新しい年も、もうすぐ2月。
この地球上に今起こっていることは、暗澹たる思いをすることが多いですが、昨年12月に、友だちから貰った手紙もそうでした。
その友だちは、中国のチベット族が多い地域に拠点を置いて暮らしていました。一時帰国した時に、コロナで足止めをされたが、また中国に帰ったと聞いていました。ところがその手紙には、「2年ぶりに現地に戻ったが、1ヶ月程で日本に帰ってきた。現地入りしてから現地で取り調べがあり、学生支援と福音を伝えたという理由で国外退去となり、10日間ですべての荷物を整理し日本に帰った」と。
中国は世界で4番目に大きな国土を持っていますが、国中に監視カメラを設置し、人々の動向をキャッチしていることは知られているところです。
別の友だちは、夫婦で世界飢餓対策機構の職員として中国に行き、20年ほど暮らしたけれど、ビザが発行されなくなり、結果的に今は日本に居住しています。その友だちが中国にいた時、メールを交換していましたが、友だちからは、“メールに神さま、イエスさま、教会という文言は禁句。メールはすべてチェックされていると思って”と、対面で会った時に言われていました。12月に手紙をくれた友だちは、この友だち夫婦の働きに憧れて中国に渡ったのです。 イエスさまの愛を標高3000㍍に暮らす、貧しいチベット山岳民族の教育や暮らしを目に見える形で支援し、福音を生きることで示し、ことばで伝えていたご夫婦に憧れて。
でも中国政府にとっては、国外退去に値することでしかないのです。
神さまは、国外退去した友だち、20年中国でチベット族と共にあった友だち夫婦のお働きを捉えておられるでしょう。
『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人に したのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ25章40節) (S.K.)