父は二年前の九月、外傷性の脳出血により、左半身が麻痺し、自宅での生活が困難なため、今は施設で暮らしています。父なりに、この現状を受け入れているようで、穏やかに暮らしています。
長年、長老(役員)として教会の様々な務めを担い、それが父の生きがいでした。教会生活が父の人生でした。手術後一ヶ月たった頃、母と一緒に見舞いに行った際には、「教会に行くことを止めないで、いつも、教会にいくようにな」と、諭すように言いました。まだ意識がぼんやりとしたところがあった頃だったので、そんなしっかりとしたことを言う父に、母と私は、少しびっくりしましたが、「教会には休まないで行くから心配しないで」と母が返事をすると、安心していました。父は、自分が倒れて入院したことで、私たちが教会から離れてしまうと、心配したのでしょうか。
施設に入所してからは、月に二回面会が許され、母と弟とで面会に通いました。私が、「どんなことをして過ごしているの?」と聞くと、「長老会の資料作りで忙しいよ」とか、「説教看板を書かなくちゃいけないよ」などと答えます。「そう、忙しそうだね、たいへんだね」と言うと、満足そうに頷いていました。認知症があるため、今現在のことより前の、これまでの人生が強く記憶されていますが、父にとって教会の務めは大きなものなのだなと、改めて感じました。そのうち、車いすで教会に行き、礼拝に出席できることを願っています。
子どもの頃から、いつも熱心に教会の務めに励んでいる父の姿を見てきました。自分の考えを押しつけるような強引なところに反発を覚えることもありましたが、それでも、父の中に確かな信仰を感じていました。父の背中に導かれて、私は信仰告白に至ったと思っています。(幼児洗礼を受けています)
面会に行くと、感謝の言葉を何度も口にします。「ありがとう」と何度も言います。気難しいところがある父でしたが、今は、穏やかで優しい父に接することができ、嬉しく思います。この大切な時間を与えてくださった神様に感謝しています。 (S・Y)