『何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみに使おうと、間違った動機で願い求めるからです。』(ヤコブの手紙4章1~3節)
新しい年になりました。日本では昭和101年、戦後81年に入りました。
新年にあたり、上記の聖書の箇所を選んだのは、終わることのない2つの戦争が今も続いていること。
また世界も日本も落ち着かない世の中で、日本では防衛が声高に主張され、昨年10月からの新政権では、これまでより更に莫大な国家予算を防衛にあて、日本で製造した武器輸出を拡大しようとしている懸念からです。
国を守るのは防衛、特に兵器という政府の言葉に納得し、賛同している国民も多いようですが、絵空事と思っている私です。
今年は戦後81年ですが、私の姉は来月、誕生から91年。弘前の市街地の小学校で戦中を過ごしました。
10歳の小学生が、岩木山麓の村に開墾のため、10㌔を超える道を何度も歩かされた。伐採した木の根元を荒縄で縛り、小学生達に綱引きのように引っ張らせて根を抜いたそうです。畑を作り、野菜を得るための国策。飛行機の燃料にするために松ヤニも集めさせたと言う。また焼夷弾が落ちてきたら、ササラ(竹を細く切って束ねた台所用具。タワシのように使う)で払えと教えられたと言う。この他にも戦争心得として教えられたことは、10歳の子どもに“変なことさせられている”と思わせ、大人になってからは、あきれるほどのバカバカしさを真面目に吹き込まされていたと言う。開墾は畑になる前に終戦になってよかったとも。
防衛、特に兵器で国を守るというのは、当時と近い発想かも知れないと私は思っています。兵士を含め300万人以上も殺された日本国民、無残な焦土と化した国土、日本が侵略した国々への反省がほんとにあったら、戦争しない国を今こそ掲げ、憲法第9条に添う政策をし、他の国にも働きかけて欲しいというのが、新年を迎えての私の願いであり、祈りです。
『戦争は人間の仕業です。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です』
ローマ教皇 ヨハネ・パウロ2世は、このことばを広島で、平和を築くのは人間の責任と強く呼びかけられました。(S・K)