6日目はまずウェスタン神学校を再訪しました。9:40からのチャペル礼拝に出席しました。礼拝後にホールでコーヒーアワーが行われ、神学生や教授陣、約100名に日本からの訪問団として紹介されました。その後、短い時間でしたが神学校学長と面談の時間が与えられ、オンラインによる留学システム等の説明を受けました。元学長でもあるヘッセリンク博士(日本で20年以上にわたり宣教師として奉仕)に学内を案内していただいた後、学内カフェテリア・スープキッチンで昼食をいただきました。この昼食の取り組みが素晴らしいのです。学内のみならず、近隣にまで解放され、月~金まではランチが、週末はブランチが、困難を覚える方々や学生たちのために無料でふるまわれるのです。4年ぶりに来訪したメンバーは、その進化にも驚いていました。利用者も増え、味も良くなり、種類も増えていたとのこと。これらはみな、学校関係者や近隣の方々の献品と奉仕とによって成り立っています。
昼食後、移動してRCA(アメリカ改革派教会)本部を表敬訪問しました。館内をご案内いただいた後、前・世界宣教部局長であるジョニー・アリシアバエズ師や、現・世界宣教部局長のダニエル・ティアマン師と面談しました。日本における宣教師の働きや、日本の宣教の課題について分かち合い、そして一人ひとりを覚えて篤い祈りがささげられました。青森松原教会の設立にかかわった女性宣教師Miss.リラ・ウィン師(フェリス女学院などでも奉職)も、このRCAから派遣された宣教師です。
この日の最後はサードリフォームドチャーチに会場を移して、元日本宣教師たちとの会食を行いました。ヘッセリンクご夫妻、マギーご夫妻、ウンジッカご夫妻、レーマン師、エリノア・ノルデンさん、ズヴァイクハイゼン師、コエダイカーご夫妻。そうそうたるメンバーです。一番長い方は、50年近く日本で宣教活動を行ったことになります。このような命がけのご奉仕によって、今の日本の教会の基礎が築かれたことを想い、胸が熱くなりました。
私にとって何よりの恵みだったことは、東京神学大学でも教鞭をとられたレーマン先生が、帰国後RCAから派遣された宣教師の働きについて、その歴史を一冊の本に著してくださっていたことでした。私のこの研修旅行の一番の目的は、青森松原教会のルーツを探ることでした。Miss.リラ・ウィン宣教師が、RCAや神学校、各教会のどのような祈りやどのような想いによって送り出されたのか。残念ながら日本には、その記録がほとんど残っていないのです。20年ほど前に『青森松原教会百年史』を編纂した際にも、東北学院やフェリス女学院など、関係各所から資料を集めたのですが、設立当時の情報はほぼ皆無でした。ほんの数行触れられているだけです。今回レーマン先生からお話を伺ったところ、「それらの情報は日本にはないでしょう。私はウィン宣教師のアメリカへの報告書や私信などを元に歴史をまとめているので、もっと詳しい情報を持っています」との回答を得ました。日曜日の第一礼拝と第二礼拝の間に、また詳しくお話を伺う約束をし、また、レーマン先生が著されたRCAの教会史をお分けいただけることになりました!
どのような団体においても、設立当初の理念や思想はとても大切なものだと思います。青森松原教会が新しい歩みを始めるにあたり、何よりもふさわしい出会いが与えられたと感謝しています。
同時にこの日の各訪問は、私の恩師たちの足跡を辿るような旅路でもありました。私に洗礼を授けてくださった大木英夫先生はヘッセリンク先生ご夫妻やレーマン先生とは何十年にもわたるお付き合いがあり、東京神学大学でも共に学長、教授として後進の指導に当たられました。そして私の牧師としての再出発を支え、ご指導くださった上尾合同教会の秋山徹先生は、ウェスタン神学校を卒業され、在学中はサードリフォームドチャーチの礼拝にご出席されていました。サードリフォームドチャーチの礼拝式文を読み、上尾合同教会の礼拝との近さを強く感じました。先生のベースがここにあったのかという発見でした。先生が在学中に始められたウェスタン神学校の日本語礼拝にも出席させていただきました。そこからの受洗者(日本からの留学生ら)も多く生まれていると伺いました。
青森松原教会も、そして私自身も、新たな気持ちで歩みを始めるのにふさわしい時が与えられました。主に感謝。
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