今年、2017年は宗教改革の年から500周年を迎えて、記念の催しが行われています。
宗教改革は1517年10月31日、ドイツの修道士マルティン・ルター(1483~1546)がローマ教会・ローマ教皇(法王)の贖宥状(しょくゆうじょう)販売を批判して、「95箇条の論題」を提示したことから始まったと言われています。
当時、ローマ教会が発行した贖宥状という一種の「お札」を買うことによって、罪に対して課せられる償い(罰)が免除されると考えられていました。 ルターは、人は行いによってではなく「信仰によってのみ義とされる」のであって、贖宥状を買うことによってではない、と主張しました。(「正しい者は信仰によって生きる」ローマの信徒への手紙1章17節)
ルターは、95箇条の論題において「心から悔い改めているならば、キリスト者は完全に罪と罰から救われており、それは贖宥状なしに与えられる」と述べています。主イエス・キリストが「悔い改めよ」(マタイによる福音書4章17節)と言われたのは、キリスト者の全生涯が悔い改めであるべきことを望まれたのである、と理解し、心からの悔い改めの必要を訴えたのです。
私が宗教改革について初めて学んだのは、高校の世界史の授業でした。60数年前の事です。私の高校生時代は、求道生活から受洗へと導かれた時期でした。その後、大学に入学してルターの主著『キリスト者の自由』(日本語訳、岩波文庫)を読みました。信仰生活を送っていた教会の機関誌に、『キリスト者の自由』の紹介を載せて頂いたことを思い出します。
宗教改革500周年の節目の年に、宗教改革の意味を考える時が与えられていることを感謝します。
(M.N.)