青森松原教会ホームページ

青森松原教会は132年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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2016年

言葉について

何気なく開いた古雑誌の中に「言葉には表と裏がある」のタイトルで二人の職者が対談しているのを見出したので、その一部を紹介したくなりました。

最近、攻撃的で表面的、ある意味わかり易い言葉がどんどん流れる事が多くなりました。だから無責任な言葉を真に受けて自分を傷つけたりしないようにと警告を発しています。同時に、言葉は喋って相手にぶっつける事で自分の感情をなだめる道具なのだから、口ゲンカや悪口雑言だって、波立つ心のさばけ口として大切なものとしてみるべきです。

辞書には「うら寂しい」や「うら恥ずかしい」等のように「心」を「うら」と言うことがあります。心は「心中」とか「心奥」、「心の底」等のように簡単に外に出られない場面が数多くあります。「うちうちで」とか「本音と建前」、「他人の目が届く」とかに敏感な人も数多く居ます。更に「腹が立つ」、「頭に来る」、「髪の毛が逆立つ」など全身で心を表す表現もあります。

昔話や神話には限りなく人間の考え方の傾向や無意的にくり返される言動が表現されています。その一つの「夕鶴」は「見るな」の約束を与ひょう(登場人物、百姓)が破った為に生じた悲劇です。

「人間と鳥」の生と死の間で「あれか、これか」とこり固まって考えずに、「あれもこれも」と余裕を持ち二股をかければよかったのです。二者択一の慌てた考え方でなく時の流れに身を任せる問題の解き方もあるという結末で対談は終わりました。

私は此処で聖書の「ヨブ記」に想いをめぐらせました。

聖書を読んでも「わからない?」の思いに捉われてしまう私は「詩編」と「ヨブ記」だけが、どうやら何かがわかったような安堵感を抱ける人間なので大きなことは言えないのですが……。

神から信仰深いヨブを試みる事を認められたサタンは色々な手段でヨブの生活を苦しめ、とうとうその生活をどん底に落としてしまいます。ヨブの友人、知人達が相次訪ねて来て、慰めたり忠告したりするがヨブは一切それらに耳を貸さず、反論する一方だから、ヨブの生活が好転することはありません。延々とくり返す論争の中に、ある青年が登場して以来、空気が少しずつ冷静さを生じ、ヨブは自分の神に対する「高ぶり」を自覚できます。

以来、神との出会いを解決への道として歩み直します。以前の信仰を取り戻したヨブが完全に勝利を得たことに私は広く深い神の愛に対して祝福と感謝の念に満たされてしまいます。

(K・N)

春の日に

この度の「平成28年熊本地震」の被害にあわれた皆様に心より御見舞い申しあげます。
4月14日の地震は前震で16日の地震が本震だと気象庁から発表がありました。まだまだ地震は続いています。

話は変わりますが2016年4月10日にソプラニスタの岡本知高氏のコンサートに行ってきました。
「男性としての強い筋力と豊かな肺活量を、生まれながらのソプラノヴォイスを通して発揮出来るという、
世界的にも大変稀有な天性の男性ソプラノ歌手である」とパンフレットに書いてありましたが本当にその通りで、
声はとてもすばらしく、来て良かったと思わせるものがありました。

テレビに出演されたことも何度もありますのでご存知の方も多いと考えます。

おしゃべりも素朴で普通の庶民と同じようで好感がもてました。
一般相手のコンサートよりも中学校などでする教育公演が多いそうで、青森市でも沖館中学校の合唱部と共演しました。
すき透るような声でした。

御本人は無宗教なのだそうですが、祈りに対して理解があり、讃美歌も何曲か歌われました。

国際ソロプチミスト(女性のための国際的な社会福祉団体)主催のチャリティーコンサートでしたが、
岡本氏はそのことをとても評価しておられ、また青森に来る時にもチャリティーでやりたいとおっしゃっていらっしゃいました。

熊本で強い地震が続く中、それでも青森では桜の花が咲き始めたことを喜ぶ心があります。
本当に1秒後に自分がどういう状況に置かれるかわからない人生です。

普通の生活が送れるありがたさをかみしめたいと思います。

(M)

バイブルクラス

新年度が始まっています。
新しい環境に喜びと共に緊張を覚えていることでしょう。
勉強に、スポーツにと、新しいことに踏み出すことを応援しています。
お一人おひとりの歩みに神さまのお守りがありますようお祈りしています。

子どもの教会では、毎月第二日曜日、子どもの教会礼拝後に、バイブルクラスを開催しています。
アメリカ人講師による、聖書をテキストとした英語の学びです。
毎月、心のこもった手作りの教材を準備してくださり、感謝です。
きれいなネイティブな発音で英語の聖書を聴くことが出来ることが、先ず、大きな恵みです。ゆっくりとしゃべってくださるので、英語の文章を目で追って確認できます。
家に帰ってから、教材の英語の文章を書き写して、おさらいしてみます。

手作りテキストには、その箇所の理解を深めるために、質問をいくつか用意してくださっています。
30分程度の短い時間なので、全部の質問を考えて答える余裕がないのが残念ですが、考えるきっかけを与えてくださることは、感謝です。

この楽しく有意義な時間を、もっとたくさんの人に経験してほしいと願います。

(S)

新年度の始まり

2016年4月新年度が始まりました。
私たちは、物事の始まりには、心新たにして、全て順調に行きますようにと、神に願います。
手を合わせ、頭を垂れて、目をつぶり、神に願い祈ります。

最近、観光で訪れた国でいくつかの宗派の違う教会を訪ねる機会がありました。
殆どの教会で、祈っている方をお見掛けしました。
手を合わせ、頭を垂れて、ある方は座って、ある方はひざまずき一心に祈っていました。
神の愛を求める姿は、国を超え、宗教を超え同じでした。

クリスチャンにとって、「祈り」は呼吸、「みことば(聖書)」は食事に相当すると言われております。
キリスト者になってまだほんの数年。
いつか実感出来る日が来るでしょうか…

(R)

春の訪れ

青森は雪が溶け、青空がのぞく春らしい日が続いています。長い冬が過ぎ、春を迎える解放感には嬉しさを覚えます。

ただ、空気と風はもうしばらく冷たいので、体調を崩さないように気をつけて過ごしていきたいですね。

 

教会の暦では、今週、受難週を迎えました。イエスさまが十字架の犠牲を払われたことを心に刻み、感謝と悔い改めを祈りながら過ごします。

この時期、礼拝で聴く聖書のメッセージは、特に胸に迫り痛みを覚えますが、それは神さまが私を捉えてくださっていることだと感じています。

 

次週、日曜日はイースターです。

イエスさまの復活とともに、春の訪れを感じる喜ばしい季節です。

(S)

「こころを高く上げよう」

私の好きな讃美歌のひとつ、『讃美歌21』の18番「こころを高くあげよう」。

歌いだしは「こころを高く上げよう」
歌い終わりも「こころを高く上げよう」

歌いだしと歌い終わりは同じようで、まったく異なっていることに気が付きました。
歌いだしは神さまからのメッセージ。
歌い終わりは私たちの祈り。

もうすぐ新年度が始まります。
新しい地で生活を迎える方々も多いと思います。

新しい歩みの中で、やみのような憂いを持つ時があるかもしれません。
新しい歩みの中で、すべてをささげ隣人に尽くす時があるかもしれません。

どんな時も、ただただ祈りこころを高くあげ、神様さまの御言葉を聞き求めて歩みたいと願います。

(H)

弱さと励まし

私には弱さがあります。そのために時々教会の礼拝を休みます。

こうした時、私の支えになるのが姉妹方からいただく電話やメールです。励まされます。

また今、教会のみなさんと一緒に毎日続けている聖書通読が心の糧となっています。

このように神様が支えてくださっている事を感謝し、励んでいこうと思います。

(NT)

この本をお薦めします。

三浦綾子『夕あり朝あり』

 

私は以前読んだことのあるこの本を、今もう一度読みたくなり読んでいます。少し紹介したいと思います。

この本は、クリーニングの「白洋舎」を創立した、五十嵐健治の伝記小説です。主人公の健治は生後8ヶ月で生母と別れ、5歳で養子となった。養家は経済的に貧しく、健治は田中平八こと“天下の糸平”(長野県伊那の出身で横浜・東京で事業に成功した人)を目標に一攫千金を夢見て16歳で家を出た。

日清戦争(明治27年)の軍夫、北海道の監獄部屋(タコ部屋)暮らし、三越百貨店の宮中係と波瀾万丈の道を歩んだ彼は、キリスト教に出会い、信仰に目覚め、人の垢を洗うクリーニング業に辿り着く。

日本初のドライクリーニングの開発。戦時中の宗教弾圧との闘いなど。キリスト教の熱烈な信仰に貫かれた。クリーニング「白洋舎」創業者、五十嵐健治の生涯がまるで子供の時からそばで見つめていたかのように自然な語り口で書かれている本である。

昭和47年(1972年)96歳で天に召されるまで、キリスト教信仰を貫き、晩年彼は訪ねてきた人の名前を忘れることがあったらしいが、そんな時いつも彼は
「何もかも忘れましたが、キリストさまのことだけは忘れておりません。」
と言っていたそうです。

以上ですが「感動を与える本」として、まだお読みでない方に是非ともお薦めしたいと思い、紹介させていただきました。

(E)

※変種註

軍夫=軍隊に属して雑役をする人。また、兵卒のこと。

監獄部屋=《監視が厳しく待遇がひどかったところから》明治以降、道路工事・鉄道工事・鉱山労働などに従事する労働者を収容した宿舎をいった語。タコ部屋。

『O Lord! Correct Me』

私は、テレビドラマはあまり見ないのですが、『あさが来た』だけは、毎朝楽しみにして見ています。主題歌もフルバージョンを聴くと、なかなか良いことを言っているなあと思います。特に好きなのが次の箇所です。

『その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか
それが一番大切なんだ さあ 心のままに』

結果はもちろん大事ですが、そこに行き着く過程も同じくらい重要なことだと私も思っています。この歌詞を知ったときは、「その通り!」と嬉しくなりました。

さて、先日、成澤泉役の瀬戸康史さんが、とても美しい曲を熱唱されていました。この役は、日本女子大学の創立者である成瀬仁蔵がモデルとなっています。歌っていたのは、ヘンデル作曲の『O Lord! Correct Me』という曲でした。

O Lord! Correct Me,
Not in Thine anger;
Have mercy on me,
And blot out all my sins.

日本語にすると、
『主よ、私を正してください
怒りではなく、あなたのお慈悲によって
私の罪をすべて消し去ってください』
という感じでしょうか。

このシーンに興味を覚え、日本女子大学のウェブサイトを見てみましたら、この曲は、『成瀬の愛唱歌として、長らく歌い継がれてきた歌です。』と書かれていました。成瀬氏は大阪の浪花教会で受洗したクリスチャンで、『聖書を持つ青年』と言われていたそうです。私の中では、瀬戸康史さんのイメージで成瀬仁蔵像ができあがってしまいましたが、実際にはどういう方だったのかなと、思いをめぐらせています。

「女性が大学で勉強するなんて、とんでもない!」という時代があったとは、今の私たちには考えもつかないことです。今の「当然」も、時が移れば「あり得ない」ことになるかも知れません。そう思えば、今起きているすべてのことが不確かなものに見えてきます。

このドラマがきっかけで、キリスト教と教育の結びつきに、ますます興味がわいてきました。タイミング良く、近々、同志社大学を訪問する機会もあり、初めて訪れるキャンパスがどのような雰囲気なのか見てこようと思います。ちなみに、我が母校の創立者もこのドラマに出ているのですが、ちょっとイメージが違うような・・・と、一塾員として感じております(笑)。

これからも、成澤泉の活躍を楽しみにしています。

(YN)

美しい歌声で賛美する

2016年1月17日(日)にACC(青森市キリスト教協議会)一致祈祷会に行って来ました。今年はカトリック浪打教会が会場でしたが、その時の讃美歌のハーモニーがとても素晴らしかったのです。いくつかの「キリエ」と讃美歌57番「ガリラヤの風かおる丘で」が歌われたのですが美しい合唱になっていて、こんなことはなかなかないなと思いました。

7つの教会から人が集まっていて、会場は満杯に近い状態で、私は真ん中の少し後方の席にいました。後ろから美しい歌声が聞こえてくるので、2つのことを考えました。

①担当教会の人々は受付等、様々な仕事をしているので、後ろの方に座る事が多い。では、カトリック浪打教会の合唱力が強いということか?

②7つの教会からいろいろな人が集まっているので、たまたま歌がうまい人がそろったのか?

本当のところはわかりませんが、とても良い讃美歌を聞けて良かったと思いました。自分も歌っていましたけれど。

そうしたら翌週24日の日曜日の礼拝の時、カトリック浪打教会の有志の方々が、当青森松原教会に聖歌隊の練習を見学しにいらっしゃるということを聞き、驚きました。「あんなに美しく歌えているのに」と思ったのです。

二つの教会が一緒になっての練習は楽しかったです。何年も前には月一回とか二回とか、いくつかの教会の人々が集まって歌の練習をしていた時代があったそうです。講師をしていただく方を探す等々、大変そうですが、またそういう練習ができたらと考えます。

『讃美歌』という名前を本当の意味で実感できたすてきな体験でした。

(M)