青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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ブログ

聖バレンタインデー

いつの間にか、1月が過ぎ、2月になってしまいました。昨年の暮れまでは、「今年の冬は雪が少なくって良いね。年が明ければもう直ぐ春。後、降っても大いしたことないね~~~」と、多いなる希望を込めて話していました。

世の中そう甘くない。神は私たちに平坦な道を与えてくれない。

新年からの雪との戦いは、例年並み?かそれ以上?もう少し頑張りましょう。

2月3日は「節分」、次の日は「立春」春が立ち上がり、行動を開始しました。豆を食べ、南南東を向いて恵方巻を食べ、立春君を応援しましょう。

2月14日「聖・バレンタイン・デー」。3世紀、イタリア人キリスト教司祭であるバレンティヌス(英語読み・バレンタイン)が結婚禁止令を破り、密かに若者たちに結婚させていました。その事が皇帝の知るところとなり、2月14日に処刑されたそうです。その後、幾つかの変遷を経て。バレンティヌス司祭は聖人の列に加えられ、以来「聖バレンタイン・デー」と若いカップルを祝う日なったようです。

結婚を望んでいる日本の若者にも、聖バレンティヌスが願った神のみわざが働き、良い伴侶にめぐまれますように。チョコレートを食べながら、お願いを新たにするこの頃です。

(R)

エルヴィス・プレスリーとゴスペル

新年も2週間以上過ぎました。新年に聴いた、大好きなCDのことを書きます。そのCDのタイトルは『エルヴィス アルティメット ゴスペル』。エルヴィス・プレスリーお好きですか?“知らな~い、それって昔の人でしょ?”或いは“ファンよ”という方もおられるでしょうね。40年ほど前に、42歳で突然亡くなったアメリカのロックンロール歌手。長いもみ上げ、派手なジャンプスーツ、身体をくねらして歌う人気絶大の歌手でした。しかしエルヴィスが憧れ、なりたかったのはゴスペル歌手だったということはあまり知られていないと思います。エルヴィスは9歳で洗礼を受け、家族とともに赤ちゃんの時から教会に通い、聖歌隊としても歌っていました。黒人が多い教会でした。のちに「一緒に育ったものといえばゴスペル以上にありません。ゴスペルは自分の体の一部です」と述べています。CDでは、教会員には馴染みの讃美歌、「輝く日を仰ぐとき」、「くすしき恵み・アメイジンググレイス」も歌われています。私の好きな一曲に“REACH OUT TO JESUS ”があります。歌詞の要約:“あなたのその荷は重くないですか?疲れ果ててしまうことはありませんか?主の御名によって求めるなら主イエスが助けに来てくださいます。心挫けそうになった時は思い出してください。主イエスに向かって手を差し伸べるのです。そうすれば、主があなたに向かって手を差し伸べてくださいます”

あなたも聴いてみてください。心に沁みる歌ばかりです。

(S)

平安はあなたに~信仰による大安心~

11月22日(日)青森松原教会では小堀康彦牧師〈富山鹿島町教会〉をお招きして、特別伝道礼拝を行った。上記の説教課題で聖書の箇所はマタイによる福音書14章22節~33節を用い説教をなさった。

その物語の中でイエスさまは、湖の上で嵐に会い、逆風のため波に悩まされていた弟子たちの船の方へと湖の上を歩いておられた。それを見て「幽霊だ」と言って恐怖の余り叫び声をあげた弟子たちに「私だ。安心しなさい。」と言われた。これは聖書にある重大な一句である。

イエスさまは「私だ。私が神だ。その私がここにいる。私があなた達を守ってあげるから、恐れることは何もないのだ。」と。ペトロ(弟子の一人)はイエスさまに「水の上を歩いてそちらに行かせて下さい。」と言うと、イエスさまが「来なさい。」と言われたので、ペテロは水の上をイエスさまの方へと進んだ。しかし、イエスさまから目をそらすと、すぐに恐くなり、沈みかけ「主よ、助けて下さい。」 と叫んだ。イエスさまはすぐに手を伸ばして捕まえ「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」と言われた。

ペトロはここで失敗したか?しかし物語の結末は、ペトロが水の上のイエスさまのところに行けたのか?ではない。それは他の(ペトロ以外の)弟子たちが「本当にあなたは神の子です。」と、イエスさま(神)への信仰を告白したことである。

たとえ、どういう風になっても「イエスさま、助けて下さい。」と必死に祈ると、私たち溺れない。ペトロは水の上に一歩踏み出した。これが信仰だ。しかし、私たちはその一歩を踏み出さない。ペトロの信仰は大したものである。

次に「ある教会員の事業経営が困難に陥った時」の例を話された。金策に悩み、相談を受けたが余りにも多額で何とも出来ない状態であった。その人は「先生、ただ祈ってください。」と願った。その後、半年以上苦しんだが、ようやく出資者(知人)が見つかり、見通しがついたとの事。

人生には八方塞がりの時があるが「イエスさま、助けてください。」と必死に祈ると、必ず道が開ける。神さまは思っても見なかった道を与え、導いてくださる。イエスさまのみ名をほめたたえる信仰者に、又、キリスト者の人生に失敗はない。

主をほめたたえる者には喜びがある。

私たちは、失敗する時があるが、少しも恐れることはない。「イエスさま助けて下さい。」必死に、と叫べば良い。イエスさまは私たちを捕えてくださる。

「神さまと共に歩む。」

そこに私共の平安がある。それは神さまがあたえてくださる。

私は小堀先生のメッセージ(説教)を聞いて、先生の尊い経験の中から得られた信仰の確信を私たちに伝えてくださったと感じました。これからも、日々の生活において信仰の戦いがたくさん起こってくると思いますが、どんなことがあっても「イエスさま助けて下さい。」と真剣に祈りながら、イエスさまに従ってブドウの木のように、イエスさまにつながって歩んで行きたいと思っています。

(E)

惑わされないように気をつけなさい

明けましておめでとうございます。青森は驚くほど雪が少なく、穏やかな日々を過ごしています。

さて、新年礼拝の今日は、『ルカによる福音書21章 終末の徴(しるし)』について、大澤牧師がお話をされました。この章で、イエスは『惑わされないように気をつけなさい。』と言っています。

実生活で、私は惑わされることがよくあります。それは自分自身が絶えず揺らいでいるからです。だから、何かを始めようとするときには、勇気が要ります。でも、いつも勇気を持って進む力を私は持っていません。

私は、勇気がなくても進むことができる『確信』を持ちたいのです。私が常に探している道、確信を持って揺らぐことなく進むことができる道を神が示してくださるなら、その声を聞き逃さないように、その道を見逃さないように、その力を感じられるようにしたい。

新しい年を迎えて、そのための備えをしておきたいと思います。

(YN)

聖夜に思うこと

2015年12月24日に聖夜賛美礼拝がおこなわれました。今年はチラシに工夫をこらしたり、教会のHPやフェイスブックの活用など様々に試行錯誤しました。またアルパ奏者小野華那子氏の演奏もあり、92名の出席のもと無事に終えることができました。皆様の御奉仕と神の御加護を感謝します。

今年の伝道礼拝で久しぶりにマララさんの名を聞きました。となると「もう一人のマララさん」であるパキスタンの少女、ナビラ・レフマンさんのことが気になりました。米国のドローンによる誤爆で祖母を失い、兄弟と共に負傷しました。2013年に米議会公聡会で直接ドローン攻撃を止めるように訴えましたが、そこに来た議員はわずか5人だったそうです。彼女が望んでいることは教育を受けることです。米軍のタリバンの掃討作戦などでパキスタン軍から家や土地を奪われ、避難生活を余儀なくされています。学校には通えていません。

同じパキスタンの少女マララ・ユスフザイさんはタリバンに襲われても屈しなかったとして大々的に報道され、ナビラさんの場合は米軍の誤爆というせいか。ほとんど無視されています。2015年、ナビラさんは広島を訪問し、被爆者の方々と交流しました。いつの戦いでも犠牲になるのは市民です。

2016年はその犠牲がなくなるように祈ります。

(M)

神さまからのプレゼント

救い主イエス・キリストの誕生を喜び祝うクリスマスを迎えます。

私は幼少の頃、クリスマスにプレゼントをもらうのが楽しみでした。クリスマスの朝、私が寝ている間に母がそっと枕元に置いてくれたプレゼントを見つけて、それをサンタクロースが本当に持ってきてくれたものと思い込んでいました。

サンタクロースからのプレゼントは、神さまから与えられた物であること。そして神さまは、私たちに、その独り子であるイエス・キリストという最大のプレゼントを下さった方であることを信じられるようになるのは、ずっと先のことでした。

イエスさまがお生まれになったとき、天使たちが現れて神さまを讃美したと、聖書は記しています。神さまの愛に感謝し、天使の喜びの歌声に声を合わせて、神さまの栄光をほめたたえましょう。

(M・N)

光陰矢の如し

「光陰矢の如し」「Time flies」今年も暮れようとしています。

毎年同じことを言っています。「もう十二月だよ。一年早かったね。」

 

「今年は特に早い!!」 これも同じです。

振り返れば、理不尽な殺戮が繰り返された、一年でした。

 

「私達の時は神の御手の中にある」「神はすべて世に起こる出来事をご存知」と、聖書は語っています。

迎えます新年、全ての人が安らげる、平和な年となりますよう日々祈るばかりです。

 

青森松原教会は年末に向かって、まだまだ行事があります。

12月20日(日)10:30~「クリスマス合同礼拝」、「クリスマス祝会」

<ゴスペルの演奏や聖誕劇(ページェント)があります>

12月24日(木)18:30~「イヴ聖夜礼拝」

<ハレルヤコーラスの合唱やアルパ奏者:小野華那子氏によるミニコンサートがあります>

12月29日(火)11:00~「子どもの教会の餅つき会」

<未就学児~中学生ぐらいのお子様とそのご家族を対象にした行事です>

 

神の御手の中で、全てが順調に行われますように 併せて祈りを捧げます。

(R)

アドベント

イエスさまのお誕生を待ち望む季節を迎えました。教会の中はクリスマスリースなど飾り付けられ、夜にはイルミネーションが輝きはじめました。

今年のクリスマス、心を込めてイエスさまのお誕生をお祝いすることができますように。神さまは、長い間、一人一人のことを大切にし、守り続けてくださったことを、聖書から学んでいます。そして、その約束は、必ず成し遂げられると信じます。

クリスマスがわたしたちにとって、喜びに満ちた大切な時となりますように。

(S)

伝道礼拝メッセージより

青森松原教会では毎年春と秋に伝道礼拝や集会を持っていますが、今回は秋の伝道礼拝でのメッセージ(説教)の中で、私の心に残ったことをあげたいと思います。

説教題は「感謝の生活」でした。牧者(説教者)は、ご自身の入院の経験を通して多くの人達に支えられ、神からの恵みをいただき、生かされたことを体験された。礼拝を捧げることは神の恵みへの感謝である。自分の力で今まで生きてきたと思うのは傲慢ではないか。神と人の恵みに感謝することは、人を豊かにする、ということで2つの例話を話された。

1つ目には預言者ハバクク(旧約聖書)は、ハバクク書3章17節~19節において、いちじく、ぶどう、オリーブなどの田畑の食物の不作、そして羊、牛の畜産物が断たれた。しかしハバスクは、これらが手に入らなくても「神(主)によって喜び、感謝して踊る」と記し、「信仰者は暗い現実の中にあっても神を信頼し喜ぶことができる」と歌いあげている。

2つ目には「ある出征兵士の思い通りにいかなかった人生」について。彼は出征する時病気にならないようにと健康を、経済的に困らないようにとも神に願ったが、病気になり、貧乏になった。しかし、そのことによって「自分が求めていたものは与えられなかったが、神は別の必要を満たして下さった。神を必要とする者として下さった」ということで、神に心から感謝をささげた。

以上の2つの例話を聞き、感じたことは、現実に求めたものが手に入らなくても、困難の中にあっても神を否定したりなどせずに、むしろ神を信頼し、希望を神に託していく一途な信仰者としての強い姿でした。

自分は必死に祈りを求めても与えられなかった時にどのような態度をとるだろうかと考えてしまいました。そのような時にはきっと、自分だったら神を恨み、その存在を否定してしまうのではないかと思いますが、上記の両者は恨まずにむしろ感謝した。

この事は信仰的に弱い自分にとって驚きの結果で、今後の貴重な道標となりました。この良いチャンスを与えて下さった神に心から感謝したいと思いました。

(E)

召天者記念礼拝

11月第1日曜日は「聖徒の日」として、先に天へ召された方々を思い、礼拝を捧げます。礼拝堂には、召天された方々の写真が掲げられ、いつもとは違う雰囲気が感じられました。

礼拝後の愛餐会では、遺族の方々、親しくされていた方々などから懐かしいエピソードや思い出話などが語られました。私がお話を聞きながら一番感じたのは、悲しみというよりは「温かさ」でした。その方がここにいないことを悲しむのではなく、ここにいたときにはどんな方だったのか、どんなことをして下さったのかについて多く語られました。召天者の方々のことは、私はほとんど知りません。それでも、その方々の存在を感じることができる温かい会でした。

愛餐会後は、月見野霊園教会墓地で墓前礼拝が行われました。礼拝の中で、今年9月に召天された方の納骨式も行われました。このような場に立ち会えたのは、求道者の私にとっては初めてのことです。

私の周りでは、代々引き継がれてきたお墓をこれからどう守っていくか、守っていけるのかと心配している方が多くいらっしゃいます。今は、親と子が別々に離れて暮らすのが珍しくない時代ですので、このような心配、悩みはごく自然なことです。でも、この教会のお墓はこれからもずっと教会の方々によって守られ、いつまでも多くの方々によって祈られていきます。「安住の地というものがあるなら、このようなところかなあ・・・。それって、すごいことかも・・・。」

そんなことを考えながら、静かな穏やかな気持ちで、お墓を後にしました。

(YN)