青森松原教会ホームページ

青森松原教会は132年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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2016年

ペントハウスでのゴスペルライブ

去る6月14日(火)、私達MRC(松原ルートクワイア、青森松原教会のゴスペルチーム)はペントハウスというレストランでゴスペルライブをしました。まず教会でリハーサルをした後、会場へ。お客さまが段々と集まってきて、本番が始まりました。が、私は初めての外でのライブでドキドキしました。

1曲目は「You Are Good」という曲。Kさんがノリノリでソロパートを歌い、全員が調子を合わせました。みんな顔と顔を見合い、呼吸を合わせます。メンバーは必死ながらニコニコしています。Rさんもアドリブを入れ、曲はとても盛り上がりました!

次は、しっとりとした曲「WERE  YOU  THERE」~手拍子で盛り上がった「Clap your hands!」と続きます。4曲目は私達コーラス隊の音取りが心配だった「OH HPPY DAY」でしたが、大澤先生のキーボードと歌声に合わせて、上手く歌うことができました。

最後は「小さな祈り」という曲で、私は歌詞を考え、イメージして歌いました。

『祈りを求めた時、目の前の雲が、とけてゆきただの澄み切った空・・・・』

ドラムは静かに優しく響きわたり、歌い手は一つになり空間を包みます。

はぁ~終わった~っと思ったら、アンコールがお客さんからあり、「きみは愛されるために生まれた」を歌いました。バンドに華を添えてくれたエレキギターのHさんは、初見で困っていたようですが、(私達は心を込めて演奏し)、ライブは幕を閉じました。

私は、ずっと何年か前、この「きみは愛されるために生まれた」という曲を聴いて「偽善的で単純な歌だな」と思い、あまり好きになれなかったことが正直ありました。しかし、今は違います。歌詞の意味が少しずつ分かったからです。(あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。)この戒めは、隣人を愛するようにイエス様が教えているのですが、同時に自分自身を愛しなさいという意味があること。裏切ったユダもまたイエス様に愛されていたという事実。私は神様から愛されているということが徐々にわかり、この曲が大好きになりました。

今、私達MRCは次の発表に向け、新曲を練習しています。特に「You are special」という曲は本当に素敵な曲ですので、楽しみにしていてください。

また、メンバーを募集しています。ベース(ウッドベースは教会にあります、)やボーカルをやりたい方、管楽器などなんでも募集中です。一緒に賛美して行きましょう!

主に在りて

Y.T.

私が望む教会の姿

私は教会に通い始めてもうすぐ2年になる求道者です。日曜日には、できるだけ用事を入れず礼拝を守るようにしています。それでもどうしても出かけなければならない時は、行き先の教会をインターネット上で捜し、礼拝を守るようにしています。

あるとき、教会の雰囲気について、このように書かれた教会を見つけました。

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・横(会員同士)の交わりは、多くはありません。神さまと向き合い、静かに信仰生活を歩みたい人に向いていると思います。

・昔からの気風で、ごり押しするような感じのものはなく、自由な風がわたっている感じです。

・伝統を遡れば長老教会です。伝統を大切にしつつも、そのことに縛られない懐の深さ、広がりを大切にしています。

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ものすごく共感しました。

私にとって、松原教会の方々は大切な存在です。礼拝後のお茶の会、昼食会に欠かさず参加しているのも教会の方々とできるだけお話したい、繋がりたいという気持ちからです。では、大澤牧師が他の教会に移られたらどうなるでしょう?教会員の方々との関係が悪くなったらどうなるでしょう?恐らく、私の気持ちは揺らぎ、教会を離れることになるかも知れません。

都会の大きな教会に行くと、礼拝後、誰ともお話をすることもなく教会を後にすることがあるそうです。それは寂しく思います。でも、横の関係を大事にし過ぎると、それを優先し過ぎると、本来の神さまとの繋がりを見失ってしまうかもしれない。そういうことを考えました。

「自由な風がわたっている感じ」「伝統を大切にしつつも、そのことに縛られない懐の深さ、広がりを大切にする」教会。まさに理想的な教会のように思います。

yn

旧木造町にいた頃書いた自分史より

久しぶりに「自分史」を読み、60余の項目の中から「戦争体験」中の「敗戦国民として生きて」を教会の皆様に語ることに致しました。

熾烈な生活でしたが、親類縁者から一人も戦死者が出なかったことが、その気にさせたようです。然し、教職に在った身としての私は次第に戦争の影響が深められて行きました。生まれた時から軍国思想を叩きこまれた頭を切り替えることは容易な問題ではありませんでした。

①近所の医者から「今晩家に珍しい話をする人が来る」と誘われて行ってみたら代議士の津川氏でした。戦争の是非を語った筈ですが私はその事よりも「東大を出た人ってこんな素晴らしい話が出来るんだ」というカルチャーショックに打ちのめされてしまいました。中味は忘れましたが……

②教育の内容として「自己主張の出来る子にせよ」という方針を強張されたのは、私にとっては無理難題の事でした。

③「教職員組合を組織して教員として生活を確立せよ」というのは、主に男性教員が先頭に立ち女性は目立たない所で応援する形だったので印象に残る程の問題はありません。但し5年位経て「米国で赤狩りが始まった」とのニュースを聞くようになったら日本でも教壇から追放される人が出るようになりました。

④頭の切り替え事業の一つとして進歩的な方の講演を聞く機会が増えたのは嬉しいことでした。それと並行して夏休み、冬休みを利用して東北六県統合の大きな集会が持たれ自費、自弁の教員が集まり、子の無かった私共も毎度の如く参加したものでした。同時に我が家の図書室に何種類かの本が並ぶようになりました。

今になってみると、教職の身であった故で、戦争について少しは頭が洗脳されたような気にもなり、有難いことだと思います。憲法九条が守り抜かれる事を神に祈り続ける日々を送っています。

(K.N.)

聖書黙想会

毎月第4土曜日の午前9時から10時まで聖書黙想会という会があります。

(教会の行事等で第4週から動くこともありますので、おいでになりたいとお考えの方は、教会のホームページ等で確認なさって下さい)

4月23日(土)の時、黙想会の日であるのはわかっていましたが、十和田市に行って北里大学獣医学部創立50周年記念の大村智博士の講演を聞きに行っていました。桜がちょうど満開で美しく、天気も良かったのですが、黙想会のことが気にかかっていました。

前回のブログの時に4月10日に行ったソプラニスタ岡本知高氏のコンサートのことを書きました。そのころには大部、聖書黙想会より大村智博士の話を聞きに行くかな?と思っていました。そのコンサートのピアニストの方が、他の方より1日早く青森入りしたのです。娘さんが北里大学獣医学部に入学して2年生となり、4月から十和田で生活することになったので、そのアパートに一晩泊ったそうです。一緒にダンボールの箱を開け荷物整理をなさったそうです。その話を岡本氏がされた時、自分が行くかどうか迷っていた十和田市の北里大学の名前が出て来たので「天の啓示」みたいに受けとめました。それで4月の聖書黙想会は休みました。

翌日の日曜日の礼拝の中で、牧師と4月の担当長老の方と、たった二人しか出席者がいなかったことを知りました。95歳の私の母も教会に行っているので、私が休むということは人数が二人分減るということになります。

5月の第4土曜日の28日はちゃんと出席しました。ちょうど前に説教などで学んだ聖書の箇所が出てきました。やはり聖書に触れ、何かにつけて読んだり、先達のお話を聞くことは大切なのだなあと実感しました。

(M)

ゴスペルは楽しいな。

ゴスペルは楽しいな (^^♪

説教、お祈りをもう少し短くした方が良いかな?

 

その後のお茶で、交わりが出来るのではないでしょうか。

歌も、変えてみたらいかがでしょうか

 

いろんな人とお話しが出来、外で逢って、又そこで交わりが出来る事がとてもうれしいです。

 

皆様どうぞ教会においでください。 †┏┛教会┗┓†

 

K.H.

オルガンとの出会い

私は今64歳です。若いつもりでいましたが改めて高齢者になっていたのだと今、実感しているところです。

私が小学2年生の時、父親が買ってくれた小さなオルガンが部屋の片隅に置いてありました。母の友達が遊びにいらして「ちょうどオルガンがあるのだから私が教えましょう。」と言ってくれたのが、私が音楽を始めるきっかけです。小さい時、足踏みオルガンに慣れるのが大変だったのを覚えています。バイエルも後半になると鍵盤が足りなくなってピアノに代わりました。

あの頃、ピアノを習っている子供はクラスに2人位でした。私は地元青森から離れることもなくピアノの先生になりたいと思って地元のカトリック系の中学、高校、短大と進みました。卒業後、ヤマハ音楽教室に就職し、ピアノとエレクトーンを教えることになりました。本当に充実していました。結婚してからもピアノだけは教え続け、少人数ですが今も続けています。

教会は祖父、母親が行っていました。今、教会は10月に創立125周年を迎えます。青森の長島の地から松原の地に移って30年です。

私は30年前、長男が赤ん坊の時に教会の中を見たいと思い、おぶったまま玄関のベルを押しました。中から若い牧師が出てこられて、快く真新しい礼拝堂を案内して下さいました。外国製の立派なリードオルガンがありました。すぐ牧師先生がオルガンを弾いてくださいました。その音色に聞き入っていました。毎年クリスマスに、小学生になった長女と長男を連れて行ったことを思い出します。

私は今年の4月からオルガン奏楽の奉仕をすることになりました。毎日、毎日、緊張、緊張でどうしたらいいのかわからなくて、大澤牧師に「お祈りしてください。」とお願いしました。落ち着いてきました。ありがとうございました。

オルガンの重厚な響きと讃美歌が好きです。毎回、緊張ですが、今、弾いている時が幸せでうれしいです。

T.K.

教会に集う子どもたち

29日(日)子どもの教会の分級の時間に(礼拝後に聖書のお話を学んだり、レクリエーションをする)、子どもが二人来てくれました。二人が教会に来てくれたのは数ヵ月ぶりです。二人は兄弟です。会うたびに成長していく姿を見て、嬉しくもあり、頼もしくもあります。よく来てくれたね!と、教師スタッフみんなで大歓迎です。送り出してくださったご家族と、神さまに感謝です。子どもたちの健やかな成長を心から祈ります。

現在、子どもの教会は子どもの出席が激減状態です。でも時々出席してくれる子どもたちがいます。いつも子どもたちを迎える心備えを忘れないようにと、改めて思いました。子どもたちを迎える心備えをする、この当たり前のことがおろそかにならないようにと、神さまのお支えを祈る日曜日でした。

(S)

種を蒔く人

冬が過ぎて、春が来ました。青森の春は、とても急がしいなと実感するこの頃です。寒かったり、暖かかったりそのたびにストーブを出してみたり。(冬物を片付けたばかりなのに。)

桜の花も散り、チューリップの花が咲いて、今スズランが満開の見頃となりました。岡山から送られて来た種をあるわずかな空間へ蒔いてから数年経った現在、見事なスズランの群落となりました。

わずかな空間と、時に雪や雨に打たれ、夏はカンカン照り返すアスファルトのすき間です。そのたくましさに脱帽……。

(y.k)

うれしいプレゼント

5月8日「母の日」の1週間位前のことです。一緒に住んでいる5才の孫が「ばぁばにプレゼントあげるからね。」と言って、ティッシュペーパーの箱を持っていき、何やら作業を始めました。しばらくして「ばぁば ハイ、プレゼント♪」と手渡された物はティッシュの箱でした。

上の方にばぁばの似顔絵 を書き、その周りに小さくてカワイイ赤いハートを散らして書き、すぐ下に「ありがとう」とありました。

又、下の方には「おばあさん、ありがとう」と折り紙に書き、各々に切って貼ってありました。

丁度2ヶ月前の3月8日に、孫たちの母親が急に病気で亡くなり、その母に代わって、不十分ながら面倒を見ている私にとって、このプレゼントは何にも増して嬉しい物でした。

まだまだ母を必要とする幼少期の孫たちのこれからの健やかな成長を、天の父なる神さまが守り導いてくださることを心から祈り願います。

家族全員でもサポートして行こうと話し合いました。

(E)

長崎の大浦天主堂で

私は旅行が大好きなのですが、観光というものにはあまり興味がありません。有名な場所、物を見るよりは、歩いてその土地の空気を感じたい。地元の方々とお話をしたい。いつもそう思います。

そんな私ですので、数年前に長崎に行き、大浦天主堂の中に入ったときも、特に何かを考えるということはありませんでした。「そういう教会なのか。なるほどなあ。」程度の反応でした。

数日前に、また長崎に行く機会がありました。今の私は数年前とは違い、求道者として教会に通っています。今度は自分がどう感じるのか興味があり、また行ってみることにしました。教会そのものよりも、自分自身の反応を知りたかったのです。

教会の雰囲気は全く変わっていませんでした。でも、パンフレットを読みながら中を歩いていくと、当時の長崎のクリスチャンの思い、神父さまの思いが伝わってくるように感じました。毎週礼拝を守っている今の私に置き換えて考えてもみました。自分が信じるものを隠して生きていかなければならないという生活は、どのようなものだったでしょう。想像するだけで苦しくなります。場所や物は、その背景、歴史を理解することによって、より大きな意味を持つ存在になり得ることがようやく私にも分かりました。

カトリックとプロテスタントの教会は、建造物としての造りが大きく違いますが、その歴史を考えるとき、心に訴えてくるものには違いがないように感じました。そう言えば、私は2000年にロシア正教会総主教アレクシイⅡが函館にいらしたとき、1メートルくらいの距離でお顔を拝見し、随行の方々ととても楽しい会話(のようなもの?)をしました。そのことは、また別の機会にご紹介しましょう。

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