青森松原教会ホームページ

青森松原教会は132年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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〒030-0813 青森市松原1-16-27

2016年

クリスマス・ツリーについて

多くの家庭では、クリスマスが近づくときれいな灯りのクリスマス・ツリーを飾ります。

統計によると、アメリカの約3分の2の家庭ではクリスマスの楽しさは灯りをつけたクリスマス・ツリーが中心だと言っているという。

クリスマス・ツリーにモミの木が用いられるようになったことの伝説がある。

8世紀の頃、ドイツに派遣された最初の宣教師ボニファティウス(紀元672-754年、もとの英国名:ウィンフリド)が、オーディン(北欧神話の神)の神聖なカシの木に人身犠牲をささげようとしている様子を見て、彼らにこの野蛮な行為をやめ、まことの神に帰依するように説得した。丁度かたわらに生えていた小さなモミの木を指し、これを家に持ち帰って、幼子キリストの御降誕を祝うようにすすめたが、その日は12月25日であったというのである。

他にも諸説あると思うが、いずれにしてもクリスマスは暗闇の中にある人々に希望の光を与えてくださる救い主イエス・キリストの御降誕を心から喜んでお迎えすることが一番である。

新年も神の御守りと御導きに感謝を忘れず、礼拝や祈祷会などで、みな共に祈りを合わせ、信仰によるしっかりとした歩みを続けたいと思うのである。

(R.E.)

小説と私

TVを見ていて特に気の引かれたドラマの「漱石悶々」の宣伝です。私は小説が好きなので、これを見ることにしました。20代の頃の私は「明治大正文学全集」に読みふけった時代がありました。中でも「わが輩は猫である」「坊ちゃん」「草枕」等々。私は漱石の全作品を読みまくったようです。他にも引かれた作家は何人か居ましたが、漱石はダントツでした。自分の書く文章も漱石寄りが自覚されました。家人の一員から「母さんの文章の中身に文句はつけないが、文章のワンセンテンスは短くした方がいいよ。」と注意されて、私の漱石好みが良くない流れを作っているんだなとの反省を持ったこともありました。

あれから70年余。生活環境の変化はいつのまにか大きく小説への思い入れも変えたようです。TVのドラマを見ても「かつての紳士意識のうすれた文豪にされてしまったな」くらいの視聴後の感想として残る程度になりました。

生活環境の変遷が物事に対する価値観を変えるのは当然の成り行きと思いながらも、私の場合単なる生活環境の中に宗教の有無が関わっている事を強く感じています。13歳の時に不当な妹の死によって、神と出会って以降の生活が、時には濃く、時には淡く私の感覚を揺さぶるのです。このような日々を通して私は、後期高齢者の身となってしまいました。いつ襲われるかわからない体調不良の日を神様の御心のままに任せて、時々訪れる神の御恵みに幸福感を味わいつつ、今日も次に読むべき小説を探し続けております。

(K.N.)

クリスマスを待ち望む

イエスさまのご降誕を待つ季節を過ごしています。

慌ただしく過ごす中、クリスマスの諸行事が早く終わるといいなと思ってしまいます。

求められていることが出来ない自分を情けなく思い、教会に行くことが苦しくなることがあります。

 

イエスさまのご降誕の物語、母となるマリアは、天のみ使いの言葉に答えます。

「お言葉どおり、この身に成りますように」

主のお言葉の通りにこの身を用いてくださいという従順さ、献身の思いだけを告白しています。自分の思いや願いではなく、主のみ言葉を待ち、主のみ心が行われることだけを祈っています。

 

マリアの献身の思いに触れて、重かった私の心は少し軽くなり、私もそういう献身の思いで教会生活を送っていきたいと思いました。

クリスマスまでの日々を祈りながら待ち、お祝いしたいと思います。

(S)

「クリスマスツリー点火式」に寄せて

11月27日(日)午後5時からの「クリスマスツリー点火式」へ、息子に送ってもらい、孫2人とともに参加しました。讃美歌を共に歌い、牧師のお話しに耳を傾け、「クリスマスツリー点火」となり、イルミネーションの美しさに心洗われる思いをし、いよいよクリスマスを待ち望む気持ちが高まりました。

参加者も多く(60名以上)、点火式後、礼拝堂において多くの方々と談笑し楽しかったです。子どもたちも初顔合わせながら楽しそうに遊んでいました。

12月に入ると教会では

・10日(土)13:00~子どもの教会クリスマス祝会

・同日16:00~ゴスペルの夕べクリスマス(子どもの教会クリスマス共に、ゴスペルフォークシンガーの神山みさ氏による特別コンサートあり)

・24日(土)18:30~イヴ聖夜礼拝(工藤正志氏によりギター演奏、ハレルヤコーラスあり)

・27日(火)11:00~子どもの教会もちつき

などが予定されています。どうぞご近所、お知り合いの方などお誘い合わせの上、ご来会ください。

この日の全ての恵みを心から神様に感謝しつつ。

(R.E.)

弱小な私は教会の伝道士です

身も心も小さく弱い私を生み出して90年以上も育てられた日本海と西津軽郡の土地から離れて青森市民となってから5年の歳月が経ちました。

ここが私の故郷なのだと思いこんだ西津軽郡の鰺ヶ沢町や木造町、その他の生活した土地とは全然違う、大都会にしか見えない青森市という街の中で全くの田舎者として身を処すしか生きる術はありません。

おまけに私はキリスト教会の神様から絶対離れる事はできないのです。全然未知の土地の中から青森松原教会という素晴らしい教会が与えられたのは最大の幸運でした。

しかし前の木造教会で最年長者として扱われた私は、この立派な教会で役に立てそうなことはなかなか見つけることができないのです。

いろいろ考えて自分の一番すべきことは転びそうになることを治すことだと思いついて、デイケアに週2回通うことを決めました。すぐに歩くのがしっかりすることはありませんが気長にがんばっています。

そのような中、青森松原教会の中で伝道部に入ることになりました。私はデイケアの中で「こころの友」をあげる人を選ぶことと、継続して読んでもらおうと思いました。「こころの友」とはキリスト教の新聞の広報紙のようなものです。

普段よく話をするようになった人たちに、「こころの友」を渡した瞬間に真剣に読んでくださっている姿を見て「しめた!」と胸が躍りました。「人間は他人に話せない悩みを抱えている」との想いでした。

秋になり、当教会のフェスタ(バザー)のチラシをあげたら、Fさんは娘さんとお孫さんを連れて来てくださいました。その他、用事で来られなかった方もいらっしゃいましたがチラシをあげた人たちが無視なさらず、反応を見せてくださったことがうれしく、神様に感謝しました。

神様は弱小の私の祈りにもいつも何らかの形で応えてくださいます。私は神様を信じることに大いなる祝福をいただいています。

(K.N.)

「冥福」の「冥」は

青森松原教会では、毎週水曜日の午前10時30分から1時間ほど、祈祷会をしています。時に変更されることもあるので、くわしくはホームページで確認していただきたいと思います。

7月に起きた、障害者施設が襲撃され19名が亡くなられてしまった事件の後の祈祷会で、自分が祈る時、そのことに触れ、最後に「御冥福をお祈りしたいと思います」と言いました。

すると、その祈祷会の帰りに玄関先で牧師に小さい声で呼び止められました。何だろうと思い話を聞くと、「細かなことかもしれませんが、『冥福』の『冥』は『冥土』の『冥』で、『冥土における幸福を祈る』という意味の仏教の用語です。一般的にキリスト教のお祈りでは使いません。代わりの言葉としては『主の慰めと平安を祈ります』などが一般的です。」と教えていただきました。「日本語って難しいですね」と答えました。

祈祷会ではリタニー(連祷、交祷)があります。出席者全員が自分の言葉で祈りをささげます。人前でお祈りを口にするので恥ずかしいですが、慣れれば何でもありません。むしろ注意深く聞いてもらえ、助言してもらえるので、勉強になります。

今祈祷会では創世記を学んでいます。その前は詩編でした。私は詩編をきちんと学んでみたかったので、最初に祈祷会へ行きました。2013年頃のことです。

これからも先達のみなさんと聖霊の導きにより御言葉に触れていきたいと思います。

(M)

召天者記念礼拝(諸聖徒の日)

11月6日(日)は、先に天へと召された兄弟姉妹を覚えて、礼拝をささげました。礼拝堂には召天された兄弟姉妹のお写真がたくさん並べられていました。子どもの頃から教会に通っていた私には、記憶にある方がたくさんいらっしゃいます。

ひたむきに神さまに祈る姿、祈る言葉に胸を熱くし、心満たされたこと、様々な教会の奉仕をてきぱきと笑顔で楽しそうにこなしていた姿に、こんなふうになりたいなと思ったこと、教会学校にたずさわり、教会に集う子どもたちに愛情を注ぐ姿、わたしも含め大勢の子どもが集って、満たされた時間を過ごしたこと、他にもたくさんのことが、写真を見ると思い出されます。豊かな時間を教会で過ごしてきた、子どもの頃が思い出されます。

自然に「お手本」として諸先輩方の信仰の姿を見て過ごしてきたと気づかされます。喜びが溢れる兄弟姉妹のお姿に、「教会には大切なものがある」と子どもの私は感じていたと気づかされます。

教会生活を継続していくことは、簡単ではありません。心ざわつくこともあります。そんな私を、いつも教会に招いてくださる神さまに感謝致します。

(S)

ほんのひと匙(さじ)の楽しみ

9月の中頃から次男の弁当作りをしていますが、水分補給にと、市販のお茶を持たせていました。次第に気温が低くなり、温かいものがほしい季節になったので、温かい煎茶、麦茶、こんぶ茶などを代わるがわる作って持たせていたところ、姉から「煎茶に抹茶を少し入れても美味しいわよ」と聞いたので、いろいろと入れ方を工夫してみました。

抹茶を入れると、とてもきれいな緑色になり、また香りもよく、嬉しい気分になりました。

また、抹茶を手にしたことから、茶道(表千家)を習っていた20代の頃のことを思い出したのです。短大を卒業し、就職し、多忙な日々を送っていた時で、何か気持ちが落ち着くようなことをしたいと思っていた時でした。、5年位も続いたでしょうか。もうすっかり忘れてしまっていたことが次から次へと頭に浮かんできました。

抹茶特有の香り、何とも言いようのない深い味わいを醸し出す香りが大好きで、気に入っています。

煎茶にほんのひと匙、抹茶を入れたことから昔の思い出が甦ってきたのです。

私は、この抹茶との再会を機に、これからも弁当作りを続けながら、細やかな楽しみにしたいと思っています。

(R.E.)

自分を励まして

やっと探し当てた、ユーモア作家S女史の本を読んで、次の記事にぶつかってハッとしました。

「若い頃のおしゃれは、美しく見せるのが目的。中年以降のそれは、心にハリを持たせて自分を励ますことに意味があるのです。」

この文章は、私にデイケアで出会うあの人、この人と、何人かの人のことを思い浮かばせました。デイケアに通う人々は大まかに言って年齢が近いです。私の目から見て「この人こんなことに気を使って、ご苦労さん。」と思わせられることが多々あります。

着る物については後回しにして入浴のあと、ヘアクリームで髪を整える人。コンパクトに向かって顔をパフで叩いている人が目に入ると「私には全く思いもかけないことに精を出す人も居るものだなぁ」と感心してしまいます。

私ときたら、白髪頭にブラシをかけただけのひっつめ型。抜けた歯の数が増えて歯医者にかかったら少しの説明の揚げ句に総入れ歯になってしまいました。

一番困っているのはヨロヨロ歩きを直したくて杖をつくのに、その杖に頼りたくて力の入れすぎの為に疲れ易いこと等々です。どんなに感銘的な記事にめぐり合っても全くどうにもならない体の衰えようです。

色々考えていたら、私は子供の時分の着物のおしゃれについて思い出しました。何故なのか私は赤い物が嫌いだったのです。好きな色は明るい青でした。模様には関係ありませんでした。母には2、3年毎の着物の取り換え時、どんなにか厄介をかけたことでしょう。

90代の道を生きる私には、白髪を染めたりパーマをかけたりすることは、自分の身をいじめるように思えてやる気はありませんでしたが、S女史の言葉には心を打たれました。20代の頃に周りの誰よりもパーマをかけることが遅かった私を「大和魂の権化」とからかった人が居たことを思い出しましたが、私は平穏な心境を保つことが出来ます。「人は人、自分は自分」です。

「水は方円の器に従う」

私はこの心境を持続する自信と感謝を神様から与えられていることを自任しているからです。

(K.N.)

創立125周年でした

青森松原教会では2016年10月1日(土)に創立125周年を迎え、10月2日(日)に記念礼拝を行いました。吉祥寺教会の吉岡康子牧師の説教を聞きました。

現在の大澤牧師をはじめとして青森戸山教会の金牧師、前戸山教会の衛藤牧師など数々の牧師さんを青森県に派遣するようにしてくれた牧師さんということで、どのような方なのか楽しみにしていました。語り口は迫力がありましたが、エレガントで女性らしい方でした。

10月23日(日)にはキスト岡崎さゆ里宣教師ご夫妻、10月30日(日)には弘前学院大学の楊尚眞(ヤン・サンジン)牧師とハンドベルクワイアの皆さん、と特別伝道集会が続きます。

どうぞ青森松原教会へ足をお運びください。

 (M)