青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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認知症の父の心に寄り添いたい

認知症の人は新しいことを記憶できなくなります。認知症が重くなるにつれ、それまでできていた操作もできなくなります。ストーブのつけ方消し方、湯沸かし器の操作、やがてテレビや天井灯のリモコンの使い方もわからなくなります。食べたこと、様々なできごとがあったことを忘れてしまいます。

でも、忘れるからといって、どんな対応をしてもよいのではありません。なぜなら、感情は忘れずに残るからです。それも、認知症になる前より、ずっと鮮明に・・・。たぶん、自分でも不安でいっぱいなので、自分に対する否定的な言葉にずっと敏感に反応して、心が深く傷つき刻まれるのでしょう。傷つけられた言葉や出来事自体は忘れてしまっても、傷ついた感情は残り、現に本人の目の前にあって長く尾を引きます。そんなことを認知症の父から、また家族会のお話から学びました。そんな認知症の父の心に寄り添っていきたいと思っていました。できなくなることは増えるけど、なるべく日々を楽しんでもらいたいと・・・。

感情は残るなら楽しい気持ちも長引くのではと思い、父は野山の花や紅葉の写真を撮るのが好きだったので、春には浅虫の湯の島や梵珠山麓へ、秋には八甲田山周辺へ、父と出かけました。ただ、花や紅葉を見ている最中はとても喜ぶのですが、帰りの車中では楽しんだことをもう忘れてしまい、疲れて不機嫌になるのです。どうも期待したほど楽しんだ感情は残らないのかなと思いました。でも、父が撮った写真を大きな紙に貼って、どこでいつ撮ったのかも大きな字で書いて、父の部屋の壁に貼ったところ、父がとても喜ぶようになりました。目の前で見えると、その都度、楽しいことを追体験できるのかもしれません。

とはいえ、私もいつも初心を守り続けられたわけではありません。ずっと一緒に居て同じことを繰り返されると、イラついた対応をしてしまう時もありました。

そのたびに”父の心に寄り添いたい”と心に言い聞かせる・・・そんなことの繰り返しでした。

(ペンネーム:すぬこ)こと(S.K.)

バリデーションのテクニック2「事実に基づいた言葉を使う」

認知症の人は、自分自身の感情を理解しようとしません。たいてい自分がなぜそんなことをしているのかについて、あまり関心がありません。自分の気持ちに直面すると内に引きこもってしまいます。効果的にコミュニケーションをとるために、介護者は認知症の方に対して、自分自身の感情を無理やり直視させるような質問は、避けなくてはなりません。事実を聞く質問に集中するべきです。つまり、「誰が」、「何を」、「どこで」、「いつ」、そして「どうやって」というような質問です。そして、「なぜそんなことが起こったの?」、「なぜそんなことをしたの?」などの質問は避けるべきです。「事実に基づいた言葉を使う」ことで、落ち着いてコミュニケーションが図れるようになります。
 以上、今回は「事実に基づいた言葉を使う」テクニックについてお伝えしました。
 最後に、季節の変わり目です。体調に気を付けて、ご自愛ください。(Y. K.)

教会で歌われる讃美歌には、皆様もよくご存じの曲があります

教会で歌われる讃美歌には、皆様もよくご存じの曲があります。

それは外国の民謡であったり、オペラの曲であったり。

今日はそのような曲を何曲か紹介したいと思います。

さて、最初の曲は「春の日の花と輝く」です。これはアイルランドの歌曲「僕は君を変わらず愛し続けるだろう」というもので、アイルランドの国民的詩人トマス・ムーアによる熱烈な愛の歌を、堀内敬三が日本の四季の美しさと、恋する思いを重ね訳しました。

トマス・ムーアは「庭の千草」なども手掛けています。

この讃美歌は「世界で最も知られ、最も広く用いられているこどもの讃美歌」“主われを愛す”です。

「こどもたちを愛するイエス様のお姿と、天国はこどもたちのものである」ことを歌っています。

次はイングランド民謡の「埴生の宿」です。原題はHome!Sweet Home!「楽しき我が家」です。

イタリア民謡から着想を得たイギリスのヘンリー・ビショップの作曲、アメリカのジョン・ハワード・ペインの作詞です。日本語の歌詞は「庭の千草」や「アニーローリー」などを手掛けた里見ただしです。

この曲は1889年12月東京音楽学校が出版した「中等唱歌集」に収蔵されました。

太平洋戦争勃発に伴い、洋楽レコードが「敵性レコード」として廃棄が呼びかけられる中でも、歌詞を邦訳した「埴生の宿」や「庭の千草」などは国民生活になじんでいるということで「敵性レコード」から外されたということです。

2006年には日本の歌百選のひとつに選ばれています。

映画、ドラマでも使われていますが、例として「木下恵介版の二十四の瞳」「ビルマの竪琴」「火垂るの墓」「ゲゲゲの女房」など。また駅の到着放送などに放送されたりもしています。

その中でも印象深いのは「ビルマの竪琴」で日本兵が「埴生の宿」を歌い、それを聞いたイギリス兵の心が動き、イギリス兵は同じメロディーの「Home!Sweet Home!」を歌い、戦いが止まったという有名なシーンが思い出されます。

肝心な「埴生の宿」とはいったいどんな意味なのでしょう?

ご存知の方もおありでしょうが、床も畳もなく、土むき出しのままの家のことだそうです。

そんな家だけれども、育った家というものは、玉の装いを凝らし、瑠璃の床を持った殿堂よりずっと楽しく、また頼もしい、という歌です。

讃美歌2編147番です。この讃美歌は「きよしこの夜」を訳した日本の牧師であり、代表的な讃美歌作家である由木康が訳しました。ホームとはこの世の家だけでなく、魂のふるさと、天国をも現しています。

最後に紹介しますのは讃美歌285「主よ御手もて」です。

原曲はウェーバー作曲のオペラ「魔弾の射手」序曲です。わたしも「魔弾の射手」という名前は知っていても、観たことがないものですから、非常に興味があります。今回のことでちょっとインターネット調べたら、なんでも「怪談」をもとにしているとのことです。ますます興味がわいてきました。

さて、この讃美歌の作詞をしたのはスコットランドの牧師ボナーです。

「主よ、わたしの選ぶ道ではなく」という書き出しに始まります。

 およそ悩みというのは、願望が増長される時に起こります。主の道ではなく、自分の道を突き進もうとしていると、必ずガツンと打ち砕かれるのです。そして、この讃美歌を歌いながら、再び「主よ、私の選ぶ道ではなく、あなたの道を行かせてください」という気持ちにさせられると、不思議と「神様がしてくださる」という希望が湧いて来て、再び元気が出てくるのです。

ちなみに、日本の童謡で、「秋の夜半」という曲がこのメロディーです。1910年中学唱歌として発表されました。ご存知の方いらっしゃるでしょうか?歌詞は

秋の夜半の み空澄みて

月の光   清く白く

雁の群れの 近く来るよ

一つ二つ  五つ七つ

まだまだあると思います。時にはこんなふうに讃美歌のルーツを調べてみるのも楽しいものです。(R. H.)