本日2024年1月7日(日)青森松原教会では、教会礼拝堂にて、新年の礼拝を守りました。与えられた聖句は、詩編23編1節~6節です。
「1.主は羊飼い、私には何も欠けることがない。2.主は私を青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、3魂を生き換えらせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。4.死の影の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。わたしの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。5.わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。6.命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。」
昨年から本日まで、いろいろなことがありました。青森松原教会では、昨年2023年11月11日の2階ホール灯油漏れ事故以来、復旧工事のため礼拝堂が使用できず、青森教会との合同礼拝として青森教会で礼拝を守ってきました。青森教会教会員のみなさま、井垣勝男牧師には大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。
世界では、昨年から無罪の民が無残に殺害される連日の争いのニュースに、心からの痛みを感じ、平和がなるようにと祈るばかりであります。元旦には、最大震度7を観測した能登半島地震がありました。今まだ救出活動が続いている緊迫の中です。被災者には早く十分な救援と医療と癒やしと慰めが届くように願っております。
さまざまは出来事を目の前にしたとき、戸惑いや無力感に襲われます。私たちは、「我は神を信ず」と、使徒信条によって信仰を告白しています。このような時、神さまを信じるとは、信仰とは、何を意味しているのでしょうか。私たちは何を理解していけば良いのでしょう。A.E.マクグラスというオックスフォード大学 神学者の著書「神学のよろこび」には、『「信仰」という言葉の聖書的な意味にはたくさんの局面がある。中でも特に重要な聖書的テーマがある。それは「神を信頼する」という考え方である。有名な旧約聖書の箇所であるアブラハムの召命の記事(創世記15章1-6節)』と関わりをもっています。』
みなさまにも信頼する方はいらっしゃるでしょうか。信頼するかたと歩むことが大事なのですね。信頼して歩む、ここに信仰の根本的な考え方があるともいえるのです。父なる神に信頼して歩む一年でありたいと思います。そして、神の一人子イエス・キリストを信じて歩む一年でありたいと思います。新しく始まりました2024年もさまざまなことがあるかと思いますが、平和でありますように、そして、主の祝福が豊かでありますように、と祈りささげます。(H.Y.)
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