青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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〒030-0813 青森市松原1-16-27

ブログ

教会に集う子どもたち

29日(日)子どもの教会の分級の時間に(礼拝後に聖書のお話を学んだり、レクリエーションをする)、子どもが二人来てくれました。二人が教会に来てくれたのは数ヵ月ぶりです。二人は兄弟です。会うたびに成長していく姿を見て、嬉しくもあり、頼もしくもあります。よく来てくれたね!と、教師スタッフみんなで大歓迎です。送り出してくださったご家族と、神さまに感謝です。子どもたちの健やかな成長を心から祈ります。

現在、子どもの教会は子どもの出席が激減状態です。でも時々出席してくれる子どもたちがいます。いつも子どもたちを迎える心備えを忘れないようにと、改めて思いました。子どもたちを迎える心備えをする、この当たり前のことがおろそかにならないようにと、神さまのお支えを祈る日曜日でした。

(S)

種を蒔く人

冬が過ぎて、春が来ました。青森の春は、とても急がしいなと実感するこの頃です。寒かったり、暖かかったりそのたびにストーブを出してみたり。(冬物を片付けたばかりなのに。)

桜の花も散り、チューリップの花が咲いて、今スズランが満開の見頃となりました。岡山から送られて来た種をあるわずかな空間へ蒔いてから数年経った現在、見事なスズランの群落となりました。

わずかな空間と、時に雪や雨に打たれ、夏はカンカン照り返すアスファルトのすき間です。そのたくましさに脱帽……。

(y.k)

うれしいプレゼント

5月8日「母の日」の1週間位前のことです。一緒に住んでいる5才の孫が「ばぁばにプレゼントあげるからね。」と言って、ティッシュペーパーの箱を持っていき、何やら作業を始めました。しばらくして「ばぁば ハイ、プレゼント♪」と手渡された物はティッシュの箱でした。

上の方にばぁばの似顔絵 を書き、その周りに小さくてカワイイ赤いハートを散らして書き、すぐ下に「ありがとう」とありました。

又、下の方には「おばあさん、ありがとう」と折り紙に書き、各々に切って貼ってありました。

丁度2ヶ月前の3月8日に、孫たちの母親が急に病気で亡くなり、その母に代わって、不十分ながら面倒を見ている私にとって、このプレゼントは何にも増して嬉しい物でした。

まだまだ母を必要とする幼少期の孫たちのこれからの健やかな成長を、天の父なる神さまが守り導いてくださることを心から祈り願います。

家族全員でもサポートして行こうと話し合いました。

(E)

長崎の大浦天主堂で

私は旅行が大好きなのですが、観光というものにはあまり興味がありません。有名な場所、物を見るよりは、歩いてその土地の空気を感じたい。地元の方々とお話をしたい。いつもそう思います。

そんな私ですので、数年前に長崎に行き、大浦天主堂の中に入ったときも、特に何かを考えるということはありませんでした。「そういう教会なのか。なるほどなあ。」程度の反応でした。

数日前に、また長崎に行く機会がありました。今の私は数年前とは違い、求道者として教会に通っています。今度は自分がどう感じるのか興味があり、また行ってみることにしました。教会そのものよりも、自分自身の反応を知りたかったのです。

教会の雰囲気は全く変わっていませんでした。でも、パンフレットを読みながら中を歩いていくと、当時の長崎のクリスチャンの思い、神父さまの思いが伝わってくるように感じました。毎週礼拝を守っている今の私に置き換えて考えてもみました。自分が信じるものを隠して生きていかなければならないという生活は、どのようなものだったでしょう。想像するだけで苦しくなります。場所や物は、その背景、歴史を理解することによって、より大きな意味を持つ存在になり得ることがようやく私にも分かりました。

カトリックとプロテスタントの教会は、建造物としての造りが大きく違いますが、その歴史を考えるとき、心に訴えてくるものには違いがないように感じました。そう言えば、私は2000年にロシア正教会総主教アレクシイⅡが函館にいらしたとき、1メートルくらいの距離でお顔を拝見し、随行の方々ととても楽しい会話(のようなもの?)をしました。そのことは、また別の機会にご紹介しましょう。

yn

言葉について

何気なく開いた古雑誌の中に「言葉には表と裏がある」のタイトルで二人の職者が対談しているのを見出したので、その一部を紹介したくなりました。

最近、攻撃的で表面的、ある意味わかり易い言葉がどんどん流れる事が多くなりました。だから無責任な言葉を真に受けて自分を傷つけたりしないようにと警告を発しています。同時に、言葉は喋って相手にぶっつける事で自分の感情をなだめる道具なのだから、口ゲンカや悪口雑言だって、波立つ心のさばけ口として大切なものとしてみるべきです。

辞書には「うら寂しい」や「うら恥ずかしい」等のように「心」を「うら」と言うことがあります。心は「心中」とか「心奥」、「心の底」等のように簡単に外に出られない場面が数多くあります。「うちうちで」とか「本音と建前」、「他人の目が届く」とかに敏感な人も数多く居ます。更に「腹が立つ」、「頭に来る」、「髪の毛が逆立つ」など全身で心を表す表現もあります。

昔話や神話には限りなく人間の考え方の傾向や無意的にくり返される言動が表現されています。その一つの「夕鶴」は「見るな」の約束を与ひょう(登場人物、百姓)が破った為に生じた悲劇です。

「人間と鳥」の生と死の間で「あれか、これか」とこり固まって考えずに、「あれもこれも」と余裕を持ち二股をかければよかったのです。二者択一の慌てた考え方でなく時の流れに身を任せる問題の解き方もあるという結末で対談は終わりました。

私は此処で聖書の「ヨブ記」に想いをめぐらせました。

聖書を読んでも「わからない?」の思いに捉われてしまう私は「詩編」と「ヨブ記」だけが、どうやら何かがわかったような安堵感を抱ける人間なので大きなことは言えないのですが……。

神から信仰深いヨブを試みる事を認められたサタンは色々な手段でヨブの生活を苦しめ、とうとうその生活をどん底に落としてしまいます。ヨブの友人、知人達が相次訪ねて来て、慰めたり忠告したりするがヨブは一切それらに耳を貸さず、反論する一方だから、ヨブの生活が好転することはありません。延々とくり返す論争の中に、ある青年が登場して以来、空気が少しずつ冷静さを生じ、ヨブは自分の神に対する「高ぶり」を自覚できます。

以来、神との出会いを解決への道として歩み直します。以前の信仰を取り戻したヨブが完全に勝利を得たことに私は広く深い神の愛に対して祝福と感謝の念に満たされてしまいます。

(K・N)

春の日に

この度の「平成28年熊本地震」の被害にあわれた皆様に心より御見舞い申しあげます。
4月14日の地震は前震で16日の地震が本震だと気象庁から発表がありました。まだまだ地震は続いています。

話は変わりますが2016年4月10日にソプラニスタの岡本知高氏のコンサートに行ってきました。
「男性としての強い筋力と豊かな肺活量を、生まれながらのソプラノヴォイスを通して発揮出来るという、
世界的にも大変稀有な天性の男性ソプラノ歌手である」とパンフレットに書いてありましたが本当にその通りで、
声はとてもすばらしく、来て良かったと思わせるものがありました。

テレビに出演されたことも何度もありますのでご存知の方も多いと考えます。

おしゃべりも素朴で普通の庶民と同じようで好感がもてました。
一般相手のコンサートよりも中学校などでする教育公演が多いそうで、青森市でも沖館中学校の合唱部と共演しました。
すき透るような声でした。

御本人は無宗教なのだそうですが、祈りに対して理解があり、讃美歌も何曲か歌われました。

国際ソロプチミスト(女性のための国際的な社会福祉団体)主催のチャリティーコンサートでしたが、
岡本氏はそのことをとても評価しておられ、また青森に来る時にもチャリティーでやりたいとおっしゃっていらっしゃいました。

熊本で強い地震が続く中、それでも青森では桜の花が咲き始めたことを喜ぶ心があります。
本当に1秒後に自分がどういう状況に置かれるかわからない人生です。

普通の生活が送れるありがたさをかみしめたいと思います。

(M)

バイブルクラス

新年度が始まっています。
新しい環境に喜びと共に緊張を覚えていることでしょう。
勉強に、スポーツにと、新しいことに踏み出すことを応援しています。
お一人おひとりの歩みに神さまのお守りがありますようお祈りしています。

子どもの教会では、毎月第二日曜日、子どもの教会礼拝後に、バイブルクラスを開催しています。
アメリカ人講師による、聖書をテキストとした英語の学びです。
毎月、心のこもった手作りの教材を準備してくださり、感謝です。
きれいなネイティブな発音で英語の聖書を聴くことが出来ることが、先ず、大きな恵みです。ゆっくりとしゃべってくださるので、英語の文章を目で追って確認できます。
家に帰ってから、教材の英語の文章を書き写して、おさらいしてみます。

手作りテキストには、その箇所の理解を深めるために、質問をいくつか用意してくださっています。
30分程度の短い時間なので、全部の質問を考えて答える余裕がないのが残念ですが、考えるきっかけを与えてくださることは、感謝です。

この楽しく有意義な時間を、もっとたくさんの人に経験してほしいと願います。

(S)

新年度の始まり

2016年4月新年度が始まりました。
私たちは、物事の始まりには、心新たにして、全て順調に行きますようにと、神に願います。
手を合わせ、頭を垂れて、目をつぶり、神に願い祈ります。

最近、観光で訪れた国でいくつかの宗派の違う教会を訪ねる機会がありました。
殆どの教会で、祈っている方をお見掛けしました。
手を合わせ、頭を垂れて、ある方は座って、ある方はひざまずき一心に祈っていました。
神の愛を求める姿は、国を超え、宗教を超え同じでした。

クリスチャンにとって、「祈り」は呼吸、「みことば(聖書)」は食事に相当すると言われております。
キリスト者になってまだほんの数年。
いつか実感出来る日が来るでしょうか…

(R)

春の訪れ

青森は雪が溶け、青空がのぞく春らしい日が続いています。長い冬が過ぎ、春を迎える解放感には嬉しさを覚えます。

ただ、空気と風はもうしばらく冷たいので、体調を崩さないように気をつけて過ごしていきたいですね。

 

教会の暦では、今週、受難週を迎えました。イエスさまが十字架の犠牲を払われたことを心に刻み、感謝と悔い改めを祈りながら過ごします。

この時期、礼拝で聴く聖書のメッセージは、特に胸に迫り痛みを覚えますが、それは神さまが私を捉えてくださっていることだと感じています。

 

次週、日曜日はイースターです。

イエスさまの復活とともに、春の訪れを感じる喜ばしい季節です。

(S)

「こころを高く上げよう」

私の好きな讃美歌のひとつ、『讃美歌21』の18番「こころを高くあげよう」。

歌いだしは「こころを高く上げよう」
歌い終わりも「こころを高く上げよう」

歌いだしと歌い終わりは同じようで、まったく異なっていることに気が付きました。
歌いだしは神さまからのメッセージ。
歌い終わりは私たちの祈り。

もうすぐ新年度が始まります。
新しい地で生活を迎える方々も多いと思います。

新しい歩みの中で、やみのような憂いを持つ時があるかもしれません。
新しい歩みの中で、すべてをささげ隣人に尽くす時があるかもしれません。

どんな時も、ただただ祈りこころを高くあげ、神様さまの御言葉を聞き求めて歩みたいと願います。

(H)