青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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戦争と平和

今年2月の誕生日で87歳になりました。

長くもあり、短くもあり…。やっぱり長かったと思います。太平洋戦争の中にあった小学校1年から女学校を卒業するまでの10年間が、いちばん長かったように思います。

小学校6年生の時、お国のために何かできる事がないかと思い、友達と相談し、二人で新町通り(青森)のデパートの前に立ち、「国防献金お願いしまーす」と通る人に募金を呼びかけました(当時、先生の許可があれば募金運動ができました)。集まったお金を東奥日報社へ届けました。後に東條英機の名前で感謝状が届きました。振り返ってみて、とても恥ずかしいような、悔しいような気がします。

女学校の4年間は、半分位は勤労奉仕だったと思います。いちばん苦しかったのは、自分の体重とあまり変わらない重さの鉱石を背負って、崖のような所を何度も往復し、運ぶ作業でした(ノルマが与えられていましたから)。

砂糖や甘いお菓子など無い時代でしたから、幼い姪二人が酢をなめて「甘いね」と言ってニッコリ笑顔を見せました。

笑えないです。

小学校の音楽の時間では、戦争に関係あるものが多くて楽しくありませんでした。低学年では「今日も学校へ行けるのは~~兵隊さんの~おかげです~」とか、高学年では「敵艦見えたり~近づきたり~~~~各員(かくいん)奮励(ふんれい)努力せよと」などと歌っていました。

今、若さの中にある方々、18歳から選挙権も与えられましたし、自由に発言できる時代を大切にしてください。いつまでも平和でありますように希望を託したいと思います。

私はすり足で歩くような、おぼつかない足取りで生きておりますが、いつの日か、神様がみもとに引き寄せてくださると信じて、生きてまいりたいと思います。

(C.K.)

「新しく生まれ変われる?」

「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」(ヨハネによる福音書16章23~24節)

どんなに絶望におちいっても、自殺しないで、あきらめないで、一生懸命になって、「イエスさま助けてください」と、イエスの名を読んでください。助けを求め祈ってください。助けを求め祈ってください。そして聖書を読んでください。聖書は読んでもわからない。でも、あきらめない。教会の礼拝に行ってください。説教を真剣に聞いて、イエス・キリストを求めてください。

キリスト教は知識ではありません。イエス・キリストを知るまで求めてつづけてください。必ず神さまは救いを与えてくださいます。

「神は、その独り子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)

以上の内容は、あるどもり(吃音症)の青年が中学生の時、友だちからいじめられ、悩み、そのため自殺をはかったこともあったという経験を持つ牧師(現在)の「小説教集」からとったものです。

人は、この世に生を受け、たくさんの出会いを通し、善くも悪くも変えられていきますが、前述の牧師は、クリスチャンの同級生に誘われ、初めて教会の礼拝に行ったことから、今までの絶望的な生き方が180度変えられ、キリストの十字架と復活を信じ、洗礼を受け新しく生まれ変わることができたのです。そして、何人もの牧師の説教を聞くうちに、イエス・キリストの福音伝道のために献身する決心に導かれたのです。

神さまは、その人の心の奥底から出た真剣な祈り・願いを聞かれるお方です。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節)

皆さん、教会に来て、聖書の話を聞いて、讃美歌を一緒に歌いませんか。きっと不安が取り除かれ、平安が与えられ、次への新しい一歩を踏み出すことができるでしょう。

どうぞ教会へおいでください。いつでもお待ちしております。

(R.E.)

季節は冬から春へ

今年の冬の青森市は雪が少なく、弘前市の三分の一です。九州や中部地方・北陸地方の大雪をみると異常気象なのでしょうか。

2017年2月17日、弘前西教会で北西地区教会婦人会連合第2回連絡会(総会)が開かれました。25名の参加でした。2017年度は弘前地区から役員が出ることになっていて、委員長・書記・会計の三役とも木造教会の方々がやってくださることになりました。

その次の2018年度は青森地区から役員を出すことになっています。4つの教会から選ぶことになっていますが、実質的には青森教会と青森松原教会の2つの教会から出すことになっています。

ところが青森教会が高齢化もあり、脱会すると宣言したのです。そうなると当青森松原教会から三役すべて出さなければなりません。出席していた私たちは地区の再編を要望しましたが、結論は先送りされてしまいました。5月まで持越しです。青森教会が脱会するかどうかもです。働ける方は6名しかいなくてそれぞれ役割をもっているからこれ以上もつのは無理、ということでした。

婦人会連合の顧問である浪岡伝道所の石川牧師はマルコによる福音書4章24~25節「何を聞いているかに注意しなさい。」で始まる『「ともし火」と「秤」のたとえ』のところを用いて説教をささげられました。外のものを見ているようであっても私たちは実のところ、自分自身を見ているのだ。聞こえているものもそうで、外の音を聞いているようでも実はうちなる自分の声を聴いているのだ。いかに自分という殻が堅固で御しにくいものか、気がつかなければならない。自分のフィルターを通して判断してばかりではいけない、ということでした。

一人一人の「私」は違うけれども、御言葉を問うという一点のみで心をひとつに合わせることができます。私の理想はさまざまな異なる賜物を持つ人々が協力しあう教会です。

2017年度は教会に対し、どのような奉仕ができるでしょう。いや「神様に対し」かな。自問自答しながら慎重に歩んで行きたいと思います。

(M.T.)

『「ひと」として大切なこと』を読んで

寒さ募る大寒の日々を埋める本を探していたらこの本に出会いました。日頃尊敬を寄せる作者、渡辺和子氏にしては予想外のタイトルだなと思って目次を開いてみました。

私に合いそうな数ある小見出しの中には「人格と人格性」「人格性の特徴」「人間の成熟」

等とても難しそうなものもあり「やはり渡辺氏らしいな」と読む決意を固めました。私にとってのわかり易い部分だけを紹介することをお許し願います。

ご本人の意図として「心ふさぐ時や生き方に迷う時、自分らしさを見失わないための人生論です。人間の尊さ、力としての愛、自由とは何か……など、大学での三十年以上の講義を収録」したというものです。

以上の弁解をして、紹介に入ることに致します。

Ⅰ 礼儀

  1. お辞儀の仕方として、お辞儀には始めと終わりがあるから、頭の位置と手の状態をきちんとすること。
  2. 何かの講演等を聞く場合には内職しないこと。

Ⅱ 人格

  1. 相手の知能の高低に価値づけをしないこと。
  2. 付和雷同的な判断は慎む。
  3. ※「人見るも良し、人見ざるも良し、我は咲くなり」

Ⅲ 愛

  1. ここで登場する人はマザー・テレサです。無報酬で三回来日しましたが、その度に背中の丸みが強まりました。汚い臭いで目をそむけたくなるお姿だったと表現しておりました。
  2. ドイツのヒットラー時代のユダヤ人絶滅政策の中での、コペル神父が餓死を命じられた人の身代わりになったことも取り扱っています。クリスチャンらしく「キリストの最高の辛さは、自分を裏切った人間が弟子だったことであろう」と推察をくだしておりました。涙をさそうような言葉だと思いました。

三浦綾子氏の小説の中にある次の文を添えて『「ひと」として大切なこと』の紹介を閉じることにします。

『真の愛と呼ばれるものは誰もが愛せるものを愛することではなくて、誰からも顧みられない価値なきかに見えるものに注がれる愛である。』

なかなか書き進められないものを貧しいながらも、やっと終えることができました。

神様のお力添えを感謝申し上げます。

(K.N.)

サンタクロースの起源

昨年1223日「日本経済新聞」のコラムに、日本のサンタクロースの起源に関する、次のような記事が載っていました。 

「わが国にはじめてサンタクロースがお目見えしたのは1874、とする説がある。のちに[免囚保護の父]などと呼ばれる原胤昭(たねあき)が、キリスト教の洗礼を受けた感謝を表すためクリスマスの催しを開いた際のこと、という。サンタ役は日本風の衣装をまとったそうだ。・・・」(2016/12/23付 日本経済新聞 朝刊 社説・春秋)

続いてコラムの記者は、原胤昭の生涯と働きについて紹介し、「キリスト教徒でなくても、その生きざまには胸が熱くなる。」と述べています。

この記事をもとに、原胤昭について調べてみました。

原胤昭(1853年―1942)は、明治時代のクリスチャンの実業家、浮世絵商でした。社会活動にも携わり、目ざましい足跡を残しました。

1874(明治7)、東京築地にあった東京第一長老教会(長老派の教会)で宣教師より洗礼を受けました。

同年、東京銀座にキリスト教書店の「十字屋」を創業しています。

 

監獄(刑務所)の改良に努め、みき夫人に支えられて、出獄した人たちを保護(免囚保護)しました。

児童虐待の防止や孤児の保護、貧困層のための住宅事業にも尽力しました。

信仰に立って世に仕えた、信仰の先輩たちを覚えることができました。感謝します。

(M.N.)

クリスチャンホーム

私はクリスチャンホームで生まれ、父も母もクリスチャンですが、父は4年ほど前に亡くなり、母は老人ホームに入り、今私は一人でアパートに暮らしています。

父が私に教育した事、母が私に教えた事は、今も私の心の中に残っていて、生活する中でどうしようか悩んでも父母の教えを思い出し、又インマヌエルの神に祈りつつ歩んでいます。

毎日聖書を読んでいると知恵が与えられますが、特に箴言を読んで教えられます。

「心を尽くして主に信頼し、自分の分別に頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」(箴言3:5-6)

この神様のお言葉に頼り見上げて今年一年も主と共に歩んで生きたいと思います。そして今も父の思い出を胸に、母の存在と共に生きていきたいと思います。だから我が家は今もクリスチャンホームです。

(N.T.)

ハレルヤおばさんの一日

私は藤田組通りに面した栄町2丁目の遊歩道から諏訪神社の裏の橋を通って青森松原教会へ行きます。

11月の末のこと、桜の落ち葉がふかふか、雨と雪で歩くと少しじょぼじょぼ、ふかふか足をふみならし、ふかふか、じょぼじょぼしていると桜の葉っぱの香りが辺り一杯広がりました。

なんていい香りでしょうか。ルンルンです。

色とりどりの紅葉、紅、黄色、だいだい色。絵にも描けない美しさって本当?

絵心のある方、パッチワークの好きな方、オススメのコースだと思います。

葉っぱのフレディはカエデでしたが、こちらは桜で香りつき、春には花吹雪も見物です。ふかふかの葉っぱの下では春の準備の真最中。吹雪ではなく、花と光をください。

(Y.K.)

追悼 渡辺和子姉

2016年12月30日に、ノートルダム清心女子大学の元学長の渡辺和子姉が亡くなりました。89歳で膵臓ガンだったそうです。

父親は渡辺錠太郎氏で、彼女が9歳の時に二・二六事件に遭遇します。当時大将で教育総監だった父親が、自宅で青年将校たちに襲撃され、43発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにします。

2015年秋放送のTBS『金曜日のスマたちへ』でとりあげられたので、ご覧になった方も多いかと思います。

私は洗礼を受けた時記念に渡辺和子姉が書いた『置かれた場所で咲きなさい』という本をいただいたこともあり、姉妹のことが気になっていました。

置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。咲けない時は根を下へ下へと降ろしましょう―—と書いてありました。

日常生活の中で、思いどおりにならないことは多いものです。そんな時でもあきらめずに自分の内面を磨くようにしましょう。

そう言われているような気がしました。

世の中が右傾化しているとよく言われるようになりました。日本が戦争に参加する日も再びくるかもしれません。

戦前の二・二六事件の生き証人である渡辺和子姉が亡くなられたことは、心細いものです。あらためて私たちの生き方が問われていると思いました。

(M.T.)

クリスマス・ツリーについて

多くの家庭では、クリスマスが近づくときれいな灯りのクリスマス・ツリーを飾ります。

統計によると、アメリカの約3分の2の家庭ではクリスマスの楽しさは灯りをつけたクリスマス・ツリーが中心だと言っているという。

クリスマス・ツリーにモミの木が用いられるようになったことの伝説がある。

8世紀の頃、ドイツに派遣された最初の宣教師ボニファティウス(紀元672-754年、もとの英国名:ウィンフリド)が、オーディン(北欧神話の神)の神聖なカシの木に人身犠牲をささげようとしている様子を見て、彼らにこの野蛮な行為をやめ、まことの神に帰依するように説得した。丁度かたわらに生えていた小さなモミの木を指し、これを家に持ち帰って、幼子キリストの御降誕を祝うようにすすめたが、その日は12月25日であったというのである。

他にも諸説あると思うが、いずれにしてもクリスマスは暗闇の中にある人々に希望の光を与えてくださる救い主イエス・キリストの御降誕を心から喜んでお迎えすることが一番である。

新年も神の御守りと御導きに感謝を忘れず、礼拝や祈祷会などで、みな共に祈りを合わせ、信仰によるしっかりとした歩みを続けたいと思うのである。

(R.E.)

小説と私

TVを見ていて特に気の引かれたドラマの「漱石悶々」の宣伝です。私は小説が好きなので、これを見ることにしました。20代の頃の私は「明治大正文学全集」に読みふけった時代がありました。中でも「わが輩は猫である」「坊ちゃん」「草枕」等々。私は漱石の全作品を読みまくったようです。他にも引かれた作家は何人か居ましたが、漱石はダントツでした。自分の書く文章も漱石寄りが自覚されました。家人の一員から「母さんの文章の中身に文句はつけないが、文章のワンセンテンスは短くした方がいいよ。」と注意されて、私の漱石好みが良くない流れを作っているんだなとの反省を持ったこともありました。

あれから70年余。生活環境の変化はいつのまにか大きく小説への思い入れも変えたようです。TVのドラマを見ても「かつての紳士意識のうすれた文豪にされてしまったな」くらいの視聴後の感想として残る程度になりました。

生活環境の変遷が物事に対する価値観を変えるのは当然の成り行きと思いながらも、私の場合単なる生活環境の中に宗教の有無が関わっている事を強く感じています。13歳の時に不当な妹の死によって、神と出会って以降の生活が、時には濃く、時には淡く私の感覚を揺さぶるのです。このような日々を通して私は、後期高齢者の身となってしまいました。いつ襲われるかわからない体調不良の日を神様の御心のままに任せて、時々訪れる神の御恵みに幸福感を味わいつつ、今日も次に読むべき小説を探し続けております。

(K.N.)