あるよく晴れた秋の日に、紅葉を見るために山へ登った。とてもすごしやすい日だったので、山には沢山の人がいた。その時、突然山が噴火し大小様々な石や有毒ガスが噴き出した…。
その報道を聞きながら、まるでイタリヤのベスビオ火山の大噴火で、火山灰に埋まってしまったポンペイの街のようだと思いました。
世の無常を感じさせる悲惨な出来事でしたが、その中にあっても希望を抱ける話としては、犠牲者の多くの方が自分の周囲にたまたまいた人を守るような行動をとって死んでいったという事です。
夫婦で山に登り、二人とも死亡したケースで、先にみつかった夫が、そばにいた女性に手をさしのべるようにして死んでいた。当然そのそばにいた女性の遺体は彼の妻であろうと考えられたが、くわしく調べてみると、全くの他人だった。また別の場所で犠牲になった25歳の男性の手には子供用の帽子が握りしめられていたそうです。近くに居合わせ子供を守ろうとしていたかのように。小学校5年生の女の子の体の上には、男性用ものの青い上着がかけられていたそうです。
混乱の中でも我先に逃げようとするのではなく、最後の瞬間まで他の人のことを気にして守ろうとした人が多かったという事が、悲しみの中でも希望を感じさせてくれます。
聖書の中にも、むなしさや人生に対して否定的な描写があります。ただ理想や教えを説くだけでなく、現実に立って書かれているのです。だからたとえ、どんな境遇にあろうとも失望はしなくていいのです。神はその境遇を見据えた上で、あなたに語りかけているのです。
「主を信じる者は、だれも失望することがない」(ローマの信徒への手紙10章11節)
突然窮地に陥っても神はそこからあなたの人生を創造されるのです。恐れることなく、平常心を保ちましょう。どんなところにも希望はあるのですから。
(M)
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