青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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初めてのショートステイ

小学4年生の時、劇団四季のミュージカル『むかし、むかし象が来た』を初めて観て、ミュージカルが好きになりました。お母さんも初めて観て好きになりました。それから、青森で劇団四季の公演があるたびに観につれて行ってもらいました。

いろいろなミュージカルを観た中で、『夢から醒めた夢』(原作・赤川次郎)が一番好きです。これまで4回観ました。今は視力が無くなってビデオが見えなくなったので『夢から醒めた夢』の公演のCDをかけて、ステージのシーンを思い浮かべたり、劇中で歌う歌「夢を配る」「二人の世界」「愛をありがとう」等を聴いて楽しんでいます。

9月5日~6日ショートステイで金浜療護園に1泊しました。初めてだったので、不安と楽しみが半分ずつで緊張していましたが、松原教会のラベンダーの会の皆さんが昼食会をして励まして下さり「神さまに守られて、無事にショートステイができますように」とお祈りしてくれたので、私はとても勇気をもらいました。

1週間前に風邪をひいてしまって「神さまショートステイの日まで元気にして下さい」と私は毎日神さまにお祈りしました。 そして『夢から醒めた夢』のCDを持って行って部屋で聴きながら、初めてのショートステイを無事に終えることができました。

いつも私の側にいて守って下さる神さまに感謝します。

神さまありがとう!

(H.F.)

大きい金のメダル

今月の初め、孫の運動会があり、家族で応援にかけつけました。

孫の出る種目は50m走、玉入れ、綱引き、大玉運び、親子障害走、リレー等と、たくさんあり応援する方もあちらこちら移動し、忙しくて手大変でした。

暑い日差しの中、汗をかきながら懸命に走る園児たちの姿を見て、とても嬉しく、これまでの成長を心から神さまに感謝しました。

 

この運動会で特に心に残ったことは、開会式の園児代表の言葉でした。

「私たちは、転んでも泣かないで、最後まで一生懸命走ることを誓います。」

と、可愛い声で宣言したことが、心にグッときました。

 

又、園長先生のお話しの中で

「転んでも、泣かないで一生懸命走って下さい。一生懸命走った人には、リオデジャネイロのオリンピックの選手がもらう、どのメダルよりも大きい金のメダルを皆さん全員にあげますよ」と話された事が、とても印象的でした。

走り終えた後、園児たちの胸にはお日さまにキラキラ光り輝いている、大きい金メダルがありました。

“みんなメダルをもらえて良かったね”

(R.E.)

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『白愁のとき』に見まわれて

夏樹静子氏の『白愁のとき』を本棚に見出して読んで見ました。以前に「白愁」という言葉を説明した記事を思い出し、自分の日常生活に心を寄せたりしながら……。白愁=人生の秋。30代、40代の時の如く仕事に合わせる能力が身心共に衰えて来る時季。女の更年期、男にも更年期あり等(など)いう。語源は確か中国で、人生の年月を季節に例えて分別し、それに色をあてはめてる。

① 青春=若さいっぱいの20才前後。石坂洋次郎の「青い山脈」がピッタリだと思う。

② 朱夏=人生の真っ只中。25才~45才。男盛り、女盛りと言われる。

③ 玄冬=(玄)は奥深くて光の及ばない所の色。黒。天の色。

小説の荒筋は省略します。主人公は52才の優秀な造園業を営む男性。叔母がアルツハイマー症に犯されて若死した事もあって、近頃の自分が頻繁におそわれる物忘れ、不眠症、仕事のミス等に一喜一憂の日々に喘いでいます。その様子が縷々画かれて居ます。精神科医を友人に持って居るので良く訪ねては苦悶を訴えています。

私にも彼に似た症状が50年前から生じました。呑気に構えては居ますが、TVを見ていて困る事があるのです。「この話はちゃんと聞きたいな。」と耳を傾けた途端に場面が移って字幕が消えてしまうことです。「こんな時に必ず思い出すのが、20代の事です。学校の体操場での映写会でナレーターをやっていたことです。画面が新しくなった瞬間、全面的映に写場面も字幕も頭に焼きつき、役目を完全に果たす事がきたのです。昔の話を持ち出してもどうにもならないと諦めるばかりですが・・・・・

この小説には次の終末分野があって私を救ってくれました。神からの恵みだと感謝いっぱいです。

◎「みんな、のべつ物忘れしながら生きているのだと彼は急におかしくなった。(中略)第一凡ては疑いでしかないのだ。」

◎「凡ての物は移ろい、移ろいながら永続して行く時の景なのだ。と考えよう。この爽秋の果てない大気の中に身も心も魂も溶けて行く。永遠と一体になるのだ。」彼は秒を刻む腕時計を空高く放り出して小説は終わりました。

そして私も「白愁」という美しい言葉の裏に潜む恐い物の存在を暫し遠のけて、穏やかな一つの別れを致しました。

神様ありがとうございました。

(K.N)

わたしの8月

私はカナカナ蝉のあの澄んだ、綺麗な美しい声が嫌いです。

8月と言えば先ず終戦記念日が頭に浮かびますが、空襲で家を焼かれ、農家の物置を借りて両親と3人で住む事になりました。私は15歳でした。

牛と同居しており、丈の低い板囲いの上から牛がにゅーっと目の前に顔を出すので、慣れるまで大変でした。

無い無いづくしで、何にもない、学校も焼けたから行く所がない、唯、降るような「カナカナ」の声と、牛の動く物音だけ、本を読みたい、活字なら何でも良いと思いました。

それでも「はだか電球の明るさ」、座敷の方から聞こえるラジオの「リンゴの歌」のメロディーに心が弾みました。

でも、2ヶ月後に届いた兄の戦死の報せの悲しみは、消すことができません(26歳。好きな人も居たのに……)。

「いつまでも平和でありますように」と、祈るばかりです。

(C.K)

神は愛なり

母が元気で独居暮らしの頃の物語です。

大寒のある朝、黒トラの猫が庭のふとん干し場から家の中の母の姿をジーッと見ているので、気になって庭に下りて猫の所に近づくと、首から何か書いたものがぶらぶら揺れて困っている様だったのです。

その名札には、

「メッセージ、私は老人ホームに行きますのでこの子を連れて行くことが出来ません。どなたか心やさしい方にお願い。この子の新しい飼い主になって下さい。名前は熊吉・メス猫・不妊手術済みです。とても気だてのいい子です。」

と書いてありました。母は熊吉に向かって言ったのです。

「今朝から私があんたの主人よ、ひっかいたりしないで仲良く暮らそうね。」

ここでは熊吉だけど、公園の子供達は「タマー」って呼ぶし、魚屋さんへ行くと「熊子ー」って呼ばれていた。

皆に愛されて、これって神は愛なり、あなたをみなし子とはなさらない、か?

(Y.K.)

庭での出来事

 

ガーデニングが好きな私は、庭に少しの野菜と花を植え、季節、季節に楽しんでいます。オダマキが好きで色、花の形の違う数種類を植えています。オダマキは殆ど虫もつかず、病気にもならず、日当たり、日陰関係なく、次から次へと長い期間花を見せてくれます。

咲き終わった殆どの花柄は沢山の種を持ちます。その種が全てこぼれ、芽吹いたらいくら好きでも手に負えなくなるのと、親株が弱るのを防ぐためにも、殆どの花柄を取ってしまします。それでもこぼれ種からアチラ、コチラと芽吹いてくれます。

先日、車庫の中の壁際でオダマキが咲いているのを発見。ビックリ、感激、何と愛おしい花でしょうと暫し語りかけ、褒めてあげました。通路と車庫の間に種がこぼれ、芽吹き中と外で咲いていました。

「置かれた場所で咲きなさい」

人はどんな境遇でも輝ける

渡辺和子姉著書 (ノートルダム清心学園理事長)

そのままでした。すべてを語ってくれています。

場面は変わりますが、虫除けネットで厳重(?)に囲まれ、大事に、大事に育てられています。スティックブロッコリーの中に大きめの青虫2匹発見、何処から?どの様に侵入して来たの?って聞きながら、ここで働きをされたら大変と、摘み出しました。難しい物です。

(R.E.)

苧環

心に残る思い出

先日、孫の通っている幼稚園の盆踊り大会と年長児のお泊り保育があり、園生活最後の機会でもあるので家族3人で参加しました。しかし、当日は雨天のため、外での大会は残念ながら中止となり、園内のホールで年長児とその家族のみの参加で行われました。

園児たちは各々浴衣や、甚平を着て心ウキウキさせながら、盆踊りやフォークダンスを先生達や家族と一緒に踊っていましたが、その表情は園児たちは勿論のこと、参加したすべての大人や子供達も楽しんでいて、一人ひとりの顔がとっても素敵に輝いてもいました。また、かけ声をあげる時があったのですが、その時はあの小さな体のどこからあんな声がでるのか、ホールの天井が割れ落ちんばかりに全身全霊で声を出していました。その余りの元気さに驚き、また感動しました。その感動と興奮のうちに盆踊り大会は終わり、年長児のお泊り保育へと移りました。

先生たちも浴衣姿でリードし、終わると素早く洋服に着替え、お泊りの夜は、きっと寝ずの番をする思い出その場に臨んでおられたのではないでしょうか?次の日、降園して来た孫に聞いてみると「ホールに布団を敷いてみんな一緒に寝たんだよ。とっても楽しかったよ。」と……。

一人ひとりの園児の心に残る良い思い出になったようです。

全てに感謝!!

(R.E)

私が望む教会の姿

私は教会に通い始めてもうすぐ2年になる求道者です。日曜日には、できるだけ用事を入れず礼拝を守るようにしています。それでもどうしても出かけなければならない時は、行き先の教会をインターネット上で捜し、礼拝を守るようにしています。

あるとき、教会の雰囲気について、このように書かれた教会を見つけました。

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・横(会員同士)の交わりは、多くはありません。神さまと向き合い、静かに信仰生活を歩みたい人に向いていると思います。

・昔からの気風で、ごり押しするような感じのものはなく、自由な風がわたっている感じです。

・伝統を遡れば長老教会です。伝統を大切にしつつも、そのことに縛られない懐の深さ、広がりを大切にしています。

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ものすごく共感しました。

私にとって、松原教会の方々は大切な存在です。礼拝後のお茶の会、昼食会に欠かさず参加しているのも教会の方々とできるだけお話したい、繋がりたいという気持ちからです。では、大澤牧師が他の教会に移られたらどうなるでしょう?教会員の方々との関係が悪くなったらどうなるでしょう?恐らく、私の気持ちは揺らぎ、教会を離れることになるかも知れません。

都会の大きな教会に行くと、礼拝後、誰ともお話をすることもなく教会を後にすることがあるそうです。それは寂しく思います。でも、横の関係を大事にし過ぎると、それを優先し過ぎると、本来の神さまとの繋がりを見失ってしまうかもしれない。そういうことを考えました。

「自由な風がわたっている感じ」「伝統を大切にしつつも、そのことに縛られない懐の深さ、広がりを大切にする」教会。まさに理想的な教会のように思います。

yn

旧木造町にいた頃書いた自分史より

久しぶりに「自分史」を読み、60余の項目の中から「戦争体験」中の「敗戦国民として生きて」を教会の皆様に語ることに致しました。

熾烈な生活でしたが、親類縁者から一人も戦死者が出なかったことが、その気にさせたようです。然し、教職に在った身としての私は次第に戦争の影響が深められて行きました。生まれた時から軍国思想を叩きこまれた頭を切り替えることは容易な問題ではありませんでした。

①近所の医者から「今晩家に珍しい話をする人が来る」と誘われて行ってみたら代議士の津川氏でした。戦争の是非を語った筈ですが私はその事よりも「東大を出た人ってこんな素晴らしい話が出来るんだ」というカルチャーショックに打ちのめされてしまいました。中味は忘れましたが……

②教育の内容として「自己主張の出来る子にせよ」という方針を強張されたのは、私にとっては無理難題の事でした。

③「教職員組合を組織して教員として生活を確立せよ」というのは、主に男性教員が先頭に立ち女性は目立たない所で応援する形だったので印象に残る程の問題はありません。但し5年位経て「米国で赤狩りが始まった」とのニュースを聞くようになったら日本でも教壇から追放される人が出るようになりました。

④頭の切り替え事業の一つとして進歩的な方の講演を聞く機会が増えたのは嬉しいことでした。それと並行して夏休み、冬休みを利用して東北六県統合の大きな集会が持たれ自費、自弁の教員が集まり、子の無かった私共も毎度の如く参加したものでした。同時に我が家の図書室に何種類かの本が並ぶようになりました。

今になってみると、教職の身であった故で、戦争について少しは頭が洗脳されたような気にもなり、有難いことだと思います。憲法九条が守り抜かれる事を神に祈り続ける日々を送っています。

(K.N.)

ゴスペルは楽しいな。

ゴスペルは楽しいな (^^♪

説教、お祈りをもう少し短くした方が良いかな?

 

その後のお茶で、交わりが出来るのではないでしょうか。

歌も、変えてみたらいかがでしょうか

 

いろんな人とお話しが出来、外で逢って、又そこで交わりが出来る事がとてもうれしいです。

 

皆様どうぞ教会においでください。 †┏┛教会┗┓†

 

K.H.