青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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ブログ

「ゴスペルの夕べ」が始まりました

今年の4月から「ゴスペルの夕べ」が始まりました。

(毎週第2土曜日16時~17時30分まで。8月は休みです。)

 

まず、16時から讃美歌の練習をします。同じ讃美歌を何回も歌うので、初めてでもしっかりと歌えるようになります。讃美歌は電子オルガン、ドラム、ギター、ベースなどの楽器演奏に合わせて歌います。会衆の私たちもタンバリン、マラカス、カスタネット、鈴などを鳴らしながら歌う曲もあって、とても楽しいです。

 

少し休憩して17時から「ゴスペルの夕拝」です。大澤先生の語るメッセージを聞き、祈りの分かち合いでは、会衆から出された悩み、苦しみ、悲しみなどを大澤先生が祈って下さり、私たちもともに祈ります。練習した讃美歌をたくさん歌っていると、私は礼拝堂が聖霊で満たされているような思いになります。

 

私の好きな讃美歌は「Foot Prints (あしあと) 」です。

主とわたしで歩いてきたこの道 あしあとは二人分

でもいつの間にか一人分だけ 消えてなくなっていた

主よ あなたはどこへ行ってしまったのですか

わたしはここにいる あなたをおぶって歩いてきたのだ

あなたは 何も恐れなくて良い わたしが 共にいるから(歌詞)

 

神さま「ゴスペルの夕べ」をありがとうございます。みなさまもどうぞおいで下さい。

(H)

聖書を読んでみませんか?

「ねえ、ねえ、『聖書』って何なの???」

私は知り合いの子からこの素朴な質問を受け、咄嗟にわかりやすい言葉で説明ができませんでした。何とか適当に答えておいたのですが、後でこれではいけないなと後悔しました。でもなかなか実行できず現在に至ったのですが、今、私の属している青森松原教会(旧・青森長島教会)では、来年(2016年)10月に教会創立125周年を迎えます。そこで「聖書通読」をやってみようということになり、旧約聖書1章、新約聖書1章と、1日2章ずつを今年1月下旬から実施しています。そしてまた、4月からは聖書黙想会を毎月第4土曜日9時から10時まで行っています。

そこで私は改めて「聖書」って何???について調べることにしました。固い表現になりますが、聖書辞典によると、「聖書」はキリスト教の経典である。教会はこれを神の自己啓示と、人類に対する神の意志とを掲示する霊感の書と認め、信仰の規準としている。しかし、これはイスラム教徒がコーランについて主張するような「天から降った書物」ではない。

「聖書」は聖霊の感動によって書かれた神の啓示であるが、それは同時に人間の言語を媒介として書かれた書物である。すなわち聖書記者(キリストの弟子たち)が神からの啓示を、文化的な営みを通して、人間的な制約を担いながら人に語ったものである。ダイスマン(1866-1937)がパピリの言語学的研究から「聖書は庶民の書である」と指摘したように、「新約聖書」は市井(庶民)の言語で書かれた「庶民の書」である(まだまだあるが、詳細は省略)。

現在私は、毎日聖書を読んで聖書に親しんでいるのですが、毎回のように「み言葉の宝石(宝)」を発見しています(特に新約聖書から)。

みなさんも「聖書」を読んでみませんか?

(R)

風のはこんだおはなし会

先日18日(土)に青森市民図書館、青森市読書団体連絡会主催の絵本読み聞かせ会、「風のはこんだおはなし会」(地域編)が当教会で開催されました。今年のテーマは「お祭り」でした。絵本やゲーム、そして今年は初めて、ゴスペルグループの方々が数曲歌ってくださいました。キリストの風が会場に爽やかにそよぎました。

参加してくれたお子さんはアメリカからの帰省中、この会に参加してくれました。教会員の方々も足を運んでくださいました。子どもの参加が少なかったのは残念でしたが、神さまがこの会を祝福してくださったことを感じました。

ご奉仕してくださった方々に感謝いたします。来年も、キリストの風がそよぐおはなし会が開催されることを願います。

(S)

青森戸山教会と女性の会

去る7月7日、青森戸山教会と合同で女性の会(旧:婦人会)の有志が弘前市のアソベの森に行って来ました。天気が良くて風薫る深緑の中、命の洗濯をしました。最初出席を予定していた青森戸山教会の方々が家庭の事情等で来られなくなり、おひとりの参加でした。残念でしたがその分、親交を深めることができました。

岩木山の木々を揺らす風に聖霊の気配を感じるような1日でした。青森戸山教会は私たち青森松原教会の姉妹教会ですが、もうひとつ、松丘聖生会もそうです。松丘聖生会は教会員の方々の高齢化や健康問題に悩まされているそうです。どこの教会でも抱えている問題でしょう。

「主なる神様、どうかこの問題に立ち向かって行けるだけの知恵を私たちにお与えください。そして今現在、病にある方に癒しをお与え下さい。主イエス・キリストの御名を通してお祈りいたします。」

(M)

タチアオイが咲きました。

先回ブログを記しました時は5月第一日曜日でした。今回も7月第一日曜日にブログ当番が回ってきました。

5月、庭の花が芽吹きだしていました。

7月、今年の天気に恵まれすっかり成長し、沢山の花を咲かせています。

 

塀に沿って植えました「チョコレート色」(黒?)のタチアオイが咲き始めました。

タチアオイ・英名はホーリーホック= hollyhock

意味は「聖地の花」だそうです。素敵ですね。

 

一昨年の北海道旅行、雨の日、こぼれ種から芽吹いていたタチアオイを発見。「私達を連れて行って!!!」っと懇願されているような気がして、連れて帰り、目隠しも兼ね道路側の方に植えました。2年の時を経て、今我が家の庭で数本咲いています。

 

カトリックのクリスチャンである渡辺和子先生がおっしゃっていらっしゃいます。

「置かれた場所で咲きなさい」

その言葉の通りです。

 

タチアオイ

今咲き誇り自分の役割を充分に果たしています。上にスーッと伸び、沢山の蕾をつけています。咲き上がり、テッペンの蕾が咲くと、梅雨明けだそうです。

 

毎日の晴天

今梅雨?未だ梅雨に入ってない?解らない状態ですが、タチアオイに梅雨明けをおしえてもらいましょう。でも、高いの、低いの、どれに教えてもらいましょうか??

 

(R)

青森の梅雨入り

雨の少ない6月となった青森。梅雨は来ないのかなぁと思っていたら突然の風、振り続ける雨で梅雨入りの予想というニュースがあった。聖書にある、「いきなりのことに油を用意していないおとめ」のたとえ話を思い出した。これが自分だけれども、大きく見守ってくださる方がいると思い、やはり一日一日感謝して生きようと思う。

(T)

牧師館の花壇

先週の土曜日、教会員のご夫妻が朝から牧師館の花壇の手入れをしてくださいました。牧師館の花壇には、あじさい、はまなす、赤スグリの木が植えられています。

枝が伸び放題になっていたあじさいの剪定をしてくださり、雑草を刈ってくださり、花壇はすっきり広々となりました。見ると、赤スグリの実がたくさんなっていました。もう少しで収穫出来そうです。あじさいはまだつぼみ、これから見頃を迎えます。

ご奉仕してくださったご夫妻に感謝致します。

(S)

赤スグリ

赤スグリ

あじさい

あじさい

聖書を読む

青森松原教会では、今年1月から新しい取り組みとして、聖書の全巻通読を行っています。教会全体での取り組みなので、みんなが一緒に読んでいることに励まされて、続けることができます。

毎日、旧約聖書1章、新約聖書1章の日課です。必ず各1章順調に読める日ばかりではなく、何日か読まずにためてしまってまとめて読んだりする時もありますが、とにかく読み続けます。最近は、毎日読む習慣ができたように思います。毎日の食事を欠かさないように、野球の選手が毎日素振りの練習をするように。聖書を読むことを日課に出来ることは、とても嬉しいことだということにも気が付きました。

聖書を続けて読むことを通して、神さまの語りかけに気づいていけるようになりたいと思います。初めて読む箇所はもちろん、今まで何度も読んで分かっていると思っている箇所も、神さまが新しく私に語ってくださると思いながら、初めて読む思いで読み進めたいと思っています。

(S)

時は流れる

「後期高齢者」たる私の身に、珍しく高揚感に浸る一と刻をお与えくださった神様に厚い感謝をお捧げして一文を綴ることに致します。

昭和14年の或る一日、私は一学生として国語担当の先生の前に呼び出されて説教を頂いて居ました。「方丈記は日本古典文学史上三大随筆の一つとして尊重されて居るんだよ。それに対して君の感想文は批判が強すぎる。こんな態度は良くない。」とのお言葉なのです。寡学非才の私はひたすらお詫びしてその場から逃れるばかりでした。当時の私の勉強ぶりと言えば、教科書に載って居る部分を暗誦し時々頭の中で反唱しては陶然たる気分を満喫する程度のものでした。

時は流れました。その間に日本は太平洋戦争に突進して敗北し軍国主義は影をひそめて純文学作品に謳歌できる喜びを味わえる日々が訪れるようになりました。

そして思いもかけない事に出会ったのです。昨年の11月下旬に手にした月刊誌「B」のあるページに私の目は釘付になりました。方丈記の冒頭部「ゆく河の流れは」と題したSという方の分が載って居るのです。私が若気の至りで鴨長明に「中途半端な世捨て人」と評して先生から叱られた事を思い出しながら夢中で読みました。私の何十倍も学問したS氏は「長明はオボッチャマで、努力しないで出世しようとした人間」と厳しい調子の言葉が縷々並べ立てられて居るのです。S氏は自分の意見の見解について友人に意見を請ったところ、大学の教授であるその友人は「学者にはそんな書き方は出来ないのだ。君の文をそのまま発表してくれ。」と嬉しそうな風情を見せたというのです。

私にしてみれば、正に価値観の逆転問題なのでした。この文を読んだ私は別に感情の動きも起きず、只々「時の流れ」というものに深く胸打たれる感慨しきりといったものだけです。そして今まで生かして下さった神様の愛の深さを改めて感じた事でありました。

(N)

リフォームと伝道

ようやく家のまわりの雪がとけてきた3月半ば、念願の我が家のリフォームに取りかかり、5月末に引き渡されホッとしている所です。

そのリフォーム中のことです。リフォームが始まってすぐに、長男が「わ(俺)、現場監督やるじゃ」と笑いながら言ったのです。現場はたくさんの人たち(大工、水道、電気、クロス、ペンキ屋等々)が出入りします。朝は8時前から、夕方5時(時には7時過ぎ)まで大工さんたちや業者さんの出迎えや応対をし、その人たちの仕事ぶりを目の当たりにし、毎日のように感心しては家族に告げていました。自分の人生の中で経験したことのない、貴重な経験を雑然としたゴミの中で体験したのです。

特に注目したことは、大工さんたちと自然に話したいために、ここ数年止めていたタバコを「リフォームの間だけ」ということで再び吸い始めたのです。そしてほとんどの人たちと会話ができるようになったのです。そのことが働く人たちとの間や働く人と家族との間が和やかで明るい雰囲気の中で心の交流ができていったのです。

私は長男の決断と勇気ある行動を通して、このことは教会の伝道にもつながることではないかと思ったのです。一人でも多くの方が「教会ってどんな所かな」と、少しでも興味を持って、礼拝やフェスタ(バザー)、その他の集会に足を運んでくださる時、その貴重な時を教会員一人一人が素直に喜んで迎え、積極的に笑顔で話しかけようと心掛けるようにすれば、相手に良い印象を与え、そのことが結果に結びついてくるのではないかと思っています。

今回、ほとんど無理だろうと思っていた我が家のリフォームが実現したことを通して、「神様は各々の必要をご存じであり、その必要を満たしてくださる」という聖書のみ言葉を実感し、心から感謝の祈りをささげる者であります。

今回初めて投稿いたしました。これからもよろしくお願いいたします。

(E)