青森松原教会ホームページ

青森松原教会は132年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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2020年

木造教会の佐々木達司さんが天に召されました。

私がそのことを知ったのは2020年7月28日付けの東奥日報の新聞記事を読んだ時でした。八戸市在住の版画家が豆本を出版した記事だったのですが、その中に盟友である文芸印刷の佐々木達司さんは7月7日に亡くなったと書かれていて佐々木さんの顔写真も載っていたからです。私個人はもとより家族もとてもお世話になった方でした。佐々木さんはキリスト教徒なので天の国に行かれた訳ですが、地上に残された身として非常に寂しい気持ちになりました。

死亡広告やお悔み欄を欠かさず見ていたつもりでしたが、佐々木達司さんのお名前はわかりませんでした。もしかしたら一切載せずにお花料などはいいから本を買ってね、といったお気持ちかなぁと勝手に思いました。8月4日には青森松原教会の女性の会の「小さな手仕事と茶話会」があったのですが、そこに参加されたおひとりに木造教会の方からお手紙がありその中に佐々木達司さんが天に召されたことも書かれていたそうです。長い間木造教会を支えて来た方なので喪失感も大きいだろうなと思いました。ご家族皆さまキリスト教徒で、敬虔な方々ばかりでした。

私は本来大学4年生になる年にふと疑問を感じこのまま大学を出ても何になるだろうと思い退学したいと思いました。親にそのことを言うと困った親は佐々木さんに相談しました。そこで佐々木さんは「退学でなく、休学してみたら」と助言を下さり、自分の会社である文芸印刷で1年間働かせて下さいました。結局復学して大学は卒業しました。原付バイクの運転免許を取ったり自由に生活させていただきました。

私にだけでなく同じように迷った人々に手をさしのべていらっしゃいました。篤志家とはこういう人をいうのでありましょうかと思いました。私の母は木造教会に通っていたのですが、その時車に同乗させていただいたりいろいろお世話になりました。

いずれ私も天の国に召され佐々木さんとまた会えると思います。その時まで、寂しいけれど、教えを胸に生きて行きます。本当に良い先達にめぐり会えて幸せでした。ありがとうございました。(M. T.)

父の認知症と神様からの贈り物

父が認知症とわかった最初の年の事です。

それまで、父は自宅で5年ほど母を介護していました。両親は青森在住で私は神奈川在住だったので、私は毎月3日程お休みをもらって介護帰省してその間だけ父に介護の息抜きをしてもらっていました。そんななか、年末に母が横紋筋融解症で県病に入院し、年明けに父の認知症に気づくことになったのです。さらには父の大腸がんまで見つかり、退院後の母が今までのように自宅で暮らすのは難しいと思われたので、長野在住の弟と共に青森市内で10か所ほど施設の見学と入所順番待ちの申し込みをしました。結局、原別の有料老人ホームにお願いすることになり、母の退院から5月連休までの1週間はお試しのショートステイで、5月連休明けから6月上旬までは期間限定ということで母に施設に入ってもらいました。5月下旬に父の大腸がんの手術があり、6月上旬まで療養が必要ということで納得してもらったのです。私も弟も青森にいられる日時が限られたので、父の担う役割が多く、母の予定や父にやってもらいたいことを日程表にして父に渡しましたが、父にひどく怒られました。それまでも、母を入れる施設を捜していると言っては怒られ、日程予定表を渡すとわかりにくいと言って怒られ、自分なりにわかりやすく変えたつもりでも、わからないと怒られ続けでした。しかし、父も手術入院を控えて母の介護をする自信はなかったようで、期間限定ということでようやく母の入所を了解してくれたのです。父の療養開けから私の介護帰省までの1週間、試しに母を自宅に戻し父の介護を受けてもらいましたが、私がいない時は母は施設ですごした方が快適だということを母も父も実感したようで、毎月私が5日ほど介護帰省して母を自宅ですごしてもらうことを条件にその後も母は施設で暮らすことになりました。それからの父は毎日のように母に会いに行き、母の通院も父が付添い車で送り迎えしてくれていました。が、従来と違うことに対応するのはできず、施設からのいろいろな要望には私が帰省時に対応することになりました。そんななか、薬の一包化をお願いするために内科の通院日を私の帰省日に変更してしまった時、また父の怒りが爆発しました。父としては母のために前から予定していた日を私の都合で変えてしまったことにとても怒ったのです。また、ようやく父がMRIを受けてくれ、認知症外来で父が認知症の告知を受けてから1ヶ月後に運転免許の返上か運転先の限定を提案した時も激怒されてしまいました。私の言い方があまりに理詰めで父の感情を逆撫でしたのだと思います。父が認知症とわかった最初の年は、そんなこんなで父に怒られっぱなしで、途方にくれることが多く、大変でした。が、幸いにも父の自宅での1人暮らしはなんとかできていました。ずっと規則正しく暮らしてたのでそのリズムの延長でうまくいっていたようでした。

そうして1年が終わろうとしていた頃、具体的な内容は忘れましたが、父が母のためにしてくれた話を聞いていて、ふっと父への感謝の気持ちがわいて、「ありがとう」と感謝を伝えたのです。すると父はとてもうれしそうにして「どういたしまして」と答えしばらく機嫌よくしていました。よく考えるとずっと父に感謝の言葉をかけていなかったなと思いました。認知症になってできないことが増えましたが、自分の都合で父に期待して不満を感じるのでなく、それでもまだ父ができて自発的にやってくれることを感謝し喜ぼうと思いました。そのように私の気持ちが変化した頃から父も穏やかになり、だんだん父の認知症とのつきあいにもなれてゆくようになったのです。もちろん、年ごとに新たな問題が起きて対応を変えていくことの繰り返しでしたが、父に心からの感謝の気持ちを伝えることは頻繁に続けてきました。

今思えば、あのときふっと湧いた感謝の気持ちは神様からの贈り物だったと思います。(ペンネーム:すぬこ)こと(S.K)

バリデーションのテクニック

今回は、「バリデーションのテクニック」についてお伝えしたいと思います。     バリデーションのテクニックはとても簡単です。しかし見当識障害のある高齢者を共感をもって受け入れる能力が求められます。バリデーションを行う介護者は、見当識障害のある高齢者の行動に対して自分自身の判断や予測を入れることなく、その行動の裏にある高齢者の理屈に、敏感に気づかなければなりません。心を解放して、共感をもって傾聴すればいいのです。
バリデーションのテクニックは混乱している高齢者の心配事を十分に減らすことができます。これは、日々混乱している高齢者のそばで働き、燃え尽きるほど苦しんでいる介護者にとっても、非常に役立つものです。
「バリデーションのテクニック」は、14あります。
1.センタリング(精神の統一、集中)
2.事実に基づいた言葉を使う
3.リフレージング(本人の言うことを繰り返す)
4.極端な表現を使う(最悪、最善の事態を想像させる)
5.反対のことを想像する
6.思い出話をする(レミニシング)
7.真心をこめたアイコンタクトを保つ
8.曖昧な表現を使う
9.はっきりとした低い、優しい声で話す
10.ミラーリング(相手の動きや感情に合わせる)
11. 満たされていない人間的欲求と行動を結びつける

12. 好きな感覚を用いる

13. タッチング(ふれる)

14. 音楽を使う
次回は、「14のテクニック」について、詳しくお伝えしたいと思います。  (Y.K.)

『赤ちゃんを救え』

何事かと思うような表題ですが、何年も本棚に積んだままになっていた本の題名です。

正確には、『移植病棟24時 赤ちゃんを救え!』著者:加藤友朗(ともあき)。

 先日、テレビのチャンネルを切り替えていた時、たまたまバンキシャの放映中。新型コロナウィルスの報道で、ニューヨークで医者をしている日本人がコロナに感染し、3週間意識不明から意識が戻り、今リハビリ中ということで本人との中継でした。本人曰く、最初ちょっと熱が出てるなと思って、体内酸素濃度も測ったり様子を見ていたが、3日後位のシャワーを浴びていた時、突然呼吸困難になり入院。その後意識不明でエクモ使用で生還されたのだそうです。「まだ腕が上に上がらない。外科医なので、これでは困るのだが、8月からは手術に入りたい」と言ってたその様子を観ながら、「この人って、まだ読んでいない本の著者じゃない?」と思って、本棚の本を手にしたら、やはりそうでした。加藤友朗!!柔らかな雰囲気を持つ方です。

 現在は、ニューヨークのコロンビア大学医学部の教授をされていますが、本が出版された2007年当時は、マイアミのジャクソン記念病院で移植外科医、特に赤ちゃんを含む小児移植に情熱を注いでおられました。臓器移植では世界に名を知られている医師です。

 爆発的な感染者を出したニューヨークでは、医療の最前線に立つ人たちも容赦なく危険にさらされたのだと思わされた。日本でも医療者の方々、特に感染者と直接に接する方々は心身共に極限的緊張を強いられていることと想像されます。

 そのようなきっかけから再び本を手にして、今度は全部読み通しました。

時々ニュースになる小児の臓器移植。私たちが知るのは、米国で手術をするために、親や支援者が募金を呼びかける映像です。

 日本と米国とでは臓器移植についての認識と法律的なものが大きく異なり、日本でできる臓器移植は範囲が狭いし、症例も少ないことから、米国での手術ということになるようです。さらに米国で手術となると、2007年当時で1億円が目安とのこと。

 お金持ちしか手術できない?という訳ではなく、米国人の子どもだったら、メディケードと言われる保険が適用され、自己負担がないということですが、外国人にとっては巨額が必然。そのようなことを含め、今まで知らなかった臓器移植のことを知ることができました。ドナーである脳死の赤ちゃんの胃、膵臓、肝臓、小腸、大腸をそっくり、移植される側の赤ちゃんに移すという手術のことも書かれています。赤ちゃんは赤ちゃん同士でないと臓器のサイズが合わないのだそうです。これより命の道がないという壮絶な病状の赤ちゃんたち。

 この本を読んで感動したのは、加藤医師の外科医として卓越した腕を持ち、更に上を目指すという情熱だけではなく、ほんとに温かな心で患者さんと家族はもとより、募金活動をする支援者たちへも直接話しかけ、自分の医師としての気持ちを伝え、退院したあとも、フォローし続ける姿に対してです。

 南米ベネズエラの10ヶ月の病児の子どもを持つ母親からの必死の電話が発端で、マイアミまで来るのが難しかったら、自分が出向けばいいんだと無い時間の隙間を見つけて行動を起こす加藤医師。いろんなお医者さんがいると思うけれど、このようなお医者さんがいることに、心に熱いものがこみあげてきます。

 イエスさまが弱い者、傷ついた者にご自分から近寄ったように私もまた、損得勘定を抜きにして行動する者でありたいと願っています。

 加藤医師の体調が快復され、手術に復帰される日が早くきますように、日本はもとより世界のコロナも一日も早く収束することを願いつつ。(S. K. )