青森松原教会ホームページ

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メッセージ
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ブログ一覧

いつも喜んでいなさい

暦の上では立春を迎えました。
まだ青森は雪、雪、雪…
春の訪れはまだまだ先ですが、
    チューリップ喜びだけを持つてゐる
                                    細見綾子
長い冬を耐え、待ちに待った春だからこそ喜びはひとしおです。

喜びと言えば、
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(Ⅰテサロニケ 5.16~18)
という有名な御言葉がありますね。
私は、この御言葉を神様からの命令か掟かのように捉え、ハードル高いなぁ…と思っていましたが、最近ようやく、そういうことではないんだなと思えるようになりました。

「神は愛なり」と言いますが、確かに聖書は神様から私たちへの愛で溢れています。
御言葉も、イエス様の伝道の業も、そして十字架も、すべてが神様の私たちへの愛ゆえ、です。
これでもか!これでもか!と言わんばかりの愛をお示し下さいます。

なので、きっとこの御言葉も、
「私の愛をいつも喜んで受けて下さい。祈りをもって絶えず私と繋がっていて下さい。私はあなたのすべてを知っていますからね、あなたを思って必要なものをすべて与えましょう」
という神様からの愛のメッセージなのでしょう。

私ごときにそんな恐れ多い!と思う方もいるかもしれませんが(私もそうでした)、神様の愛は私が考える様なちっぽけなものではありませんでした。
その私ごときが救われることを願われる方です。
これはもう、ただただ讃美です。
このあと、
「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
と続きます。

私も、チューリップのように子供のように素直に、神様の愛を喜んでいきたいと願います。
                                                           (A.Y)

2023年1月29日 説教録音

説教題「私の血による新しい契約」 説教者 コルドウェル・ジョン 教師
聖書 出エジプト記12章12-14節 ルカ福音書22章14-16節
讃美歌21 280番

ある大きな国の一つの出来事

 新しい年も、もうすぐ2月。
この地球上に今起こっていることは、暗澹たる思いをすることが多いですが、昨年12月に、友だちから貰った手紙もそうでした。
 その友だちは、中国のチベット族が多い地域に拠点を置いて暮らしていました。一時帰国した時に、コロナで足止めをされたが、また中国に帰ったと聞いていました。ところがその手紙には、「2年ぶりに現地に戻ったが、1ヶ月程で日本に帰ってきた。現地入りしてから現地で取り調べがあり、学生支援と福音を伝えたという理由で国外退去となり、10日間ですべての荷物を整理し日本に帰った」と。
 中国は世界で4番目に大きな国土を持っていますが、国中に監視カメラを設置し、人々の動向をキャッチしていることは知られているところです。

 別の友だちは、夫婦で世界飢餓対策機構の職員として中国に行き、20年ほど暮らしたけれど、ビザが発行されなくなり、結果的に今は日本に居住しています。その友だちが中国にいた時、メールを交換していましたが、友だちからは、“メールに神さま、イエスさま、教会という文言は禁句。メールはすべてチェックされていると思って”と、対面で会った時に言われていました。12月に手紙をくれた友だちは、この友だち夫婦の働きに憧れて中国に渡ったのです。  イエスさまの愛を標高3000㍍に暮らす、貧しいチベット山岳民族の教育や暮らしを目に見える形で支援し、福音を生きることで示し、ことばで伝えていたご夫婦に憧れて。
でも中国政府にとっては、国外退去に値することでしかないのです。


 神さまは、国外退去した友だち、20年中国でチベット族と共にあった友だち夫婦のお働きを捉えておられるでしょう。
『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人に        したのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ25章40節) (S.K.)