青森松原教会ホームページ

青森松原教会は132年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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2024年

カナダ楓の押し葉

 手元に1枚の、カナダ楓の押し葉がある。
押し葉をされたのは、30年程前に青森市のカトリック篠田教会(今は無い)におられ、青森の後、東京の教会に移られたカナダ・ケベック外国宣教会から派遣されていたフロラン・ベンサン神父さま。
 9月下旬、茨城県・カトリック取手教会の友人から、夫に洗礼を授けてくださった、カナダ・ケベック外国宣教会の本部におられる神父さまを夫婦で訪ねるという連絡をいただいた。
 本部には、世界各地で福音宣教をされ、ご高齢になり第一線を退かれた神父さまたちが50人近くおられるそうです。

 ベンサン神父さまは、青森におられた時、松丘保養園(青森市石江にあるハンセン病療養所・以下松丘)内のカトリック教会のミサもされていました。私はプロテスタントですが、松丘のカトリック教会に友だちが何人もおられたし、ミサは確か土曜日だったと思うので、ミサに度々出席し、ベンサン神父さまとも親しくさせていただいてました。
  ベンサン神父さまは、松丘の信者さんたちにとても慕われ、親しくされていました。日本語の、読み書き話すも達者でした。信者さんたちは「漢字がわからなかったら神父さまに聞けばいい」と言ってたくらいですが、イエスさまのことを、言葉で伝えるというよりも、キリストに倣うという生き方で、日常の人々への向き合い方を通して知らせていたと思います。
 スキーもとても上手で、私が雲谷のナイターに行ってた時、お見かけすることがありました。片足をスケーターのように上げて片足で滑っていたこともありました。「わたしが天に迎えられた時には、スキーを一緒に埋めて欲しいと思っている」とおっしゃったこともありました。
 カナダにお帰りになるために、松丘の信者さんたちにご挨拶に来られた時、私も同席していました。記念にサインをお願いしたら、『肝心なことは 目には見えない 心でみなければ ものごとはよく 見えない』と“Be yourself”の言葉を添えてくださいました。サインの横に、2005-5-14とあります。

  現在、ケベック会の本部におられることは知っていたので、友だちに神父さまへのお土産として、神父さまの大好きなスヌーピーの、SNUOOPY Aomoriniの印字に林檎を食べるスヌーピーの図柄のTシャツを託しました。とても喜んでくださったようです。友だちは電話で繋いでくださって、神父さまと話すことができました。「こんばんは(青森は朝でした)、ベンサンです。95歳になり、今は耳が遠くなりました。スキーは89歳で止めました」と。
 友だちの夫さまがお訪ねした神父さまも90歳を超えられているそうですが、友だち夫妻が参加したミサの時には、聖堂の巨大なパイプオルガンを弾かれ、お二人がオルガンに合わせ日本語の聖歌を歌ったことに、神父さま達が喜んで拍手してくださったそうです。
 カナダ楓の押し葉は、ベンサン神父さまが、友だちに託して私に届いたもの。
長い間ブランクだった関係が、思いもかけない方法で繋がったことの不思議。日本、その他の国での宣教を終え、今、静かで豊かな日々を過ごしておられる神父たちに神さまの祝福がありますようにと祈ります。     (S.K)  

遠い昔の懐かしい思い出

今から70年程前の小学2年から4年の頃のことです。近所の仲良しの友人の家に集まり、歌や踊りの練習をしていました。何の為かというと、友人の誕生日毎に歌や踊りを披露して祝い合うためなのです。曲目を決めると、振り付けをみんなで考え、曲に合わせて踊るのです。主な曲目は“花嫁人形”や“雨降りお月さん”などの童謡で、衣装は大人の浴衣や丹前、自分の家にある着物の裾をジョロジョロとお姫様のように引きずって、気持ちは大人のように背伸びして、嬉々として楽しんでいました。レコードプレーヤーは手動で首振り。レコードもLP盤ではなく、SP盤でした。練習場は友人の家の内蔵(うちぐら)の前にある板張りの空間(結構広め)でした。誕生日の当日、本人の家を訪問し、みんなで歌や踊りでお祝いし、お赤飯やおやつ、果物などをごちそうになり、楽しい時を共有していたものです。夏には温い(ほとんど水)お風呂(友人の家のお風呂)でバチャバチャと水かけごっこをして遊んだりもしました。

また同じ頃、日曜日には黒石の“御幸(みゆき)公園”の隣にあった旧黒石教会の礼拝に、姉や友人達と、30円位(バス代往復20円と献金)を親からもらい、出席していました。帰りのバス代をおやつ代に使ってしまった時には、浅瀬石川を渡り尾上町までの石ころ道を、下駄ばきで歌ったり楽しくおしゃべりしながら帰ったものです。その当時の教会には、幼児から学生、大人まで大勢出席していて、毎日曜にぎわっていたように思います。出席の度毎にカードにハンコを押してもらい、出席率が良いとクリスマスにはプレゼントをもらうことができたのです。記憶に残っている品物は、文語体の聖書です。讃美歌は、歌詞が模造紙に書いてあり、元気に歌って楽しんでいました。また、紙芝居もあり、”弘前公園”への電車での遠足もありました。牧師先生の聖書のお話やお祈りもあったと思いますが、その当時は信仰うんぬんよりも遊び気分の方が強かったと思います。遠い昔の、楽しく懐かしい思い出です。(※小学生低学年の頃は、1円でキャラメル2個買え、高校3年の頃はかけうどん30円、ラーメン50円でした。)
                (R.E.)

訳文の妙  その時にかなって美しい

2024年9月22日の主日礼拝は北西地区講壇交換で石川敞一牧師(浪岡伝道所)をお迎えし、説教していただきました。そのお話の中に「コヘレトの言葉」3章11節から引用された「神のなされることは皆 その時にかなって美しい」という言葉がありました。
きれいな言葉だなと思い、新共同訳(2004年)聖書で確認したところ、「神はすべてを時宜にかなうように造り」とあり、なにかそっけなく、石川牧師の引用と違いました。石川牧師指定の聖書箇所で詩編31編15節は口語訳と指定されていたので、口語訳聖書で「伝道の書」3章11節をみてみたところ、引用通り、「神のなされることは皆 その時にかなって美しい」という訳文でした。ついでに、聖書協会共同訳(2018年)聖書で「コヘレトの言葉」3章11節をみると、「神はすべてを時にかなって麗しく造り」とあり、新共同訳よりはよかったのですが、やはり口語訳の訳文がいちばんきれいにきこえる気がしました。

日本語訳は言葉の順番が原文と違ったり、原文通りに理解しづらい所もありますが、訳文の言葉の響きによっては、心ひかれ、その聖書箇所に注目させてくれるところもあるかと思います。同じリルケの詩も、日本語訳文によって印象が違うように。
有名なところでは詩編23編2節で、口語訳では「主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる」と訳されていたのが、新共同訳(2004年)では「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い」となり、がっかりした方が少なくないと聞きました。聖書協会共同訳(2018年)では、「主はわたしを緑の野に伏させ、憩いの汀(みぎわ)に伴われる」と「みぎわ」が復活されました。意味するところは同じなのでしょうが、素敵な響きの言葉で聞きたいなと思ってしまう私です。 (すぬこ こと S.K.)