に「お祈りしてください。」とお願いしました。落ち着いてきました。ありがとうございました。

オルガンの重厚な響きと讃美歌が好きです。毎回、緊張ですが、今、弾いている時が幸せでうれしいです。

T.K.

教会に集う子どもたち

29日(日)子どもの教会の分級の時間に(礼拝後に聖書のお話を学んだり、レクリエーションをする)、子どもが二人来てくれました。二人が教会に来てくれたのは数ヵ月ぶりです。二人は兄弟です。会うたびに成長していく姿を見て、嬉しくもあり、頼もしくもあります。よく来てくれたね!と、教師スタッフみんなで大歓迎です。送り出してくださったご家族と、神さまに感謝です。子どもたちの健やかな成長を心から祈ります。

現在、子どもの教会は子どもの出席が激減状態です。でも時々出席してくれる子どもたちがいます。いつも子どもたちを迎える心備えを忘れないようにと、改めて思いました。子どもたちを迎える心備えをする、この当たり前のことがおろそかにならないようにと、神さまのお支えを祈る日曜日でした。

(S)

種を蒔く人

冬が過ぎて、春が来ました。青森の春は、とても急がしいなと実感するこの頃です。寒かったり、暖かかったりそのたびにストーブを出してみたり。(冬物を片付けたばかりなのに。)

桜の花も散り、チューリップの花が咲いて、今スズランが満開の見頃となりました。岡山から送られて来た種をあるわずかな空間へ蒔いてから数年経った現在、見事なスズランの群落となりました。

わずかな空間と、時に雪や雨に打たれ、夏はカンカン照り返すアスファルトのすき間です。そのたくましさに脱帽……。

(y.k)

うれしいプレゼント

5月8日「母の日」の1週間位前のことです。一緒に住んでいる5才の孫が「ばぁばにプレゼントあげるからね。」と言って、ティッシュペーパーの箱を持っていき、何やら作業を始めました。しばらくして「ばぁば ハイ、プレゼント♪」と手渡された物はティッシュの箱でした。

上の方にばぁばの似顔絵 を書き、その周りに小さくてカワイイ赤いハートを散らして書き、すぐ下に「ありがとう」とありました。

又、下の方には「おばあさん、ありがとう」と折り紙に書き、各々に切って貼ってありました。

丁度2ヶ月前の3月8日に、孫たちの母親が急に病気で亡くなり、その母に代わって、不十分ながら面倒を見ている私にとって、このプレゼントは何にも増して嬉しい物でした。

まだまだ母を必要とする幼少期の孫たちのこれからの健やかな成長を、天の父なる神さまが守り導いてくださることを心から祈り願います。

家族全員でもサポートして行こうと話し合いました。

(E)

長崎の大浦天主堂で

私は旅行が大好きなのですが、観光というものにはあまり興味がありません。有名な場所、物を見るよりは、歩いてその土地の空気を感じたい。地元の方々とお話をしたい。いつもそう思います。

そんな私ですので、数年前に長崎に行き、大浦天主堂の中に入ったときも、特に何かを考えるということはありませんでした。「そういう教会なのか。なるほどなあ。」程度の反応でした。

数日前に、また長崎に行く機会がありました。今の私は数年前とは違い、求道者として教会に通っています。今度は自分がどう感じるのか興味があり、また行ってみることにしました。教会そのものよりも、自分自身の反応を知りたかったのです。

教会の雰囲気は全く変わっていませんでした。でも、パンフレットを読みながら中を歩いていくと、当時の長崎のクリスチャンの思い、神父さまの思いが伝わってくるように感じました。毎週礼拝を守っている今の私に置き換えて考えてもみました。自分が信じるものを隠して生きていかなければならないという生活は、どのようなものだったでしょう。想像するだけで苦しくなります。場所や物は、その背景、歴史を理解することによって、より大きな意味を持つ存在になり得ることがようやく私にも分かりました。

カトリックとプロテスタントの教会は、建造物としての造りが大きく違いますが、その歴史を考えるとき、心に訴えてくるものには違いがないように感じました。そう言えば、私は2000年にロシア正教会総主教アレクシイⅡが函館にいらしたとき、1メートルくらいの距離でお顔を拝見し、随行の方々ととても楽しい会話(のようなもの?)をしました。そのことは、また別の機会にご紹介しましょう。

yn

言葉について

何気なく開いた古雑誌の中に「言葉には表と裏がある」のタイトルで二人の職者が対談しているのを見出したので、その一部を紹介したくなりました。

最近、攻撃的で表面的、ある意味わかり易い言葉がどんどん流れる事が多くなりました。だから無責任な言葉を真に受けて自分を傷つけたりしないようにと警告を発しています。同時に、言葉は喋って相手にぶっつける事で自分の感情をなだめる道具なのだから、口ゲンカや悪口雑言だって、波立つ心のさばけ口として大切なものとしてみるべきです。

辞書には「うら寂しい」や「うら恥ずかしい」等のように「心」を「うら」と言うことがあります。心は「心中」とか「心奥」、「心の底」等のように簡単に外に出られない場面が数多くあります。「うちうちで」とか「本音と建前」、「他人の目が届く」とかに敏感な人も数多く居ます。更に「腹が立つ」、「頭に来る」、「髪の毛が逆立つ」など全身で心を表す表現もあります。

昔話や神話には限りなく人間の考え方の傾向や無意的にくり返される言動が表現されています。その一つの「夕鶴」は「見るな」の約束を与ひょう(登場人物、百姓)が破った為に生じた悲劇です。

「人間と鳥」の生と死の間で「あれか、これか」とこり固まって考えずに、「あれもこれも」と余裕を持ち二股をかければよかったのです。二者択一の慌てた考え方でなく時の流れに身を任せる問題の解き方もあるという結末で対談は終わりました。

私は此処で聖書の「ヨブ記」に想いをめぐらせました。

聖書を読んでも「わからない?」の思いに捉われてしまう私は「詩編」と「ヨブ記」だけが、どうやら何かがわかったような安堵感を抱ける人間なので大きなことは言えないのですが……。

神から信仰深いヨブを試みる事を認められたサタンは色々な手段でヨブの生活を苦しめ、とうとうその生活をどん底に落としてしまいます。ヨブの友人、知人達が相次訪ねて来て、慰めたり忠告したりするがヨブは一切それらに耳を貸さず、反論する一方だから、ヨブの生活が好転することはありません。延々とくり返す論争の中に、ある青年が登場して以来、空気が少しずつ冷静さを生じ、ヨブは自分の神に対する「高ぶり」を自覚できます。

以来、神との出会いを解決への道として歩み直します。以前の信仰を取り戻したヨブが完全に勝利を得たことに私は広く深い神の愛に対して祝福と感謝の念に満たされてしまいます。

(K・N)

春の日に

この度の「平成28年熊本地震」の被害にあわれた皆様に心より御見舞い申しあげます。
4月14日の地震は前震で16日の地震が本震だと気象庁から発表がありました。まだまだ地震は続いています。

話は変わりますが2016年4月10日にソプラニスタの岡本知高氏のコンサートに行ってきました。
「男性としての強い筋力と豊かな肺活量を、生まれながらのソプラノヴォイスを通して発揮出来るという、
世界的にも大変稀有な天性の男性ソプラノ歌手である」とパンフレットに書いてありましたが本当にその通りで、
声はとてもすばらしく、来て良かったと思わせるものがありました。

テレビに出演されたことも何度もありますのでご存知の方も多いと考えます。

おしゃべりも素朴で普通の庶民と同じようで好感がもてました。
一般相手のコンサートよりも中学校などでする教育公演が多いそうで、青森市でも沖館中学校の合唱部と共演しました。
すき透るような声でした。

御本人は無宗教なのだそうですが、祈りに対して理解があり、讃美歌も何曲か歌われました。

国際ソロプチミスト(女性のための国際的な社会福祉団体)主催のチャリティーコンサートでしたが、
岡本氏はそのことをとても評価しておられ、また青森に来る時にもチャリティーでやりたいとおっしゃっていらっしゃいました。

熊本で強い地震が続く中、それでも青森では桜の花が咲き始めたことを喜ぶ心があります。
本当に1秒後に自分がどういう状況に置かれるかわからない人生です。

普通の生活が送れるありがたさをかみしめたいと思います。

(M)

バイブルクラス

新年度が始まっています。
新しい環境に喜びと共に緊張を覚えていることでしょう。
勉強に、スポーツにと、新しいことに踏み出すことを応援しています。
お一人おひとりの歩みに神さまのお守りがありますようお祈りしています。

子どもの教会では、毎月第二日曜日、子どもの教会礼拝後に、バイブルクラスを開催しています。
アメリカ人講師による、聖書をテキストとした英語の学びです。
毎月、心のこもった手作りの教材を準備してくださり、感謝です。
きれいなネイティブな発音で英語の聖書を聴くことが出来ることが、先ず、大きな恵みです。ゆっくりとしゃべってくださるので、英語の文章を目で追って確認できます。
家に帰ってから、教材の英語の文章を書き写して、おさらいしてみます。

手作りテキストには、その箇所の理解を深めるために、質問をいくつか用意してくださっています。
30分程度の短い時間なので、全部の質問を考えて答える余裕がないのが残念ですが、考えるきっかけを与えてくださることは、感謝です。

この楽しく有意義な時間を、もっとたくさんの人に経験してほしいと願います。

(S)