青森松原教会ホームページ

青森松原教会は132年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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2014年

1年を振り返って…

12月28日(日)、今年最後の「主日礼拝」を兄弟姉妹共に終えることが出来ました。神に見守られながらの一年を感謝いたします。振り返りましてこの一年は長かったでしょうか?短かったでしょうか?皆様はどの様に感じていますか?

私は、短かったと感じています。日曜日から日曜日。その間の色々な働き、奉仕。それに伴う学びとフル回転でした。

先ずは、与えられた道を投げ出す事無く、健康を害する事無く、年末を迎えられました事に、感謝と心からのお礼を申し上げます。

12月24日(水)の「クリスマスイヴ聖夜礼拝」で「ハレルヤコーラス」を礼拝に集った皆様と一緒に歌いました。礼拝堂の中は、神様の愛に包まれた一体感が生まれ心穏やかなひとときでした。

私は2年目。上手、下手はさて置き、礼拝堂に集った皆が心一つにして、響き渡るイエス・キリストを讃える歌声。不思議な感動でした。「歌い終えた!!!」スッキリ爽快。

3年目はもっとうまく歌えるでしょう。皆様もご一緒に「ハレルヤコーラス」を歌いませんか?

(R)

アドベントクランツ

今年もまた、アドベントクランツが用意され、ロウソクの灯りが1本、2本、3本と灯されました。

御降誕の喜びを共に分かち合い、クリスマスの祝福に与りたいと思います。

(T)

クリスマスページェント(聖誕劇)②

本日はアドベント(降誕節)第2主日礼拝が守られました。聖壇クランツの4本のろうそくの内、先週に引き続き本日、第2のろうそくにも火が灯されました。4本のろうそくすべてに火が灯ると(あと2週で)…、そう、クリスマスなのです。

前回のブログ筆者に引き続き私もクリスマスページェント(聖誕劇)について記します。それはこの時期、ずっと忘れられない詩があり、ここで紹介したいと思ったからです。

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星を動かす少女(散文詩集「年輪」より)

作 松田明三郎(まつだ あけみろう1894-1975)

 

クリスマスのページェントで

日曜学校の上級生たちは

三人の博士や

牧羊者の群や

マリヤなど

それぞれ人の眼につく役を

ふりあてられたが

一人の少女は

誰も見ていない舞台の背後にかくれて

星を動かす役があたった。

 

「お母さん、

私は今夜 星を動かすの。

見ていて頂戴ね・・・」

 

その夜、礼拝堂に満ちた会衆は

ベツレヘムの星を動かしたものが

誰であるか気づかなかったけれど

彼女の母だけは知っていた。

そこに少女のよろこびがあった。

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アドベントの時、一本ずつ増えて行くクランツのろうそくのともし火と、ページェント(聖誕劇)の練習に励む少女の姿。

 

そしてクリスマスを迎えた日……イエスさま誕生の喜びと、少女の母の喜び。

私は、これらの喜びが少しずつ重なっていき、自分の心にもキュンとなってしまう何かが生まれて来てしまうのを感じるのです。

青森松原教会では、12月21日(日)クリスマス礼拝の後の祝会で、子どもの教会の子どもたちによるページェントが演じられます。楽しみです。

(H)

クリスマスページェント(聖誕劇)

子どもの教会では、10月の終わり頃からクリスマスページェントの練習を始めました。讃美歌練習、台本の読み合わせから始めて、11月30日アドベント(待降節)に入ってからは、いよいよ立ち稽古を始めました。

クリスマス物語を演じる経験を通して、子どもたちの心にクリスマスの御言葉の種がいっぱい蒔かれることを願っています。大人の私たちがイエスさま誕生の喜びを、子どもたちに伝えていくことが出来るように、祈りつつ劇の練習に臨んでいます。

今年は、昨年に比べて、子どもの礼拝出席が減っています。昨年中心だった6年生が中学生になり、部活や勉強に忙しくなり、欠席するようになって、一緒に来ていた弟たちや妹たちも欠席するようになったためです。

昨年、たくさんのお友だちと一緒に演じた、賑やかで楽しかった子どもたちの思い出を大切にして、今年また出演してくれる子どもたちに、心豊かな思い出とすることが出来るように、私たち大人がクリスマスの意味を深く味わい感謝して、喜んでクリスマスに向かって歩んでいきたいと思います。

(S)

箴言を読むのが好きです。

旧約聖書の中に箴言という書があります。ヘブライ語で「マーシャル」と呼ばれ、意味は「比較」だそうです。日本語の格言のようで短く、意味もわかりやすいので、私の好きな書です。

今、自分の慰めとしている箴言の一節は16章8節です。

「稼ぎが多くても正義に反するよりは、僅かなもので恵みの業をする方が幸い。」

人見知りで器用でもなく、毎日「ああ、あの時は違う言い方をした方が真意を簡単に伝えられたのに」などと反省しがちです。そんな時、思い出します。自分の業は僅かしかないが、一つひとつコツコツと生活していけば、必ず成長すると思っているからです。解釈の仕方としては間違っているかもしれませんが、そう考えています。

話は変わりますが、11月22日(土)に弘前市の石川の辺りにある東奥義塾高校で行われたパイプオルガンのコンサートへ行ってきました。年1回なのでしょうか。無料で午後2時から3時15分まで11曲聞きました。昨年度から行ったのですが、今年度は日にちも1週間早くなり、コンサートの開始時刻も1時間早くなりました。青森市からだと2時間くらいみると間に合います。少し遠いですが、やっぱり音楽は生で聞くととてもいいです。迫力が違います。無料ですので、皆様もどうですか?

「身近にクラシック~歌とおしゃべり~」

11月16日(日)の午後、青森松原教会に素晴らしい歌声が響きわたりました。

14時から礼拝堂において、三上伸和氏・三上千加枝氏ご夫妻のコンサートが開かれました。ご夫妻は青森にお住いになり、地域に根差した音楽活動を展開し、私達にクラシック音楽の素晴らしさ、オペラの素晴らしさ等を身近で楽しめる機会を与えてくださっています。

今日は本当に素晴らしいひと時でした。直ぐ目の前で、お二人の表情、息遣いを直接間近に感じながらのひと時。マイク無し、ストレートに心に沁みこんで来る素晴らしい歌声。どの様に表現した良いのでしょうか。

一曲毎に、作曲家の人となりやエピソードを交えて、時にはユーモラスに、曲のバックグラウンド等も紹介してくださりました。正にコンサートのタイトル通り、クラシックが身近に感じられました。

教会と音楽は車の両輪の様なものだと考えています。聖書と讃美歌。礼拝堂に響きわたるお二人の素晴らしい歌声。

来年のコンサートも約束してくれました。今回来れなかった方、ぜひ来年はいらしてください。定期コンサートになれば良いな~~~。

(R)

秋の伝道“習慣”

青森松原教会では秋の伝道週間として、わかりやすく神様の恵みを知っていただけるように、多くの集会を企画しております。どうぞお気軽においでいただければうれしいです。

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11月9日(日)午前10時半 伝道礼拝  説教題「健やかに生きる」 佐藤初女氏 (森のイスキア主宰)

11月16日(日)午後2時「身近にクラッシック 歌とおしゃべり」 三上伸和氏・三上千加枝氏 (共にオペラ歌手)

11月30日(日)午前10時半 特別伝道集会 説教題「愛の本質を知る」 篠田真宏牧師

午後1時半 特別セミナー「互いに愛しなさい」~互いに愛し合うための3つの秘訣!~ 篠田真宏牧師

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昨日10月26日(日)の伝道礼拝では、弘前学院大学宗教主任:楊 尚眞(やん さんじん)牧師による説教「信仰の考えは人生を変える」(ローマによる福音書8章5-7節)と、弘前学院大学ハンドベルクワイアーのみなさまによる讃美奉鐘「あめなる喜び」によって主日礼拝を守りました。

この新しい一週間のあゆみも日曜日の主日礼拝から始めることができて感謝です。

礼拝説教の御言葉から、私たちは弱く罪深い原罪をもって生まれてきた者ですから、「肉による考え」によってものごとを判断しがちであること、だからこそ、主イエス・キリストの歩みに倣う「信仰の考え」に従って歩むという聖書メッセージをいただきました。

伝道週間にあたり、これらのメッセージを多くのみなさまにも知っていただきたいです。日々、「信仰からの考え」による良い考えをもって歩んでいただけますようお祈りします。

しかし、私自身、教会から一歩外に出ると、御言葉からすっかり離れてしまう弱いものです。礼拝の時だけではなく、日々の生活、立居振る舞いや言葉使いのひとつひとつに伝道の心をもって歩んでいきたいです。

そして、秋の伝道週間の時をきっかけに、一年を通した伝道“習慣”をもてるような伝道力が付くよう祈りつつ歩みたいです。

(H)

いつも守ってくださる神さま

楽しみにしていた朝の連続ドラマ「花子とアン」が終わりました。最終回で語った花子の言葉が心に残っています。

「道には曲り角がある、その曲り角には何があるかわからない、

けれどもきっと花も咲き、夢もあって美しい景色が待っています。

希望をもって歩みなさい。」

わたしは子供の時から「赤毛のアン」が大好きです。絵本や童話をおかあさんが読んでくれました。自分で好きなお話は何回もくりかえし読んでもらいます。劇団四季によるミュージカル「赤毛のアン」も観ました。朝のドラマが終わってしまったけれど今はBSで毎週放映されているアニメ「赤毛のアン」を楽しんでいます。

「花子とアン」には私の大好きな教会が何回も出てきました。とてもうれしかったです。青森松原教会にも色々な本がたくさんあるので借りて読んでもらっています。

花子の言葉から礼拝で聞いた牧師先生のお話がうかんできます。

「神さまがそばにいて、いつも守ってくださるから

どんな困難に出会っても希望を持って歩みなさい。」

 

いつも守ってくださる神さまに感謝します。

(H・F)

牧師のアメリカ滞在記⑦

8日目はまず、前日に引き続きホープカレッジへ伺いました。けれども、目的は施設見学ではなく、月・水・金の午前に行われているチャペル礼拝に出席することでありました。

「混んで入れなくなるから早めに行った方がいい」。

行くまでは半信半疑でした。なぜならその講堂には1,200名が入るからです。

20分前に到着。まだガラガラです。

「ほら。こんなものでしょう。」(←大澤の心の声)

5分前になるといったい何事かと思うような勢いで学生たちがなだれ込んできます!1,200名の講堂があっという間にいっぱい。地べたに座る学生や、立ち見の学生まであらわられるほどです。

 

けれどもこの光景も数年前からだそうです。10-20年前には、この同じ講堂に100名程度しか学生が入っていなかったそうです。それが讃美歌や奏楽、説教方法等をコンテンポラリーな礼拝へ改革したことにより、礼拝出席者が10倍以上に膨れ上がったと伺いました。「御言葉によって改革され続ける教会」の具現化が、ここに現れているように感じました。

 

もう一つ私が励まされたことは、日本からの留学生の多くが、留学中にキリストと出会い、信仰の芽が開き洗礼を受けることが多いという事実でした。日本にだけ留まっていると、なかなか福音が前進せず、数字として結果が表れず、教会やキリスト教主義学校の存在意義を考えてしまう時があるかもしれません。けれども、日本の統計には表れない仕方で、蒔かれた福音の種が、着実に芽生えている現状を初めて知りました。

「伝道困難な日本に地における種まきは無駄ではありません!ぜひこのことを日本の皆様に伝えていただきたい。」

アメリカの宣教師や牧師からの感謝の言葉がありました。日本の教会やキリスト教主義学校の果たしている働きについても考えさせられた時となりました。

 

続いて私たちはホーランド・レスキュー・ミッションという、様々な困難を抱えていらっしゃる方々を支援する施設を訪ねました。男性用施設、女性・子ども・家族用施設、献納品が集められる大きな倉庫の見学を行いました。男性用施設(シェルター)では施設責任者と共に昼食をいただきました。施設利用者に3食365日無料でふるまわれている食事です。

この働きには2つの柱があります。職業技能訓練と社会適合です。1年かけてこのプログラム(クラスと呼ばれている)を行い、さらには職業のあっせんも行うというのです。「巣立ちの部屋」のような場所もありました。1年のプログラムを終えた後の利用者はこの部屋に移り、ごく少ない家賃(月2万円程度。3食付)を払いながら、実際に働きに出てみます。私が特に感心したのは、最後シェルターを旅立つ時に、その払っていた家賃はすべて貯められており、餞別として渡されるという点でした。

献納品が集められる大きな倉庫では、毎日トラック何台分もの献納品が集められ、仕分けされていました。驚かされたのは、このミッションの働きにほぼ行政や国からの補助が出ていないという点でした。すべては献金とこれらの献納品の販売等による利益で賄われているそうです。そしてこの倉庫ではシェルター利用者も働いており、それもまた社会復帰の1ステップとなっていました。

その後、キッズホープUSAという、青年伝道に携わる施設に見学へ行き、この日の最後は日曜日に礼拝出席するビーチウッド・チャーチの長老宅へ、参加者全員で夕食に招かれました。翌日も同じ教会の別長老宅へ招かれ、そちらへは4名で参加しましたが、同じ教会の同じ長老でもご家庭の事情は様々であるのは、アメリカも日本も変わらないなと感じました。とても良い交わりの時間となりました。

 

9日目は土曜日。「土曜日の朝はここでパンケーキ」。そう決まっているお店があるとの事で、ヘッセリンク宣教師ご夫妻のお招きで朝食会に出かけました。さゆ里先生の御心遣いにより、レーマン宣教師もお招きくださり、席もお隣にしていただき、ゆっくりと青森松原教会の設立やウィン宣教師にかかわるお話を伺うことができました。またレーマン宣教師の御著書も購入できました。教会にとって一番のお土産です。

ミシガン湖で元宣教師が運転するボートに乗せていただき、ダッヂビレッジを見学の後、長老宅の会食でこの日は終え、翌日の礼拝に備えました。

 

10日目の日曜日は、いよいよ帰国前日。ビーチウッド教会の第一・第二礼拝へ出席しました。オーソドックスかつクラシカルな第一礼拝と、コンテンポラリーな第二礼拝。けれども礼拝説教や聖書箇所は同じ。それぞれ礼拝出席する年齢層は異なりますが、同じ御言葉により一つの礼拝がささげられているのが特徴的でした。この日は帰国に備えゆったりと過ごし、ダウンタウンで買い物して、夕飯を食べて終えました。

 

11日目の最終日。2件のクリスチャンセンターをはしごし、最後のお土産を購入して空港へと向かい、帰国の途につきました。

内容も恵みも盛りだくさんの旅を、すべてお考えくださり、ご案内くださったキスト岡崎宣教師ご夫妻、ご家族に心から感謝申し上げます!また日本で恩返ししたいと思います。

どんなところにも希望がある

あるよく晴れた秋の日に、紅葉を見るために山へ登った。とてもすごしやすい日だったので、山には沢山の人がいた。その時、突然山が噴火し大小様々な石や有毒ガスが噴き出した…。

その報道を聞きながら、まるでイタリヤのベスビオ火山の大噴火で、火山灰に埋まってしまったポンペイの街のようだと思いました。

世の無常を感じさせる悲惨な出来事でしたが、その中にあっても希望を抱ける話としては、犠牲者の多くの方が自分の周囲にたまたまいた人を守るような行動をとって死んでいったという事です。

夫婦で山に登り、二人とも死亡したケースで、先にみつかった夫が、そばにいた女性に手をさしのべるようにして死んでいた。当然そのそばにいた女性の遺体は彼の妻であろうと考えられたが、くわしく調べてみると、全くの他人だった。また別の場所で犠牲になった25歳の男性の手には子供用の帽子が握りしめられていたそうです。近くに居合わせ子供を守ろうとしていたかのように。小学校5年生の女の子の体の上には、男性用ものの青い上着がかけられていたそうです。

混乱の中でも我先に逃げようとするのではなく、最後の瞬間まで他の人のことを気にして守ろうとした人が多かったという事が、悲しみの中でも希望を感じさせてくれます。

 

聖書の中にも、むなしさや人生に対して否定的な描写があります。ただ理想や教えを説くだけでなく、現実に立って書かれているのです。だからたとえ、どんな境遇にあろうとも失望はしなくていいのです。神はその境遇を見据えた上で、あなたに語りかけているのです。

「主を信じる者は、だれも失望することがない」(ローマの信徒への手紙10章11節)

 

突然窮地に陥っても神はそこからあなたの人生を創造されるのです。恐れることなく、平常心を保ちましょう。どんなところにも希望はあるのですから。

(M)