青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

TEL:017-776-4800

 FAX:017-723-6809

〒030-0813 青森市松原1-16-27

メッセージ
教会からのメッセージです。 ※ブログ等へのコメントについて※ 最近、教会ホームページのコメント欄に、多くのスパムメール(ショップの案内等)が届くようになりました。最初はあっても一週間に1-2件だったのですが、ここ3日で500件近いスパムメールが届くようになり、対応に追われています。サーバー会社に問い合わせても、個々に対処するしかないとの回答でした。 せっかくのコメント欄を閉鎖したくはありませんので、今後コメントいただく際は「記事へのコメント」と、冒頭に記していただきますよう、よろしくお願いいたします。それ以外のコメントは一括削除されるよう設定させていただきます。

ブログ一覧

木造教会の佐々木達司さんが天に召されました。

私がそのことを知ったのは2020年7月28日付けの東奥日報の新聞記事を読んだ時でした。八戸市在住の版画家が豆本を出版した記事だったのですが、その中に盟友である文芸印刷の佐々木達司さんは7月7日に亡くなったと書かれていて佐々木さんの顔写真も載っていたからです。私個人はもとより家族もとてもお世話になった方でした。佐々木さんはキリスト教徒なので天の国に行かれた訳ですが、地上に残された身として非常に寂しい気持ちになりました。

死亡広告やお悔み欄を欠かさず見ていたつもりでしたが、佐々木達司さんのお名前はわかりませんでした。もしかしたら一切載せずにお花料などはいいから本を買ってね、といったお気持ちかなぁと勝手に思いました。8月4日には青森松原教会の女性の会の「小さな手仕事と茶話会」があったのですが、そこに参加されたおひとりに木造教会の方からお手紙がありその中に佐々木達司さんが天に召されたことも書かれていたそうです。長い間木造教会を支えて来た方なので喪失感も大きいだろうなと思いました。ご家族皆さまキリスト教徒で、敬虔な方々ばかりでした。

私は本来大学4年生になる年にふと疑問を感じこのまま大学を出ても何になるだろうと思い退学したいと思いました。親にそのことを言うと困った親は佐々木さんに相談しました。そこで佐々木さんは「退学でなく、休学してみたら」と助言を下さり、自分の会社である文芸印刷で1年間働かせて下さいました。結局復学して大学は卒業しました。原付バイクの運転免許を取ったり自由に生活させていただきました。

私にだけでなく同じように迷った人々に手をさしのべていらっしゃいました。篤志家とはこういう人をいうのでありましょうかと思いました。私の母は木造教会に通っていたのですが、その時車に同乗させていただいたりいろいろお世話になりました。

いずれ私も天の国に召され佐々木さんとまた会えると思います。その時まで、寂しいけれど、教えを胸に生きて行きます。本当に良い先達にめぐり会えて幸せでした。ありがとうございました。(M. T.)

父の認知症と神様からの贈り物

父が認知症とわかった最初の年の事です。

それまで、父は自宅で5年ほど母を介護していました。両親は青森在住で私は神奈川在住だったので、私は毎月3日程お休みをもらって介護帰省してその間だけ父に介護の息抜きをしてもらっていました。そんななか、年末に母が横紋筋融解症で県病に入院し、年明けに父の認知症に気づくことになったのです。さらには父の大腸がんまで見つかり、退院後の母が今までのように自宅で暮らすのは難しいと思われたので、長野在住の弟と共に青森市内で10か所ほど施設の見学と入所順番待ちの申し込みをしました。結局、原別の有料老人ホームにお願いすることになり、母の退院から5月連休までの1週間はお試しのショートステイで、5月連休明けから6月上旬までは期間限定ということで母に施設に入ってもらいました。5月下旬に父の大腸がんの手術があり、6月上旬まで療養が必要ということで納得してもらったのです。私も弟も青森にいられる日時が限られたので、父の担う役割が多く、母の予定や父にやってもらいたいことを日程表にして父に渡しましたが、父にひどく怒られました。それまでも、母を入れる施設を捜していると言っては怒られ、日程予定表を渡すとわかりにくいと言って怒られ、自分なりにわかりやすく変えたつもりでも、わからないと怒られ続けでした。しかし、父も手術入院を控えて母の介護をする自信はなかったようで、期間限定ということでようやく母の入所を了解してくれたのです。父の療養開けから私の介護帰省までの1週間、試しに母を自宅に戻し父の介護を受けてもらいましたが、私がいない時は母は施設ですごした方が快適だということを母も父も実感したようで、毎月私が5日ほど介護帰省して母を自宅ですごしてもらうことを条件にその後も母は施設で暮らすことになりました。それからの父は毎日のように母に会いに行き、母の通院も父が付添い車で送り迎えしてくれていました。が、従来と違うことに対応するのはできず、施設からのいろいろな要望には私が帰省時に対応することになりました。そんななか、薬の一包化をお願いするために内科の通院日を私の帰省日に変更してしまった時、また父の怒りが爆発しました。父としては母のために前から予定していた日を私の都合で変えてしまったことにとても怒ったのです。また、ようやく父がMRIを受けてくれ、認知症外来で父が認知症の告知を受けてから1ヶ月後に運転免許の返上か運転先の限定を提案した時も激怒されてしまいました。私の言い方があまりに理詰めで父の感情を逆撫でしたのだと思います。父が認知症とわかった最初の年は、そんなこんなで父に怒られっぱなしで、途方にくれることが多く、大変でした。が、幸いにも父の自宅での1人暮らしはなんとかできていました。ずっと規則正しく暮らしてたのでそのリズムの延長でうまくいっていたようでした。

そうして1年が終わろうとしていた頃、具体的な内容は忘れましたが、父が母のためにしてくれた話を聞いていて、ふっと父への感謝の気持ちがわいて、「ありがとう」と感謝を伝えたのです。すると父はとてもうれしそうにして「どういたしまして」と答えしばらく機嫌よくしていました。よく考えるとずっと父に感謝の言葉をかけていなかったなと思いました。認知症になってできないことが増えましたが、自分の都合で父に期待して不満を感じるのでなく、それでもまだ父ができて自発的にやってくれることを感謝し喜ぼうと思いました。そのように私の気持ちが変化した頃から父も穏やかになり、だんだん父の認知症とのつきあいにもなれてゆくようになったのです。もちろん、年ごとに新たな問題が起きて対応を変えていくことの繰り返しでしたが、父に心からの感謝の気持ちを伝えることは頻繁に続けてきました。

今思えば、あのときふっと湧いた感謝の気持ちは神様からの贈り物だったと思います。(ペンネーム:すぬこ)こと(S.K)