青森松原教会ホームページ

青森松原教会は134年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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2023年8月20日 説教録音

説教題「誰も雇ってくれない」 説教者 北 紀吉(キヨシ)牧師
(松沢教会牧師、あしの会 顧問)
聖書 マタイによる福音書20章1-16節
讃美歌21 453番

2023年8月6日 説教録音

説教題「平和の道をわきまえる、とは?」 説教者 満仲 弘 教師
(弘前学院聖愛中学高等学校 宗教主任)
聖書 ハバクク書1章5-11節 ルカによる福音書19章41-44節
讃美歌21 393番

祈りの恵み

『祈り』
あらゆる恵みに富んでおられる主イエス・キリストよ。
弱いわたしたちをあなたのもとに引き寄せてください。
あなたがわたしたちを引き寄せてくださらなければ
わたしたちは従うことができないのです。
わたしたちに強い霊をお与えください。
あなたなしには
わたしたちは何もできないのです。
わたしたちに従順な霊を
正しい信仰において動かされない心を
そして、たしかな望みをお与えください。
                        (ヤン・フス  1370頃-1415)

3月まで松原教会で牧会してくださいました半澤洋一牧師が、週報にこの祈りを載せてくださいました。切り抜いて手帳に挟み、1日の終わりに読んで祈っています。時に「わたしたち」を「わたし」に、また「わたしたち家族」「わたしたち教会」などに置き換えています。

自分の弱さを痛感する時
勇気がなくて踏み出せない時
頑なになっている時
世のことに心を占められている時
この祈りによってイエス様のもとに連れ戻してもらっている気がします。
そして今日1日の恵みを感謝し、安心して眠りにつきます。

毎日繰り返しても、どんな時にも私の心にぴったり添う祈りです。
この祈りを与えられたことに感謝します。                (A.Y)

お薦めしたい一冊の本

小林都代子著「わたしの使徒行伝」
この本は教会の2階の図書棚にあり、出会いました。丁度、ペンテコステの期間だったので興味をそそられ読んだ所、初めから終わりまで、ずっと心が引き付けられ、短期間に読破した本です。

この本の推薦者のことばの中で、本書は「わたしの使徒行伝」という「あかし」の書である。著者は自ら「キリストの証人」(使徒1・8)として「小説よりも奇」である「波乱万丈」「嵐と緊張」の生活の赤裸々なあかしをまとめられた。
本書の読者は、著者が韓国や台湾に「あかし」の旅をし、また東京の繁華街でラウド・スピーカーで伝道し、寒風の吹きすさぶ街頭に立ってトラクトを配付する奉仕の姿に感動されるだろう。そして、各自の信仰と愛と希望が、それによってより強度なものとされるだろう。と、記しています。

まさにその通りで、どんな悩みの中にあっても、常に切に主に祈り、願い、数々の苦難を乗り越えて前に進んで行く、その信仰の強さに感動を覚えました。また、自分の信仰の弱さ・生温かさを痛感させられました。
“これでよいのか?”と。
主イエスに生かされ、主イエスの証し人として用いられた、著者の信仰の歩みを、またその感動を、皆様にも実感してほしいと思い、この本をお薦めします。(R.E.)

あなたは、私の苦しみのときに

あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えて下さいました」
 新改訳 詩編4の1

約半年前の冬場の証になりますが、私の不注意で水道管が凍結し、そのため給湯の菅が破裂し大変なことになってしまいました。結局、床を一部剥がし、大掛かりな工事が続きました。すべて直り、あずましくお風呂とかに入るのに何日もかかりました。すべて解決するまでの間、私は試練と共に神様からなぐさめを受けました。大変な時だったのに心にゆとりがあたえられ、神様が何とかして下さると信じていました。多くの兄弟姉妹の祈りやはげましも力になりました。ありがとうございました。                  N.T.

2023年6月11日 説教録音

説教題「しかし、お言葉ですから」 説教者 石垣 雅子 教師
(弘前学院大学宗教主任) 聖書 ルカによる福音書5章1-11節
讃美歌21 343番 

父の信仰

父は二年前の九月、外傷性の脳出血により、左半身が麻痺し、自宅での生活が困難なため、今は施設で暮らしています。父なりに、この現状を受け入れているようで、穏やかに暮らしています。

長年、長老(役員)として教会の様々な務めを担い、それが父の生きがいでした。教会生活が父の人生でした。手術後一ヶ月たった頃、母と一緒に見舞いに行った際には、「教会に行くことを止めないで、いつも、教会にいくようにな」と、諭すように言いました。まだ意識がぼんやりとしたところがあった頃だったので、そんなしっかりとしたことを言う父に、母と私は、少しびっくりしましたが、「教会には休まないで行くから心配しないで」と母が返事をすると、安心していました。父は、自分が倒れて入院したことで、私たちが教会から離れてしまうと、心配したのでしょうか。 

施設に入所してからは、月に二回面会が許され、母と弟とで面会に通いました。私が、「どんなことをして過ごしているの?」と聞くと、「長老会の資料作りで忙しいよ」とか、「説教看板を書かなくちゃいけないよ」などと答えます。「そう、忙しそうだね、たいへんだね」と言うと、満足そうに頷いていました。認知症があるため、今現在のことより前の、これまでの人生が強く記憶されていますが、父にとって教会の務めは大きなものなのだなと、改めて感じました。そのうち、車いすで教会に行き、礼拝に出席できることを願っています。

子どもの頃から、いつも熱心に教会の務めに励んでいる父の姿を見てきました。自分の考えを押しつけるような強引なところに反発を覚えることもありましたが、それでも、父の中に確かな信仰を感じていました。父の背中に導かれて、私は信仰告白に至ったと思っています。(幼児洗礼を受けています)

面会に行くと、感謝の言葉を何度も口にします。「ありがとう」と何度も言います。気難しいところがある父でしたが、今は、穏やかで優しい父に接することができ、嬉しく思います。この大切な時間を与えてくださった神様に感謝しています。          (S・Y)