青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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ブログ

奥羽教区全体修養会に参加して

2016年8月1日から3日まで、秋田市のさとみ温泉で行われた全体修養会に行ってきました。秋田駅に降りるとそれだけで汗が流れてきました。講師は滝野川教会牧師・聖学院大学理事長である阿久戸光晴先生でした。1日目と2日目と講演を拝聴したり、オプションの秋田教会巡りをして1975年から1981年までの間に涙を101回流されたマリア像を見に行ったり、別コースの美術館巡りの方では竿灯祭りの実演を見たという話しを聞いて(それも体験したかったなあ」と思ったり。

オプションに参加しなかった人のためにはホテルに2つのワークショップが用意されていました。自殺予防の現場からの報告と性の多様性の問題(LGBT)を考える会でした。勿論、疲れたら自分の部屋で休んでいることも可能でした。

3日目、午前中だけの日程でしたし、講師の先生のお話といっても長くお話しなさらないのではと思いましたが違いました。パソコンを使って井深八重姉の生涯を描いた短い記録映画を上映しました。私が中学・高校時代によく親しんでいた遠藤周作の作品のひとつ「わたしが・棄てた・女」のヒロイン、ミツのモデルになった方です。1987年名門井深家に生まれた彼女は、英語も堪能な美しい女性に育ちました。大学も卒業し、あとは幸せな結婚をするだけとなったある日、首に赤い湿疹がいくつかできました。病院に行ったところ「ハンセン病の疑いあり。」と診断され、人生が一変します。御殿場にある神山(こうやま)復生病院に何もつげられず連れて行かれ、本名を奪われ新しい名前をつけられます。暗い絶望の淵の中にあった八重姉の心を神むけさせたのは医師も看護婦もいない中で懸命に手当てをするドイツ人のレゼ神父の姿でした。神父の愛誦の「空の空なり」(くうのくうなり)(文語訳聖書、コヘレト1章2節)それは「空(くう)であることもまた空(くう)である。それゆえその中で永遠に残るのは神の愛。」のちにハンセン病でなかったことがわかりますが、八重姉は看護師の資格を取り病院に帰り全てを捧げる人生を選びます。国際ナイチンゲール賞を受賞し、マザーテレサとも友人になりました。いつも飾らず、神に派遣された意味を常に考えていた生涯でした。最後の日の講演であるし、好きな作家の作品を思い出したので、一番印象に残りました。

新しいお話を聞いて考えるということは楽しいことです。遠くの修養会には行けないけれど、近かったらまた行きたいなと思いました。

(M)

わたしの8月

私はカナカナ蝉のあの澄んだ、綺麗な美しい声が嫌いです。

8月と言えば先ず終戦記念日が頭に浮かびますが、空襲で家を焼かれ、農家の物置を借りて両親と3人で住む事になりました。私は15歳でした。

牛と同居しており、丈の低い板囲いの上から牛がにゅーっと目の前に顔を出すので、慣れるまで大変でした。

無い無いづくしで、何にもない、学校も焼けたから行く所がない、唯、降るような「カナカナ」の声と、牛の動く物音だけ、本を読みたい、活字なら何でも良いと思いました。

それでも「はだか電球の明るさ」、座敷の方から聞こえるラジオの「リンゴの歌」のメロディーに心が弾みました。

でも、2ヶ月後に届いた兄の戦死の報せの悲しみは、消すことができません(26歳。好きな人も居たのに……)。

「いつまでも平和でありますように」と、祈るばかりです。

(C.K)

子どもの教会サマーキャンプ

8月5日(金)~6日(土)の一泊二日、子どもの教会では、サマーキャンプを行いました。この夏一番暑い二日間!と思うほどの暑さの中、たくさんの方のお支えにより、無事に過ごすことができました。感謝いたします。

今年は、市内にある三内丸山遺跡を見学して、教会に泊まりました。

一日目夜の「賛美と証しの会」、二日目朝の礼拝などの教会のキャンプらしいプログラム、就寝のお祈りなど折々のお祈りに触れ、普段の生活とは違う、神さまのお守りの中で生きているということを、子どもたちは感じてくれたでしょうか?少しでも感じ取ってくれたら、それは、子どもたちにとってはもちろん、私たち子どもの教会に携わる者にとって大きな恵みです。

お子さまを送り出してくださったご家庭に、感謝いたします。そして、すべてを守り導いてくださった神さまに、感謝いたします。

(S)

近くの公園で朝の礼拝_compressed

神は愛なり

母が元気で独居暮らしの頃の物語です。

大寒のある朝、黒トラの猫が庭のふとん干し場から家の中の母の姿をジーッと見ているので、気になって庭に下りて猫の所に近づくと、首から何か書いたものがぶらぶら揺れて困っている様だったのです。

その名札には、

「メッセージ、私は老人ホームに行きますのでこの子を連れて行くことが出来ません。どなたか心やさしい方にお願い。この子の新しい飼い主になって下さい。名前は熊吉・メス猫・不妊手術済みです。とても気だてのいい子です。」

と書いてありました。母は熊吉に向かって言ったのです。

「今朝から私があんたの主人よ、ひっかいたりしないで仲良く暮らそうね。」

ここでは熊吉だけど、公園の子供達は「タマー」って呼ぶし、魚屋さんへ行くと「熊子ー」って呼ばれていた。

皆に愛されて、これって神は愛なり、あなたをみなし子とはなさらない、か?

(Y.K.)

庭での出来事

 

ガーデニングが好きな私は、庭に少しの野菜と花を植え、季節、季節に楽しんでいます。オダマキが好きで色、花の形の違う数種類を植えています。オダマキは殆ど虫もつかず、病気にもならず、日当たり、日陰関係なく、次から次へと長い期間花を見せてくれます。

咲き終わった殆どの花柄は沢山の種を持ちます。その種が全てこぼれ、芽吹いたらいくら好きでも手に負えなくなるのと、親株が弱るのを防ぐためにも、殆どの花柄を取ってしまします。それでもこぼれ種からアチラ、コチラと芽吹いてくれます。

先日、車庫の中の壁際でオダマキが咲いているのを発見。ビックリ、感激、何と愛おしい花でしょうと暫し語りかけ、褒めてあげました。通路と車庫の間に種がこぼれ、芽吹き中と外で咲いていました。

「置かれた場所で咲きなさい」

人はどんな境遇でも輝ける

渡辺和子姉著書 (ノートルダム清心学園理事長)

そのままでした。すべてを語ってくれています。

場面は変わりますが、虫除けネットで厳重(?)に囲まれ、大事に、大事に育てられています。スティックブロッコリーの中に大きめの青虫2匹発見、何処から?どの様に侵入して来たの?って聞きながら、ここで働きをされたら大変と、摘み出しました。難しい物です。

(R.E.)

苧環

心に残る思い出

先日、孫の通っている幼稚園の盆踊り大会と年長児のお泊り保育があり、園生活最後の機会でもあるので家族3人で参加しました。しかし、当日は雨天のため、外での大会は残念ながら中止となり、園内のホールで年長児とその家族のみの参加で行われました。

園児たちは各々浴衣や、甚平を着て心ウキウキさせながら、盆踊りやフォークダンスを先生達や家族と一緒に踊っていましたが、その表情は園児たちは勿論のこと、参加したすべての大人や子供達も楽しんでいて、一人ひとりの顔がとっても素敵に輝いてもいました。また、かけ声をあげる時があったのですが、その時はあの小さな体のどこからあんな声がでるのか、ホールの天井が割れ落ちんばかりに全身全霊で声を出していました。その余りの元気さに驚き、また感動しました。その感動と興奮のうちに盆踊り大会は終わり、年長児のお泊り保育へと移りました。

先生たちも浴衣姿でリードし、終わると素早く洋服に着替え、お泊りの夜は、きっと寝ずの番をする思い出その場に臨んでおられたのではないでしょうか?次の日、降園して来た孫に聞いてみると「ホールに布団を敷いてみんな一緒に寝たんだよ。とっても楽しかったよ。」と……。

一人ひとりの園児の心に残る良い思い出になったようです。

全てに感謝!!

(R.E)

ペントハウスでのゴスペルライブ

去る6月14日(火)、私達MRC(松原ルートクワイア、青森松原教会のゴスペルチーム)はペントハウスというレストランでゴスペルライブをしました。まず教会でリハーサルをした後、会場へ。お客さまが段々と集まってきて、本番が始まりました。が、私は初めての外でのライブでドキドキしました。

1曲目は「You Are Good」という曲。Kさんがノリノリでソロパートを歌い、全員が調子を合わせました。みんな顔と顔を見合い、呼吸を合わせます。メンバーは必死ながらニコニコしています。Rさんもアドリブを入れ、曲はとても盛り上がりました!

次は、しっとりとした曲「WERE  YOU  THERE」~手拍子で盛り上がった「Clap your hands!」と続きます。4曲目は私達コーラス隊の音取りが心配だった「OH HPPY DAY」でしたが、大澤先生のキーボードと歌声に合わせて、上手く歌うことができました。

最後は「小さな祈り」という曲で、私は歌詞を考え、イメージして歌いました。

『祈りを求めた時、目の前の雲が、とけてゆきただの澄み切った空・・・・』

ドラムは静かに優しく響きわたり、歌い手は一つになり空間を包みます。

はぁ~終わった~っと思ったら、アンコールがお客さんからあり、「きみは愛されるために生まれた」を歌いました。バンドに華を添えてくれたエレキギターのHさんは、初見で困っていたようですが、(私達は心を込めて演奏し)、ライブは幕を閉じました。

私は、ずっと何年か前、この「きみは愛されるために生まれた」という曲を聴いて「偽善的で単純な歌だな」と思い、あまり好きになれなかったことが正直ありました。しかし、今は違います。歌詞の意味が少しずつ分かったからです。(あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。)この戒めは、隣人を愛するようにイエス様が教えているのですが、同時に自分自身を愛しなさいという意味があること。裏切ったユダもまたイエス様に愛されていたという事実。私は神様から愛されているということが徐々にわかり、この曲が大好きになりました。

今、私達MRCは次の発表に向け、新曲を練習しています。特に「You are special」という曲は本当に素敵な曲ですので、楽しみにしていてください。

また、メンバーを募集しています。ベース(ウッドベースは教会にあります、)やボーカルをやりたい方、管楽器などなんでも募集中です。一緒に賛美して行きましょう!

主に在りて

Y.T.

私が望む教会の姿

私は教会に通い始めてもうすぐ2年になる求道者です。日曜日には、できるだけ用事を入れず礼拝を守るようにしています。それでもどうしても出かけなければならない時は、行き先の教会をインターネット上で捜し、礼拝を守るようにしています。

あるとき、教会の雰囲気について、このように書かれた教会を見つけました。

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・横(会員同士)の交わりは、多くはありません。神さまと向き合い、静かに信仰生活を歩みたい人に向いていると思います。

・昔からの気風で、ごり押しするような感じのものはなく、自由な風がわたっている感じです。

・伝統を遡れば長老教会です。伝統を大切にしつつも、そのことに縛られない懐の深さ、広がりを大切にしています。

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ものすごく共感しました。

私にとって、松原教会の方々は大切な存在です。礼拝後のお茶の会、昼食会に欠かさず参加しているのも教会の方々とできるだけお話したい、繋がりたいという気持ちからです。では、大澤牧師が他の教会に移られたらどうなるでしょう?教会員の方々との関係が悪くなったらどうなるでしょう?恐らく、私の気持ちは揺らぎ、教会を離れることになるかも知れません。

都会の大きな教会に行くと、礼拝後、誰ともお話をすることもなく教会を後にすることがあるそうです。それは寂しく思います。でも、横の関係を大事にし過ぎると、それを優先し過ぎると、本来の神さまとの繋がりを見失ってしまうかもしれない。そういうことを考えました。

「自由な風がわたっている感じ」「伝統を大切にしつつも、そのことに縛られない懐の深さ、広がりを大切にする」教会。まさに理想的な教会のように思います。

yn

旧木造町にいた頃書いた自分史より

久しぶりに「自分史」を読み、60余の項目の中から「戦争体験」中の「敗戦国民として生きて」を教会の皆様に語ることに致しました。

熾烈な生活でしたが、親類縁者から一人も戦死者が出なかったことが、その気にさせたようです。然し、教職に在った身としての私は次第に戦争の影響が深められて行きました。生まれた時から軍国思想を叩きこまれた頭を切り替えることは容易な問題ではありませんでした。

①近所の医者から「今晩家に珍しい話をする人が来る」と誘われて行ってみたら代議士の津川氏でした。戦争の是非を語った筈ですが私はその事よりも「東大を出た人ってこんな素晴らしい話が出来るんだ」というカルチャーショックに打ちのめされてしまいました。中味は忘れましたが……

②教育の内容として「自己主張の出来る子にせよ」という方針を強張されたのは、私にとっては無理難題の事でした。

③「教職員組合を組織して教員として生活を確立せよ」というのは、主に男性教員が先頭に立ち女性は目立たない所で応援する形だったので印象に残る程の問題はありません。但し5年位経て「米国で赤狩りが始まった」とのニュースを聞くようになったら日本でも教壇から追放される人が出るようになりました。

④頭の切り替え事業の一つとして進歩的な方の講演を聞く機会が増えたのは嬉しいことでした。それと並行して夏休み、冬休みを利用して東北六県統合の大きな集会が持たれ自費、自弁の教員が集まり、子の無かった私共も毎度の如く参加したものでした。同時に我が家の図書室に何種類かの本が並ぶようになりました。

今になってみると、教職の身であった故で、戦争について少しは頭が洗脳されたような気にもなり、有難いことだと思います。憲法九条が守り抜かれる事を神に祈り続ける日々を送っています。

(K.N.)

聖書黙想会

毎月第4土曜日の午前9時から10時まで聖書黙想会という会があります。

(教会の行事等で第4週から動くこともありますので、おいでになりたいとお考えの方は、教会のホームページ等で確認なさって下さい)

4月23日(土)の時、黙想会の日であるのはわかっていましたが、十和田市に行って北里大学獣医学部創立50周年記念の大村智博士の講演を聞きに行っていました。桜がちょうど満開で美しく、天気も良かったのですが、黙想会のことが気にかかっていました。

前回のブログの時に4月10日に行ったソプラニスタ岡本知高氏のコンサートのことを書きました。そのころには大部、聖書黙想会より大村智博士の話を聞きに行くかな?と思っていました。そのコンサートのピアニストの方が、他の方より1日早く青森入りしたのです。娘さんが北里大学獣医学部に入学して2年生となり、4月から十和田で生活することになったので、そのアパートに一晩泊ったそうです。一緒にダンボールの箱を開け荷物整理をなさったそうです。その話を岡本氏がされた時、自分が行くかどうか迷っていた十和田市の北里大学の名前が出て来たので「天の啓示」みたいに受けとめました。それで4月の聖書黙想会は休みました。

翌日の日曜日の礼拝の中で、牧師と4月の担当長老の方と、たった二人しか出席者がいなかったことを知りました。95歳の私の母も教会に行っているので、私が休むということは人数が二人分減るということになります。

5月の第4土曜日の28日はちゃんと出席しました。ちょうど前に説教などで学んだ聖書の箇所が出てきました。やはり聖書に触れ、何かにつけて読んだり、先達のお話を聞くことは大切なのだなあと実感しました。

(M)