青森松原教会ホームページ

青森松原教会は127年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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2018年

子ゾウのきもち

旅先の本屋さんでのこと。
平積みの本のほうから “手にとってみて” とでも言うように、目に飛び込んできた本があった。
『いわずにおれない』と題した私の大好きな、まど・みちおさんの小さな本だった。
ピーナツの殻をもっと明るくしたような表紙の色。
まどさんが頬杖をついているイラストが描かれている。
谷川俊太郎さんの〈こんなにやさしい言葉で、こんなに少ない言葉で、こんなに深いことを書く詩人は、世界で、まどさんただ一人だ〉と書かれた帯がついている。
2005年に一刷だから、10年以上前に出版されていたもの。
知らなかった…という思いで買った。

 まどさんのことは、歌ってみたら、誰もが身近に感じることでしょう。         
「ぞうさん」「一ねんせいになったら」「やぎさんゆうびん」等。
多くの詩と、歌を遺して、2014年に104歳で逝去されました。
買った本は編集者の問いに、まどさんが応えるという形で山口弁の語り口で書かれていて、下記のような部分【 】があります。

【そもそも詩というのは、10人読んだら10人違う感想をもつものでね。
その人が感じたいように感じてもらうのが一番いいと私は思っておるんです。
だから、この詩はこういうふうに読んで欲しいっちゅうことは、それをつくった私にも言えないんですよ。
ただ、その詩がどういうふうに読まれたがっているかということはあります。
たとえば「ぞうさん」でしたら、〈ぞうさん/ぞうさん/おはなが ながいのね〉と言われた子ゾウは、からかいや悪口と受け取るのが当然ではないかと思うんです。
この世の中にあんな鼻の長い生きものはほかにいませんから。
顔の四角い人ばかりの中に一人だけ丸い人がおったら、本来はなんでもない「丸い」ちゅう言葉が違う意味をもってしまう。
われわれ情けない人間だったら、きっと「おまえはヘンだ」と言われたように感じるでしょう。
ところが、子ゾウはほめられたつもりで、うれしくてたまらないというふうに〈そうよ/かあさんも ながいのよ〉と答える。
それは、自分が長い鼻をもったゾウであることを、かねがね誇りに思っていたからなんです。
小さい子にとって、お母さんは世界じゅう、いや地球上で一番。大好きなお母さんに似ている自分も素晴らしいんだと、ごく自然に感じている。
つまり、あの詩は、「ゾウに生まれてうれしいゾウの歌」と思われたがっとるんですよ】

この原稿を書いている私は、市営バスの『いき・粋 乗車証』を所有する年齢。
子どもの頃からのチビ。
小学校担任の女の先生が、私に“豆さっちゃん”というニックネームをつけました。
とても可愛がって貰っていたので、悪気ではなかったと思いますが、先生にも友だちにも呼ばれると、内心は嫌でした。
私が子ゾウと同じこころを持っていたら “豆さっちゃん” と呼ばれることに大きな喜びを感じていただろうと思います。
私は子ゾウではなかったけれど、大人になった今、ほんのちょっとでも、そのようなこころを持ちたいと願っています。
それは、イエスさまがおっしゃる、「子供のようにならなければ(マタイ18章3節)」のみことばに重なることでもあると思っていますから。(S.K.)

 

10月は青森松原教会の創立記念の月です

夏になるとエアコンの室外機から流れ出る水が庭のコンクリートのところに少したまります。植物に水をやってもそうです。その水を雀が飲みに来ます。今年は特に暑いせいかよくみかけました。私の(夏になったなぁ)と感じる歳時記みたいなものです。秋になったなぁと感じるのは、雄のシェルティ犬のバロンが居間の肘掛のある椅子に飛び乗る時でした。何故か春と夏にはやりません。秋と冬にのみ飛び乗り顔を肘掛のところに置くのです。今年(2018年)の2月に亡くなったのでもう見ることはできません。

 残ったシェルティの雌犬・サリーも左の後ろ足を骨折しました。骨粗しょう症だったのですがとうとうやってしまったのです。10月26日(金)でした。若い犬なら足を切っても残りの足で生活できるし、車いすもあります。しかし13歳と9か月という高齢犬なので、手術で悪いところを取っても体力を奪うだけになるかも知れず、積極的な治療はできませんと獣医さんから言われました。人間でいうと80歳~95歳位です。確かに大きな手術をさせるのは無理な話でしょう。今はただ、サリーが痛くないようにと安静にするのみです。

 10月27日(土)20時03分、サリーは亡くなりました。家族で看取ることができたのがせめてもの心の慰めです。

 10月は青森松原教会の創立記念の月です。127周年になりました。その記念礼拝は半澤牧師によって旧約聖書の「創世記」12章1~9節と新約聖書の「ヘブライ人への手紙」11章13~16節をもちいて『信仰を抱いて死んだ先達に続こう』と題されて説教が捧げられました。

「誰の人生にも原点となるものがある。それは言葉だったり、人だったり、本だったりする。原点はそこに立ち返り思いを新たにするところである。信仰にも原点があり、教会にも原点がある。今日は教会が生れた日である。ヘブライ書11章は信仰者列伝である。おもに旧約聖書に書いてある人がでてくる。(中略)青森にきた宣教師たちは遣わされた地に自分の骨を埋める覚悟でやってきた。神に召しだされたからである。「天の故郷」に帰るために地上の故郷は捨て去るのだ。(中略)しかし、地上の縁をすべて切るのではない。ある牧師の遺言説教に出てきた。ヨハネによる福音書20章30~31節「このほかにも、イエスは弟子の前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物には書かれていない。これらのことが書かれたのは、イエスが神の子メシヤであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」

 神の教えを広めるために伝道に命をかける、ということなのでしょう。浅学の身ですので、説教を聞いてもよく理解できていないとは思うものの、心に残る説教でした。(M.T.)

後悔は残る

一年に何回か私には強い後悔に襲われる時があります。それは父に対する後悔です。今日はそのことを書くことにします。書いたとしても自分がそのことから逃れることはできなくて、後悔は生きている間、続くでしょう。後悔というものの根強さに呆れながら、あと何回悩まされることでしょう。

 私は1920(大正9)年11月1日に父23歳、母18歳の時に鰺ヶ沢町の長谷川時計店の長女として生まれました。ちょうど祖母が他界して淋しくなった時で、長谷川家にひとつの賑わいを持たせた存在として大事に育てられたようです。どんなに可愛がられたかというと、毎年正月に父が私ひとりだけを町一番の料理店に連れて行って立派なお膳をごちそうしてくれたことを覚えています。父としてはそれが最高の私へのもてなしだったのでしょう。昔のことですから、兄弟姉妹が多くその一番上として水汲みや子守りなど、家の手伝いを良くしました。そのことをきちんと見てくれていたのだと思います。私は幼い頃から感情を表に出さない子どもでしたので、あまりうれしそうな顔はしませんでした。そのことが父に悪かったかなと、今になれば思います。

 話は1961(昭和36)年頃にまで飛びます。戦争に負けましたが、どうやら国を建て直し始めて、日本の国を世界のひとつとして認められるようになりました。新しい文化の波に日本の国も恩恵を受けるようになってやっと胸を少し張れる時代を迎え始めるようになりました。私は結婚して奈良姓を名乗るようになりました。鰺ヶ沢の隣の木造町に夫や子どもたちと住んでいました。

 我が家にもカラーテレビが来ることになり、長男が「古い白黒テレビを自分の部屋にくれないか」と言いました。夫も私も賛成し、長男は大喜びで友達に言いふらしたりしたようです。

 ところがそれから何日もたたないうちに鰺ヶ沢の父が脳梗塞で入院することになりました。そこで、父は「木造の古いテレビを病院の部屋にくれないか」と言いました。今は入院患者ひとりにつきひとつテレビを借りることができますが、昔は違いました。自力で揃える必要がありました。私は「明夫(長男)の部屋に行ってしまった」と断りました。父は「そうか。」と言ったきりでした。

 父は時計店をするかたわら自転車店もやっていましたが、だんだんと時計を店で修理してもらう文化もなくなり店は裕福ではありませんでした。どうしてあの時、小さいテレビをひとつ、買ってあげる考えが浮かばなかったのでしょう。このことが私の胸にひっかかりいつまでも痛みを伴うのです。

 神さま、私の冷たい心をどうかお許しください。(K. N.)

気づきの時

9月17日(月)は「敬老の日」で、小学校は休みだった。

朝6時前に孫たちはすでに起きていた。いつものように朝食を準備し、食卓を整えていた時のこと。「おはしが無~い」、「牛乳持ってきて」などと、テーブルに着いたままで要求ばかりしていた。私は「自分で出来ることは自分ですること!」と言ったが、全く聞く耳が無かった。仕方がないので私が持って来て朝食が始まった。

食べ終わって後片付けの時に、「今日は何の日だっけ?」と聞いた。すると下の女の子の方が、「あっ、敬老の日だ」とつぶやいた。そのとたん彼女の目がキラリと輝いた。すると突然「バーバ、肩たたいてあげるネ」、「腕もんであげるネ」、「足も疲れたでしょう?もんであげる」と両足をもんでくれた。次に、テーブルの食器を台所に運び「バーバ、いつもご飯作ってくれてありがとう。後片づけはまかせてネ」と、洗い場を洗剤のアワいっぱいにしながらきれいに洗ってくれた。

「今日は何の日だっけ?」から始まった「気づき」の後の積極的な思いやりの行動に、私は目をみはり、小学校で校長先生や担任の先生方を通しての日頃のご指導がこのような形で身に付き、子ども達は身心共に着実に成長しているのを感じた。

恵み豊かな神さまに感謝で一杯の「敬老の日」だった。(R.E.)

教会バザー

22日(土)に教会でバザーが開催されます。

どうぞ、どなたでもお越しください。

この青森松原教会を地域の方々に知っていただくため、教会に足を踏み入れていただきたいと願っています。また、キリスト教会に馴染みのない多くの方々に、この機会に教会を見ていただいて、少しでも親しみをもっていただけたら幸いです。

私たち教会は、このバザーを、神さまに仕える尊い働きの一つと考えて、準備をしてまいりました。神さまに仕える喜びを分かち合いながら臨んでいきたいと思います。

今年もたくさんの品物が揃い、賑やかに開催することができそうです。献品にご協力くださったり、祈りに覚えてくださった、関係各所の皆さまに感謝いたします。(S.Y.)

実りの秋!

青森松原教会では、YOU・愛・バザーを開催致します。

<開催日時>
9月22日土曜日・11時~13時30分
手作りお菓子や製作品、掘り出し物の日用品等、お買い得品がいっぱい!
子どものコーナーでは、つりぼりやつかみどり等、お楽しみがいっぱい!
食堂やファーストフードコーナーでは、美味しい物がいっぱい!
この機会に、是非教会へおいでください。

私は毎年、子どもの教会のファーストフードコーナーで奉仕しています。
多くの皆さまにバザーに来ていただき、教会のことを知っていただければと思っています。
すべてのことは、神からきている。(Y. K.)

どなたでも、おいでください!青森松原教会バザーへ

青森松原教会バザーを開催します!
どうぞ、どなたでもおいでください。

日時:9月22日(土)午前11:00~午後1時30分
会場:青森松原教会

イベント内容は下記の通りです。
1階礼拝堂
  ・子どもコーナー つりぼり、つかみどり、他    
  ・キルト作家五戸修美氏によるパッチワークキルト作品展示もあります。
   幸せパッチワークキルトHP: http://www.actv.ne.jp/~shiawase_quilts/
1階和室と会議室
 ・食堂、喫茶コーナー
2階ホール
 ・日用雑貨・衣類などの販売
 ・製作品の販売
 ・手作りケーキ・食品の販売・軽食コーナー

(H.Y.)

みんな集まれ!

みんな集まれ!

今年も教会の子どものキャンプをやるよ。

日時は8月18日(土)

場所は青森松原教会

集合は青森松原教会に10:00

毎年、子どもキャンプは盛況にて、楽しくやっております。

今まで、来たことがない友達でも大丈夫だよ。

来たい子がいたらぜひ一度、教会に来てみてね。

教会にはいつも半澤牧師がいますから寄ってください。

申し込みしめきりは8月12日までだよ(T.Y.)

祈る時には

ちょっと前になりますが2018年5月18日(金)に北西地区連合婦人会の第1回連絡会後、八戸市の小中野教会小林よう子牧師による「讃美歌のルーツ~替え歌の豊かさ」という学習会がありました。連絡会の後に学習会がつくのは初の試みです。

讃美歌の誕生から現代までを教えてもらいました。とても面白かったです。日本にキリスト教が入ってきたのは1800年代で、当時の宣教師たちが讃美歌を一般大衆に広めるために様々な工夫をしたことを聞きました。また欧米の讃美歌の成り立ちも。比較文化学みたいで教会の女性の会の方が対象の学習会でしたが、もっと一般の方に呼びかけても人が集まるのではと思わせるお話でした。

讃美歌を見ていただきたいのですがタイトルの左脇に小さな文字で「ジュネーブ詩編歌」と書いてある歌が多くて(これは何の意味なのだろう?)と思っていましたが誰にも聞いてみたことはありませんでした。そのことも話されフランスの宗教学者ジャン・カルヴァンの広めた讃美歌についていることがわかりました。宗教改革ではドイツのマルティン・ルターが有名ですが、カルヴァンはルターと違った形で改革を行ったのです。

話は変わります。

女性の会では愛媛県久万(くま)教会の小島誠志牧師の『虹の約束』という説教集を学んでいます。その先生が『55歳からのキリスト教入門~イエスと歩く道』という新しい本を日本キリスト教団出版局から出されました。2015年に婦人会連合の「集い」で講師の先生として直接御本人から2日間にわたりお話を伺いました。1日目の講演が終わった後質問用紙を提出したら2日目に大変丁寧に説明していただき、初めての「集い」参加でしたのでとても感激したのを覚えています。私は今年55歳になるので『信徒の友』に書評が載ってからさっそく注文して買いました。私は2012年に教会へ通いだしその2年後に洗礼を受け現在はどこへ向かえばいいのかわからなくなっていました。小島先生はとにかく祈りを捧げるようにとおっしゃいます。「卒業信徒」という言葉があります。人間関係で挫折したのではなく、洗礼を受けてひととおりキリスト教はわかったという思いから教会に行かなくなった人のことです。そうならないためにはひたすら祈るようにとおっしゃいます。祈る時には神さまと向き合うのと同時に自分とも向き合うからです。

最後になりましたが、西日本の豪雨被害を受けた方々にお見舞い申し上げます。青森市で雨が降りその後何ごともなく晴れると胸が痛みます、土埃舞う40度近い西日本の現状をみると。どうか1日も早く人々に平安が戻りますよう神さまの御加護を。大変拙い祈りですが、主イエス・キリストのみ名を通して御前にお捧げいたします。

(M.T.)

キング牧師没後50年

アメリカにおいて人種差別のない社会を訴えた、黒人解放運動の指導者キング牧師が1968年に暗殺されてから、今年で50年を迎えます。

マーティン・ルーサー・キング(1929年ー1968年)は、アメリカのバプテスト教会黒人牧師の家庭に生まれ、幼少の頃から白人による黒人への人種差別を経験しています。
1954年、キング、アラバマ州モンゴメリーのバプテスト教会牧師に就任。
1955年、キングは、ある黒人女性がバスの座席を白人乗客に譲ることを拒絶して逮捕されるという事件を契機として始まった、バス・ボイコット運動の指導者に選ばれ、アメリカ南部の人種隔離制度を撤廃し、黒人に公民権を獲得させる運動に携わることになりました。彼は逮捕されたり、暴行を加えられたり、自宅に爆弾を投げ込まれるなど、迫害や脅迫を受けながら、暴力に対して、「非暴力」の抗議運動を続けていきました。
1964年、キング、ノーベル平和賞を受賞。
1965年、キング、ベトナム戦争に対して反戦の立場を表明。
1967年、キング、黒人・白人両者の貧しい人々を救済するために、政府に貧困対策を要求する運動の計画「貧者の行進」を発表。
1968年、キングは、39歳の短い生涯を終えました。

「非暴力」による手段で、平和と平等を求める運動を推進したキング牧師の思想の根拠は、「敵を愛しなさい」というイエス・キリストの教えでした。
「あなたがたも聞いているとおり,『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイによる福音書5章43-44節)
キング牧師は、次のように述べています。
「あなたの家を爆撃するような人間を好きになるのは、至難の業だと思う。・・・公民権を無効にしようと、来る日も来る日もやっきになっている国会議員を好きになるのは、むずかしいことである。しかし、イエスは、そのような人々をも愛しなさい、と言われている。愛することは、好きになることよりもすばらしいことである。」(コレッタ・スコット・キング編、梶原寿・石井美恵子訳『キング牧師の言葉』日本キリスト教団出版局、1993年)

キング牧師の関心事であった人種差別、貧困(貧富の格差)、戦争という「三組の悪」は、現代においても、克服しなければならない大きな社会問題です。
真の平和と平等が実現するように、祈り求めましょう。(M.N.)