久しぶりに「自分史」を読み、60余の項目の中から「戦争体験」中の「敗戦国民として生きて」を教会の皆様に語ることに致しました。
熾烈な生活でしたが、親類縁者から一人も戦死者が出なかったことが、その気にさせたようです。然し、教職に在った身としての私は次第に戦争の影響が深められて行きました。生まれた時から軍国思想を叩きこまれた頭を切り替えることは容易な問題ではありませんでした。
①近所の医者から「今晩家に珍しい話をする人が来る」と誘われて行ってみたら代議士の津川氏でした。戦争の是非を語った筈ですが私はその事よりも「東大を出た人ってこんな素晴らしい話が出来るんだ」というカルチャーショックに打ちのめされてしまいました。中味は忘れましたが……
②教育の内容として「自己主張の出来る子にせよ」という方針を強張されたのは、私にとっては無理難題の事でした。
③「教職員組合を組織して教員として生活を確立せよ」というのは、主に男性教員が先頭に立ち女性は目立たない所で応援する形だったので印象に残る程の問題はありません。但し5年位経て「米国で赤狩りが始まった」とのニュースを聞くようになったら日本でも教壇から追放される人が出るようになりました。
④頭の切り替え事業の一つとして進歩的な方の講演を聞く機会が増えたのは嬉しいことでした。それと並行して夏休み、冬休みを利用して東北六県統合の大きな集会が持たれ自費、自弁の教員が集まり、子の無かった私共も毎度の如く参加したものでした。同時に我が家の図書室に何種類かの本が並ぶようになりました。
今になってみると、教職の身であった故で、戦争について少しは頭が洗脳されたような気にもなり、有難いことだと思います。憲法九条が守り抜かれる事を神に祈り続ける日々を送っています。
(K.N.)
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