青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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メッセージ
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ブログ一覧

わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。

わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。(フィリピの信徒への手紙4章11節)

 すべての慰めを絶たれたパウロは、牢獄でこの言葉を記録した。

こんな話がある。                               一人の王がある朝自分の庭園に入って、どの草木も元気をなくして死にかけているのを見出した。彼は門の入り口に立っていたならの木にそのわけをたずねた。ならの木はそれに答えて、自分は松の木のように背が高くのびないばかりか、立派でないから生きているのがいやになった、と答えた。また、松の木は松の木で、ブドウの木のように実を結ぶことができないから全く生きがいがなくなった、と答えた。またブドウの木は、桃ノ木のようにひとりで直立して、見事な実を結ぶことができないからやけくそになった、と言った。またゼラニウムはライラックのように背が高く、又香り高くならないからと言ってすねていた。そして、庭中がこんな有様であった。

 王は最後に三色すみれの所に来たが、その輝いた顔はいつものように嬉しそうであった。「ヤア、三色すみれ、誰も皆がっかりしているのに、この勇敢な小さい花を見出したのはうれしい。君は少しも失望していないようだ。」「ハイ、わたしは取るに足らないものですけれどこう考えています。もしあなたが、ならや、松の木や、ももや、ライラックがほしければそれを植えたでしょう。しかし、あなたは三色すみれをほしくてわたしを植えて下されたと思いますから、わたしは最上のすみれになる決意でおります。」と答えた。

他の人たちは更に大きな働きをしよう
けれども君は君のなすべき分を持っている
そして神の民たちの中に
君の仕事は君のようによく出来る者はいない
 レテー・B・カウマン著「荒野の泉」より    R・H                             

たかがユニホーム!されどユニホーム!

テレビ好きです。テレビを観ないことには知ることのできない、旅番組、科学の世界、お笑い、芸術の世界、政治の深掘り等々。

 先日チャンネルを切り替えて、偶然目に入って驚いた番組があった。自分とは全く違った価値観の世界がそこにはあった。

 番組名は、『なんでも鑑定団』。自分のお宝である持ち物をプロの鑑定士が鑑定をし値段をつける番組。私が観たのは、ネットオークションで130万円で買ったモノが出品されていました。

 その品というのが、米国のNBA(ナショナル・バスケットボール・アソシェーション)のワシントン・ウィザーズというチームで活躍する八村塁選手が、公式デビュー戦で着た、チーム名と8という数字が印字されているユニホーム。

 スポーツに疎い私だけれど、何かとテレビの話題にもなったりして、いやがおうでも記憶に刻まれる存在として知った八村塁選手。

 その品は、昔風に言えば、男子下着用ランニングシャツ型のユニホーム。たったこれだけの品をオークションで130万円で買う人がいるという驚き。それだけでも驚きだったのに、鑑定の結果がナント!!1000万円。エエッー?!鑑定士は、公式デビュー戦で八村選手が活躍を見せたことから更に価値が上がったとコメントしていた。たかがユニホーム、されどユニホーム。そのモノが誰のモノだったか、どのような功績があったかで決まる価値。130万円で買ったものを一気に1000万円に押し上げたのは鑑定士だけれど。摩訶不思議な世界だが、色々な分野で功績をあげた人が賞賛されることに異議はないし、1000万円のユニホームに驚きはあっても否定する気はない。

 ただ世の中、色んな分野でひたすら競争社会になっている昨今を危うく思う。経済成長、新資本主義の声に不安を持つ。ふるいから落とされた人たちは、生きづらく、弱者となっていく。そこから生じるさまざまな歪みが自分を傷つけ、他人をも傷つける世の中になってきているよう思う。

イエスさまは、

 『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませて

あげよう(聖書 マタイによる福音書11章28節)』 

 とおっしゃっている。キリスト教の教会が、どのような人にも開放され、教会に行けば誰もがホッとするとなるために、私はその教会を構成する一人として、イエスさまのお心を少しでも、ほんの少しでも日々の中に実践したい。(S. K.)